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鉄鋼商社のゲテモノ屋と呼ばれた新卒期【中村うさぎエッセイ塾課題】

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以下は、中村うさぎエッセイ塾の「テーマ:私がという人間が、どういう人間なのか」という課題で提出した、1万字近いエッセイです。
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22歳の春、ぴかぴかの新卒として入った会社の、配属初日のことである。

お気に入りのスカートスーツとパンプスでOJTの先輩へ挨拶に向かうと、「見てもらったほうが早いから」と言ってヘルメットを渡され、どこかへ移動することになった。入社後研修で配属先の業務概要はざっくり教えられていたが、「詳細はOJTにて」ということで、やっと自分の仕事がわかると心待ちにしていた日だった。

オフィスから車で移動すること1時間、到着したのは船橋港。見えたのは、砂埃と大きな船、それからその船にゴミのような何かを落としていく、重機とトレーラーだった。落ちていくそれは揃って1メートル四方なものの、形状は様々で、くしゃくしゃになった茶色い板や、細い棒がこんがらがって丸まった茶色い塊、網目状に穴の空いた銀色の板などがあった。

ヘルメットを装着するよう指示を受け、先輩に続いて車を降りると、金属同士が激しくぶつかる音で先輩の声が聞こえなくなる。とりあえずメモとペンを取り出してついていくと、先輩はそのゴミのような何かを指差して、「あれが、商材!」と叫んだ。

衝撃である。これが私の商材なのか。
手に構えたメモ帳が、砂埃でどんどん茶色くなっていく。呆然と立っていると、いつの間にか作業着の上を羽織った先輩が、手招きをしてから船に垂直にかかったはしごに手をかけた。“商材”を積んでいる最中の船に登るという。こちらはタイトスカートとパンプスなのに!

ちょっと先輩、最初っからここに来ること決めてたんなら、服装やら持ち物やら教えてくれてもよかったんじゃないですか?研修中に何回も先輩の席まで挨拶に伺いましたし、言うタイミングありましたよね?あえて隠してたのは、私をここでふるいにかけるつもりだった?というかまずあれは何、商材っつうけど金出す価値あんの?ものすごくうるさくて、ありえないほど汚い、ってどっかの映画のタイトルみたいな感想しか抱けないんだけど?

てかそもそもの話、あんなに苦労して獲得した良い学歴がこんなところに繋がるなんて、どうしてこんなことに?


きっかけは、大学3年生の学内企業説明会だった。
奥歯が栄養失調を起こすほど必死に勉強して入った大学で、それなりに知名度のあるところだったので、色々な企業がブースを出していた。

当時の就活の条件は、家賃補助がある企業の総合職ということだけ。理由は、私は容姿にコンプレックスがあり、結婚を前提とした人生設計はリスキーだと思っていたこと、両親・妹とずっと折り合いが悪く、早く彼らから逃げたいと思っていたことだ。大多数の企業がその条件に該当していたので、特に業界研究もせず、説明会では面白そうな話をしているブースにふらふらと立ち寄っていた。

その中のひとつで、
「世界中が取引先になる、ダイナミックでグローバルな仕事。国を支える仕事で、絶対になくなることはない、地図に残る仕事です!」
と謳っている企業があった。
これが私と鉄鋼業との出会いである。
具体的にはどんな仕事かわからないものの、壮大で面白そうなその響きに、私のハートは撃ち抜かれた。世界を股にかけるキラキラバリキャリウーマン、いいかもしれない!私は就活の選択肢に、鉄鋼業界を入れることをその場で決めた。

その後の選考では、多岐にわたる業界の数々の企業にお祈りを食らった末、(業界を絞らず、つまみ食いのような就活をした末路である…)やっと初めての内定が出た、中小企業の鉄鋼商社原料部門営業に就職を決めたのだった。

