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かさぶたをはがす

重い腰を上げて下書きにあったこれを投稿する…!!!

去年の11月…約1年前ぐらいの出来事です。


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(約1年前、)ある緊急のことで1年ぶりに実家に帰省していたのですが、小さな意見の食い違いから父親と言い合いになりました。
(正確には、電話で姉が私と父の話の間に入り、お互いの主張を客観的に聞いてくれ仲裁してくれた。姉から「それはただお互いの意見が違うだけだよ、だからちゃんと話し合いなさい」と言われてから、それが意見の食い違いだと気づく)

しかしその話し合いはいつの間にか脱線し、過去の話になっていきました。



私の両親は離婚していて、最終的に私と姉弟は父親の方へ残るかたちとなったのですが
それぞれが自らの意思でというよりは、その時の諸々の状況が重なってなんだか知らないうちに、流れ的にそうなった…と自分の中では記憶している。(3人の希望はあくまで “家族みんなで暮らしたい“ だったと思う。)
ちなみに母とは普通に会えているし連絡も取っています。

離婚するまでも、離婚してからも、親同士やその親、親戚まで巻き込んでの罵り合いや言い争い、目の前で家族が自○しようとして家族みんなで止める…など他にもいろいろとあり、それを目の前にし、それまで信用していた世界や大人が一気に信じられなくなり、その後人生をこじらせにこじらせまくったのは言うまでもない。(もしかしたら絶賛こじらせ中かもしれない。)

父は精神的に弱い人だなと思っていて、昔から何かあると感情が爆発している姿をよく目にしていた。
壁を殴って壁に穴あけたり、物を投げたり、いきなり声を荒げて怒ったり、とか。そういうことが、母と離婚してからは更に目立つようになっていったようにも思う。
(普段は優しい人だとは思う。でも、ある時突然爆発したり何かのスイッチが入ったかのように声を荒げることがある。)

でも、そんなの昔からあったことだし、自分たちにはどうしようもないできないことだし、父はそういう性格だから仕方ない、と自分の中では割り切っている…というか気にしていないつもりだった。


しかし、その帰省中での喧嘩の際に、父にある言葉を言われて悲しくてショックで、私は子どもみたいにわんわんと泣いてしまった。
そしてわんわん泣きながら、「お父さんが昔から怖かった」と口にしていた。自分でも口にしながら「私はそんな風に思ってたのか?!」とびっくりした。

その時、電話で姉に
「今までお父さんに、 “今その言葉傷ついたよ“ とか、 “物を投げたりするの嫌だったよ“ とか、言ったことある?」
と聞かれた。言ったことがない、とそこで初めて気づいた。

いつもそのまま自分の部屋にこもるか、部屋の外へ出て泣くかどっちかだった。たまに反論したこともあるかもしれないけど、あまりその記憶はない。
何か言って更に悪化するのも嫌だったし、その場から立ち去るのが一番いいと思っていた。

厄介なのが、父親自身は自分の怒りやどうしようもない思いを私や家族にぶつけているという自覚がなかったということ。
(びっくりしたことに、壁に穴を開けたことも覚えていなかった。「え?!じゃあこの壁の穴はなんだと思ってるの?!」と言ったけど覚えてなかった。本当にびっくりした。)

今回の喧嘩も、父に言われた言葉にショックを受けてとりあえず部屋を出て泣きながら姉に電話し、
その後父がやってきて「別にそういう意味で言ったんじゃない」と父が言ったことが、喧嘩のはじまりだった。
私自身が相手の発言をまともに受け過ぎる、という性格の問題もあるけれど、後から思い返してみても明らかに相手を否定するようなことを父はその時言っているわけで。それで「そういう意味で言ってない」は無理あるんだぜ…。


と偉そうに言っているが、私もその父の性質をもろに受け継いでしまっていていることは自覚している。
親しい相手に対して感情をぶつけてしまう、というところは心から嫌だけれどとても似ている。(ああもうほんといやだな…)
だから、感情をぶつけてしまう側の気持ちは痛いほどわかる。

本当は「助けて」と言いたかったり、ただ「手伝ってほしい」と言いたいだけなのに、正直には言えずに飲み込んでしまう。我慢してみるけれどやっぱり我慢できなくなって、最終的に感情が爆発するかたちとなってしまい、感情を露わにすることでしか自分の本当の気持ちをわかってもらおうとすることしかできなくなってしまう。
感情が爆発してしまう時はもうすでに、自分ではどうしようもできない状態なのだ。

そこにあるのは、決して相手を否定したい気持ちではない。
「わかってほしい」という気持ちと、自分への情けなさがあるだけだ。
(父の場合は違うかもしれないけれど)

相手に不満があって溢れ出てしまう、というのはもちろんあるかもしれない。
でも、大人になった私たちは、「自分の気持ちを相手に言葉で伝える」ということを諦めていけないように思う。自分にとってそれが大切な人ならばなおさら。

…とまた偉そうに言ってるけど、これも自分の失敗から学んだことで…。
相手に素直に伝える、ということは大人になればなるほど難しくなってくる。でも自分の気持ちを伝えることを放棄してしまったら、相手を傷つけるだけだし、自分もまた傷つけてしまうだけだと思う。
泣き喚いたり、威圧的になったりすることで相手にわからせようとするのは大人になったら卒業しなきゃいけないのかもしれない。まあ難しいんだけど。


最初のnoteに書いた、自分が心理学の本やメンタルに関わる本(後に読む本がスピリチュアル寄りになってしまうのだけどそれはまたの機会に話させてね)を読み漁っていたというのも、離婚という出来事をきっかけに起こった様々な苦しみを何とかしたくて、解決したくて、読み始めたのがそういえばきっかけだったなぁ、ということを思い出した。
そんな本やブログに頼らないと毎日やってこれなかった自分を恥ずかしく思ったこともあったけど、今回の父との喧嘩で子どもみたいにわんわんと泣いたことで、「ああ仕方なかったな」と思った。

離婚やら何やらあった時から何十年も経っているのに、中学生の私はあの時のまま、ずっとわんわん泣いていたのだ、と思った。
何かにすがりたかったんだな。誰かに辛かったね、頑張ったね、と言ってほしかったんだな。
でもそれが叶わなくてそうしてくれるもの(自分をよしよししてくれるもの)を求めて暴走していたんだな。

これでスッキリした、とはなっていない。こりゃまたなんかのきっかけでなんか出てくるな、という気はする。

とりあえず一個のかさぶたは今回無理矢理だけど剥がして、しっかり消毒をして、絆創膏も貼れたかな、という感覚はある。
前に傷を負った時は消毒もできなかったし、絆創膏も貼れないままだったからね。
今回無理矢理剥がしたかさぶたの傷は、痕はちょっと残るけど、かさぶたのまま何年も経ってしまうことはないと思うよ、きっとね。



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ふう……………。

というわけで。これを書きはじめたのが約1年前の父と喧嘩した次の日で、実家から自分の家へ帰るバスの中で泣きながら書き殴り。笑
途中まで書いて自分でも何を言っているのかわからなくなり(だいたい私が文章を書くときはこうなる)、なんとか書き上げたのが今年の夏ぐらい。そこから約3,4か月放置、今に至る。

上の書いた文章を読み直すと、「よく頑張って書いたね、よくここまで自分で落とし込んだね」という気持ちもありつつ、
「まだまだ甘いぞ小僧」と言ってやりたい気持ちの方が大きかったりする。笑。

そんな「まだまだ甘いぞ小僧」の部分を次のnoteで書けたらと思います。

とりあえず約1年前の私、お疲れ様でした。

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