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自分の苗字には雨関連の文字がつく。「じとじとした雨が降ったときのあの嫌な感じ、自分にぴったりだな」と自分では結構気に入っていて
反面、こんなじとじとした自分が嫌いでもある。

だいたい、誰かと会って話したあとは、家に帰って、シャワー浴びながらとかに、「わああああああんなこと言っちゃったああああああ言わなきゃよかったあああああ」って後悔して叫んでることが多くて


でも、昨日、思ったことがあって。
中学生の、10代の、多感な時期、家庭でも色々あったりして、しかもUVERworldとか聴いてなんかわからないけど抑えきれず走り出しちゃうようなやつが、


尊敬して憧れている人からこんな手紙もらっちゃったら(中学生の時)


もう、しょうがないよな、とか思って。

無理じゃん?!無理じゃん?!?!!?!!笑

いわゆる中二病ってやつ、それを引きずるのもしょうがないよなって納得して。
15年ぐらい経った今でも、この手紙を何かと見返している自分ですよ。30歳ですよ、もう。

自分は一生、もしかしたらこんなじとじとな自分と付き合っていかないといけないのかもしれない。それに抵抗したこともあったし、今でも抵抗してみるんだけど、結局はまたじとじとした自分が付き纏ってくる。カラッと振る舞おうとすればするほど、後にじとじと加減が重くなる。

でもしょうがない、それはこの人のせいでもあるよなぁ、と思ったので笑、たまに「わあああああああああああああ」ってなりながらも歩んでいくしかないんだろうなと思いはじめた。

別にそれが楽ってわけじゃない。

例えば、自分は、会社で上司がこうすればいいってことに対して納得がいかないと従えない。(もちろん言われたこと全部に反抗しているわけではない)
他の人に相談すると、「上がそう言ってるんだから従っておけばいいじゃん。肩の力抜きな?」と言われて終わることが多い。「考え過ぎだよ」とか。
それは「あなただけで背負い込みすぎないでね」という優しさがあることも知っている。でも、このやるせなさみたいなもののやり場がなくて

半端に器用な人になるばかりで
誰かが傘を差し伸べるのを どこかで待ってる

Rainof○○○ / Ghost like girlfriend


それはもしかしたら、尊敬して憧れのあの手紙をくれた人から言われた、「いつも心を輝かせていて欲しいです」って言葉を心のポケットにいつもしまって生きていたのも原因かもしれない。と思ったり。
従うだけなんて心が輝かないんで、って、なんかもうそれは完全に中二病なんだけど、そういうつもりならどうにかした方がいいんだけど、そういうつもりはない。

もちろん上司も理不尽にそんなこと言ってるわけではなく、理由があるのもわかっていて、そこでしっかり自分の意見が言えてきちんと「相談」「意見交換」ができればいい話で、社会人ってそうやってやってるんだと思うんです。自分がそういう時に自分の意見を正しく言えないことがいけない、というのもわかっているんです。
わかってるんですよ。
でも、自分の言いたいことがその場でうまく言えない。飲み込まれて終わる。
この「強い上司」に対する私の反応は、いわゆるトラウマみたいなものも関係してくるので相手がどうとかってよりは自分の問題ではあることはわかってるのだけど。
仮にそういったトラウマがあるにせよ、生き抜いていく術みたいなものは身につけていったりしなきゃいけないなと思いつつ……ごにょごにょごにょ


って、話が散らばってるのだけど
とにかくお前はもうこういう人間なんだよ、諦めなはれや〜!!!!!って出来事が最近起こり過ぎてて!!つれぇ〜〜〜〜〜〜!!!って感じです!


最近雨が多いのも、お前はじとじと雨女なんだよ諦めな、って、そういう意味なんでしょうか。




雨ソングだとこれもめっちゃ暗くて大好き!笑
孤独が縁取る


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