その結果が、この状況である。
眼の前の何かが、商材の鉄スクラップだという。
私は、建物解体や市中・企業のごみから発生する金属廃棄物を、仕入れて加工する業者から“鉄スクラップ”として買い集めて、それを溶かして鉄筋を作るメーカーに売り捌くそうだ。または、発展途上国からそれを輸入して国内メーカーに売ったり、国内の加工業者から仕入れて韓国やベトナムなどに輸出する、というルートもあるらしい。確かにグローバルな面もあるが、現状、キラキラどころか砂まみれである。

またやってしまった、と思った。

小さい頃からいつもそうだ。
好奇心に勝てず動くと、思い描いていた人生から逸脱してしまう。私は「よくわからないが、面白そうなもの」に弱い。それを見つけると我慢できないし、待てない。

中学まで真面目にやっていた部活もそうだった。高校はわざわざ強豪校を選んだのに、1年で部活を辞めた。課題図書にあった中島義道『不幸論』から哲学にハマってしまい、近くの大学で有名な先生が、夕方に哲学の公開授業を開いていると知ったからだ。授業時間が部活と被っていたのである。カントとニーチェに溺れ、知的好奇心を満たす生活ではあったが、気がつけば憧れのキラキラとした青春とは遠く離れた、斜に構えた女子高生になっていた。

そんな私が、また好奇心のせいでやらかしてしまった結果、目の前の鉄クズに呆然としているというわけだ。

しかし人は見た目に依らないのと同じように、
鉄鋼商社もまた、見た目からは想像できないほど面白い仕事だった。
ここでも私は好奇心による脱線に脱線を重ね、
結果として「ゲテモノ屋」という、一見悪口のようなあだ名をつけられ、オフィスに届く商材サンプルとして、金属ではなくガラスの破片や汚泥が届くようになるのである。

どこの業界の営業にも美徳があると思うが、鉄鋼商社の原料部門では、「質のいい鉄スクラップのメーカー納入量」がステータスだった。しかし鉄スクラップは、計画的に一定量製造される製品ではなく、いつ発生するかわからない廃棄物由来である。「鉄スクラップが足りないから、あのビルを建て壊そう」という本末転倒なことが起こり得ない以上、売り手市場で、パイの奪い合いになるのが常だった。

でも私は、その争奪戦に真っ向勝負を挑んだところで勝算はあまりないことを、配属早々うっすら理解していた。鉄鋼業界は完全なる男社会な上、
(当時少なくともうちの会社では他部署含め、
女性の総合職は片手で数えるほどしかいなかったし、外回りをする営業に至っては、私しかいなかった)結局は、建物解体自体からタッチできている大手商社か、接待ゴルフの上手い体育会系、宴会芸や女遊びが上手な営業マンに鉄が集まるからだ。
(飲み会の二次会が、キャバクラかおっぱぶという業界である。“花びら大回転”という言葉を、この業界に入ってから初めて知った)

だから他に武器がないかと思い、まずは業界をよく知ることから始めることにした。

まずは得意先のメーカーから知ろうとした。従来の訪問先は購買部門だが、プラスで製鋼現場にも通い詰めた。そうしたら、最初は無口だった現場のお兄さんたちが会話をしてくれるようになり、私文卒で化学に疎い私にもわかるレベルで色んなことを教えてくれた。

鉄筋を作るには、数メートルもある大釜に鉄スクラップを入れて電気で溶かすのだが、昨今の原発規制で電気代が上がって困っていること。製品である鉄筋にはJIS規格があって、シリコン何%・カーボン何%…などと成分が定められているが、
有象無象の廃棄物由来である鉄スクラップは成分がばらばらで、別途石灰などの資材を入れて調整するのに苦労すること、などなど。

てっきり、鉄スクラップさえあればメーカーは喜ぶから、鉄鋼商社原料部門の営業マンの美徳は
鉄スクラップの納入量とされているのかと思っていたが、それは随分と独善的だったようだ。

並行して加工業者の現場にも通った。従来商談をしていたのはスーツを着た営業だったから気が付かなかったが、現場には強面のお兄さんがたくさんいた。中には万年長袖で、首の後ろから愉快な太陽がコンニチワしている人もいた。それでも、通ううちに現場の状況を教えてくれるようになった。

