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丑年メッセージ:無観客紅白とB'zライブが物語る、コロナ感染対策がもたらした人類の意識進化とは?


2021年明けましておめでとうございます。

今朝の首都圏は何年かぶりで雲一つない快晴!
お蔭で今年の初日の出は、久しぶりに一切もどかしさ抜きの、直球ダイレクトな輝かしい陽の光を拝むことができて幸せでした。

ちなみに私が出かけたのは、
千葉市内の住宅地にある縄文貝塚の丘の上。
わが家からは自転車で行ける距離なんです。


 【丑】を植物にたとえると?

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さて、年賀状では早速バラエティ豊かな牛キャラクターが躍っていますが、実は本当の丑年が始まるのは、立春の2月3日から。

とは言え、私たちがそれと意識することで、
そのエネルギーは少しずつ作動し始めるとも言えるので、さっそく丑の干支から読み取れる、今年の世界の方向性について書いてみますね。

まず、十二支に使われている漢字は、
今では全て動物の名前が当てはめられているけれど、元々は植物の生長サイクルを12段階で表したもので、農業のための用語だったというのをご存知ですか?

その意味で言うと【丑】とは、種子の中に芽が発生しつつも、まだ伸びることができない状態を指しています。
また、【丑】という字のルーツは、指を曲げて糸を撚ったり編んだりしている形を表したものだとか。
それが【紐】という字に発展したんですね。

──まさに今の世界の状況も、そういう段階だと言えます。

コロナ禍で人々の移動や行動が制限されて、
表立った動きは静かに抑制されていても、
私たちの内部では着々と「意識の組み換え」が進行し、「価値観の変容」が起こりつつある──

そんな、新しい時代の文化が花開く間際の
【胎動】
をワクワクと感じています…!


(※ここからいつもの文体に戻ります)

コロナ感染対策が叶える人類の「本来あるべき姿」とは  


昨年を通じて当マガジンでは、実はコロナ感染対策が、結果的に人類が「本来あるべき姿」に立ち戻れるよう、私たちの行動を「軌道修正する」働きをしていることをお伝えしてきた。

その「あるべき姿」の方向性とは何かをザックリ言うと、

①自然界と共存できる文明への切り替え(SDGsの実現)

②個人の意思が組織や集団の都合の犠牲にならず、1人1人の肉体と精神が尊重されること

③見えるものだけを重視する「物質文明」にブレーキをかけ、見えないものを尊重する「精神文明」へ回帰すること

この3つを叶えるために、実のところ
「三密回避」「ソーシャルディスタンス」「マスク着用」の全てが役に立っているのだ。

 無観客紅白は「意識進化」の証

これらの対策から生まれた成果を象徴するような出来事として特筆したいのが、昨夜行われた、史上初の「無観客紅白」の実現。

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“果たして無観客で盛り上がれるのか?!”
という心配は無用だったことが、実際に観た人にはおわかりだろう。

これは、昨年10月から11月にかけてB'zの無観客ライブが、5週連続で敢行された時にも痛感したことだけれど、
かえって「こっちが客席だから…」という物理的制約が無くなったために
空間が自由に使える分、パフォーマーの動き方の自由度や、最先端の特殊効果を駆使できる可能性の幅が広がって、むしろリアルなライブに参加するよりも見ごたえが高いアトラクションに仕上がっていた。

“いやいや、ライブのあの空気感、みんなで熱狂する一体感がいいんだよ”
という声も多々あるだろうし、私もそれは否定しない。
確かに舞台から観客の顔が見えるような小規模な空間であれば、演者と観客が一体になって創り上げる空気感に身を浸すのは、心地よい体験と言えるだろう。

けれども、昭和の時代から令和の初めまで加熱してきた、何千人・何万人単位の大観衆を集めて、はるか遠くの舞台を拝ませる大規模ライブイベントというのは、今ふり返れば興行会社の都合に合わせて、観客1人1人が万障繰り合わせて交通費をかけて移動した上に、ギュウ詰めの空間に押し込まれる苦痛に耐えるという、犠牲のもとに成り立っていたのだとも言える。

もちろんそれは、大好きなアーティストへの愛あればこそ、耐えることができたのだけれど。

そう、それはアーティスト側にとっても、大きな喪失感を覚えるものだったはずだ。
これまで大勢の人々が自分たちに与えてくれる熱狂のエネルギーを一種の栄養源にして、さらにパワフルなパフォーマンスを体現することに慣れてきた人たちにとっては。
そして、一度に数万人を、たった1人か数人で相手にできるほどのエネルギーを身にまとえるのが、スターの条件だったというわけ。

実際、B'zのヴォーカル・稲葉浩志さんも、
無観客ライブシリーズの前半の回では、ファンと直接会えない現状を、コントのセリフとしてだが「寂しいよ~」と思いきり訴えていた。

ところが、彼は最終回の締めくくりに、
カメラの向こうにファンの存在を確かに感じられたことを語り、
「無観客ライブは、無観客じゃない!」と断言してくれたのだ。

この言葉は、コロナ禍を通じて私たちの意識や感受性が進化しつつあることの証だと言える。

「大勢が集められる時代」はすでに終わっている


すでに組織の都合で大勢が1ヵ所に集められるのが当たり前だった時代は、昨年をもって終わりを告げられたのだ。
新型コロナは、それを強制終了する役割を果たしたということ。

昨年『コロナ禍転じて福となす社会へPart3・人類にソーシャルディスタンスが必要な本当の理由とは?』の中でお伝えしたように、
弥生時代から最近まで続いてきた物質優先の世界のエネルギーは、
人類が肉体的に生き延びるための手段として、
「組織の存続のために、個人の意思が犠牲になること」を良しとしてきた。

そこでは、大勢の人の体を物理的に集めることで集団心理を操り、マインドコントロールがしやすくなるという、支配する側の裏の仕組みが隠されてもいた。

しかし、今始まりつつある新しい時代は、人と人とがつながるために、必ずしも肉体的に集まることを必要としなくなる。

なぜなら、1人1人が「個人の意思と都合を尊重することが当たり前」という価値観に変わるから。
さらに言うと、物理的に触れられなくても、相手のエネルギーを感じられるような「見えないものを感じ取る力」が発達しつつあるからである。

事実、昨年からコロナ禍を通して私たちは、直接触れ合えなくても、オンラインで相手と絆を結び、育てる訓練をし続けている。

例えばマッチングアプリでも、リアルで会う前に、ビデオチャットでお互いを確認できる機能が追加された。
この変化の意味するところは、すごく大きい。

「見えないもの」の不快な影響力を未然に防ぐために

私たちが目に見える体で密接に近づくと、見えないエネルギーの体も交じり合ってしまう。
それが原因で、接している相手との間に「同調圧力」が生まれてしまい、
本心では望んでいなかった行動を選ぶという過ちが、今までの時代では繰り返されてきた。

けれども、時代のエネルギーが「精神重視」に切り替わった今、
人類は今までよりも「見えないもの」に対して敏感になりつつある。
ウイルスが、飛沫が、と肉眼では見えないものを毎日意識させられているうちに、もはや「見えないものは存在しないもの」と思い込めるほど鈍感ではいられなくなっているのである。

だからこそ、親しくない相手と濃厚接触をする機会を減らし、不快な体験を未然に防ぐ「ソーシャルディスタンス」は、これから益々必要になるはずで、おそらくコロナ禍が落ち着いた後も、新しい社会の常識として定着するだろうと私は予想している。


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