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アイインザスカイ「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ」という言葉がもう古いという話

あらすじ

2015年イギリス映画。 戦場で使用されるドローンをテーマに、大勢の命と引き換えに、一人の少女の命を見過ごして、ドローンミサイルを発射できるかどうかを、操縦士、作戦指揮官、作戦会議室などさまざまな視点から見る新しい戦争サスペンス映画。

全体の感想 80点

いい映画だと思う。主張したいこと、問いかけたいことがはっきりとわかるような作りになっている。そのため、視聴者が解釈等に悩むことなく、映画が問いかけてくる問題について考えることができるようになっている。また常に緊張感があり目が離せない作りになっている。

この映画の問いかけ(主題)

この映画は現実にあったアメリカの対テロ攻撃に対して問いかけるものになっている。2010年ごろ、アメリカはテロ組織の幹部の追跡、殺害にドローンを用いていた。ドローンでの攻撃はミサイルで行われており、そのミサイルの被害者の90%近くが一般市民だったとのデータもある。この映画では一般市民である少女が爆破被害予想範囲内にいる中でミサイルを打つかどうかの葛藤が描かれている。「一般市民が巻き込まれる可能性が高い中での戦争行為の是非」というと言い過ぎかもしれませんが、視聴者に「これが現代の戦争だ」という問いかけが聞こえてくる。また「今ここで一般市民を殺して、テロ行為を未然に防ぐか」と「一人の一般市民を守るためにテロ行為(作中では80人程度の死傷者が出る爆破テロと設定されている)が起こる可能性を野放しにしておくか」というトロッコ問題的な葛藤も描かれている。

事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ

という踊る大捜査線の名言があるが、この映画で面白いのは現場も会議室ということだ。ここでいう現場とは軍の上層部。ドローンの発射ボタンを押す判断をしたり、爆破被害予想範囲を出したりこういった仕事を軍の会議室で行っている。そして「条件を満たしているのでミサイルを発射します」と最終確認を政治家たちにする。この政治家たちは一般市民を殺す決定をしたくないので、上の立場の人間に判断をゆだねてしまう。この判断を待っている間にテロリストたちは移動してしまう可能性もあるので、軍の会議室の人たちは「早く決断してくれ」と思っていたにちがいない。まさしく「事件は会議室で起きているんじゃない、現場(会議室)で起こっているんだ」状態である。

3つの視点

この映画では大きく分けて3つの視点が描かれていたと思う。

①少女の命を奪うという判断をしたくない者(責任を負いたくない者)

②何も知らない者

③責任をもって判断を下せる者

3つの視点 ①少女の命を奪うという選択をしたくない人(責任を負いたくない者)

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この女性はアドバイザー的な立場なのだろうか。とにかくミサイル攻撃をやめさせようとしている。少女の命を守るべきだ、少女が立ち去るまで待つべきだと。もちろん間違ったことは言っていない。

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この人は軍の分析官。ミサイルがここに着弾したらこういう被害が出ますよと計算する。結論から言うとこの人は無能だった。上司である大佐が「被害範囲の一般人が死亡する確率を45%の着弾点を教えて」と言っているのに対しこの人は延々と「どこに打っても65%です。45%にはなりません。」と報告するばかり。大佐が欲しいのは(捏造であっても)45%の着弾点なのに。結局大佐の命令で45%の着弾点を捏造した。自分では何の決断もできていない。

3つの視点 ②何も知らない人

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結局この女の子はミサイルの爆風で死んでしまう。自分がパンを売っている場所の近くでテロリストたちが会議しているなんて知るはずもなく、そのテロリストたちがドローンで監視されているなんて知るはずもなく、そしてテロリストたちがミサイルで狙われているなんて知るはずもなく、「これ以上テロの犠牲者を出さないために」犠牲になった。降格ととてもかわいそうと思うかもしれないが、これは私たちの立場でもある。幸運にも現在の日本ではテロや戦争行為がないだけでいつでもこの子のようになる可能性はある。

3つの視点 ③責任をもって判断を下せる者

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ヘレン演じる大佐は6年間容疑者を追っており、その6年間で今回が最大のチャンスだと述べている。このチャンスを逃したら次のチャンスが来るのは6年後かもしれない。その間に一体何回のテロ行為が行われるのか。それを防ぐために彼女は何としても今回のチャンスで殺害してしまいたいと考える。そのためにはデータをちょろまかしたり、部下の意見を無視したりしちゃう。

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アラン演じる中将は数多の爆破テロ現場を経験してきた。そんな彼は誰よりも爆破テロの恐ろしさを熟知しており、それを防ぐために一刻も早くミサイル発射の許可をしたいと考えている。その許可を出すために決断の催促を何回も行いましたが結局、政治家が決断するにはかなりの時間を要した。

責任をとれる人、責任から逃げる人

このように書くと責任から逃げる人が悪いみたいに見えてしまうかもしれないが、どちらがいいとかではないと思う。どちらの人間も必要だ。いうなれば「③判断を下せる人」というのは「人の上に立つ者」だ。社長であったり、大統領であったり。この判断を下せる人はいつでも正しい判断が求められる。しかし人間なので判断を間違えてしまうこともある。ただその間違ったという結果を受け入れることのできる人間だ。間違ったという事実を受け入れ、責任を取ることのできる人間だ。

一方で責任から逃げる人もいる。というかこっちの人のほうが多いだろう。逃げるのは悪いことととらえられることが多いが、弱い人は逃げたほうがいい。例えば落ち込むことが多かったり、少しのことで悩んでしまうような人は責任から逃げたほうがいい。無理に責任をしょい込むとつぶれてしまう。こういう人は人に使われて生きよう。会社に雇われて生きよう。会社というのはとてもよくできたシステムで自分で決断を下す必要がある場面はそれほど多くない。ほとんどがマニュアル化されているし、判断は社長とか役員とかが主にやっている。細かい判断はあるかもしれないが、それによって会社が傾いたりするような大きな判断をしなければならないことはほとんどない。責任なんて負わなくていいなら負わないほうがいい。

でももし成功したいと本気で思っているのであれば責任をとれる人にならなきゃかな。

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