布や樹脂が付着したような質の悪い金属スクラップについて、今までは海外に輸出できていたが、
各国の環境規制で売れなくなってしまったこと。
でも有価で仕入れたため、お金を出してまで捨てることはなるだけ避けたく、「処理困難物」として在庫置き場を圧迫していること。そんな状況でもお構いなしに、どこそこの商社は質のいい金属スクラップだけをごそっと持っていくから、在庫の質が二極化して苦労していること…。

たまにうちの部長が「接待ゴルフで加工業者の社長から聞き出したんだけど、」と、もったいぶって教えてくれる内容より、現場の人はもっと色んなことで悩んでいた。

メーカーも業者も、現場では人知れず困っていることがある。これをもし上手くマッチングさせて解決できたら、何かすごいことになるのではないか。よくわかんないけど、面白いことが起きそうじゃない?

そう考えた私は、業者の抱える処理困難物のサンプルを、片っ端からいただきに走り回った。
それらの成分を調べて文献を漁り、バッグにサンプルを放り込んでは、色んなメーカーの現場の人たちに見せに行って相談した。他の人たちが質のいい鉄スクラップの奪い合いで躍起になっているなか、私は一人脱線して、金属ですらないゴミが混じった処理困難物の調査に没頭したのである。

そして大当たりを引いた。

詳細は省くが、得意先のメーカーがそこそこの予算を割いて他社から買っていた金属資材を、加工業者が処理に困っていた樹脂付き金属スクラップで、代替させることに成功したのだ。
仕入れは二束三文、売りは元の資材の半額。得意先は、その分の出費が半分になって大喜び。加工業者は、処分費を払って捨てようとしていたゴミが商材に変わって大喜び。うちの部長は、「かつてない利幅だ!」と大喜びだった。

革命だった。
私は社内で表彰を受けたし、得意先の購買も、社長賞をもらったそうだ。加工業者は恩義に感じてくれて、率先して質のいい鉄スクラップも私窓口でメーカーに納入してくれるようになったから、
結果として本来の商材である鉄スクラップの納入量も増えた。
(まあ、商流を途絶えさせたくない一心でのことだろうが、義理人情を何よりも大事にする業界なのである)

その結果が、「ゲテモノ屋」というあだ名と、オフィスに届いた金属以外の商材サンプルである。この業界の人たちは得てしておしゃべりなので、得意先の購買も、加工業者も、色んな人に自慢をしたらしい。

真っ先に動いたのは業者で、処理困難物のサンプルがいろんな業者からうちのオフィスに送られてくるようになった。当初は少なくとも金属に何かがついたスクラップだったが、そのうちガラスや汚泥など、金属外のものが送られてくるようになった。でも、ガラスだって大部分がシリコンだ。鉄筋をつくる上で、シリコンは欠かせない。そのためガラスの破片も、資材の代替品として商流が繋がった。

メーカーからは、関係性の弱かったところから「この代替品を探していて、」と相談してもらえるようになった。いろんなものを持ち込んだ結果、商談に行くと各所で「ゲテモノ屋さんは、今日何を持ってきてくれたの?」と言われるようになった。
(ちなみに汚泥は水分を含むので、水素爆発の恐れがあり流石に無理だった。ダメ元で各メーカーに持っていった際、「五十川さんが持ってきたからきっと…」と私を過大評価してくれた購買が、製鋼現場の人たちにしこたま怒られたという話を聞いた)

これがたまらなく面白かった。
それ単体では処理に困っていたゴミが、いろんな人の知恵や見方の転換で、三方良しの立派な商材に化けていく。それを聞いた他の人たちが、相談に来てくれる。実際に売り買いしているメーカー・業者だけでなく、業界全体の役に立てているようでやりがいを強く感じ、服装や振る舞いとしての女性らしさに割くべき余力をかなぐり捨て、ライフワークバランスそっちのけで仕事に打ち込んだのである。

だが24歳を迎えたとき、改めてキャリアプランを考える羽目になった。

きっかけは、得意先接待の飲みの場である。
今考えるとセクハラに該当すると思うのだが、当時の鉄スクラップ業界では、女性を鉄スクラップの等級になぞらえて評価するという、悪ふざけが流行っていた。
女優のような女性は「電特A(最も良いスクラップ)」、読者モデルのような女性は「特級(基準となるスクラップ)」、よくいる女性は「一級(基準より劣るスクラップ)」、パッとしないおばさんは「級外(基準外のゲテモノ、私が得意な商材)」など…。

現場に女性がほぼいない業界だからこその悪習だとは思うが(他社含め商社原料部門営業で、関東で私含め3人しか女性がいなかった)、その日も得意先の人は酔いが回りだすと、得意先社内の女性評を始めた。接待なので、しばらくはやんややんやと盛り上げていたのだが、そのうち標的は、うちの課の事務員女性へと変わっていった。
未だに約束手形をフル活用しているこの業界では、集金日に営業がどうしても都合をつけられない場合に事務員が得意先に集金に行くことがあるのだが、そこで見たようなのだ。

真っ赤な顔をしてお猪口を傾ける、得意先の係長が言う。
「あの人はな~、級外だよな。おたくの課長と同い年っていうから、もう40歳近いだろ?三十過ぎてまだ若い子みたいな服着てて驚いたわ。ギャルかヤンキーみたいな化粧してさ、イタいよなあ~。しかもおたくら営業に対して当たり強いんでしょ?古株ヅラして。だからまだ独身なんだろうなあ」

私は、腹立たしさで何も言えなくなった。
(得意先社内の女性評については、なんとも思わなかったくせに…)
うちの課には女性がその事務員しかいないこともあり、私は彼女と親しかったからだ。

彼女は仕事ができる人で、事務仕事が苦手な私は、トラブルを起こす手前でよく彼女に助けてもらっていた。年齢は一回り以上離れていたが、趣味が合ったため、しょっちゅうカラオケに行ったり、飲みに行って愚痴りあったり、競馬など大人の遊びを教えてもらったりしていた。
まあ確かに今考えると、一回り以上年下の私と頻繁に、かつ対等に遊べる38歳というのは「子供おばさん」と呼ばれてしまう部類だったかもしれないが(学生のような我儘を通そうとしたり、感情で仕事をしたりしてはいた)、でもそんな彼女をちょっと一目見ただけの人が、彼女の仕事ぶりを何も知らない人が、よくもまあそんなことを。

私はふつふつと湧き続ける苛立ちを抑えながら、表面上ニコニコとお酌をしたりしていたのだが、そのうち、はっと思い至った。
彼女は、将来の私だ。
私が現状から変わらないまま30代を迎えると、この視線が私にも向く、と。


私は怯えた。
ゲテモノスクラップで社内の表彰を受けて以降、
上司には「うちの部のエース」とちやほやされていたし、他部署の部長は部下に「五十川さんを見習うように」と言っていると同期から聞いたので、「仕事さえできれば性別関係なく、人間として認められるんだ!」と、調子に乗って労働のみに全力を尽くしていたが、女はそれだけではダメだったらしい。30歳をすぎると、若さという免罪符でうやむやにできていた「女」という属性が前面に出てきて、容姿と、振る舞いと、配偶者の有無が評価の大軸になるようだ。仕事上の成果がすべての、成人男性のような扱いは受けられないらしい。
そんなこと、学校じゃ誰も教えてくれなかった。平成の世はもう男女共同参画社会になっていて、努力をすればしただけ認めてもらえるのではなかったのか。

女は、あくまでも女なのか。

接待終わり、毎度のように飲まされすぎた私は最寄り駅のトイレで吐いた。手を洗いながら、鏡に映る自分を改めて眺めてみると、あまりのみすぼらしさに辟易した。ヘルメットをかぶるせいでボサボサのショートヘア、「この後デート?」と冷やかされるのが嫌でベースメイクのみの顔面、「現場でどうせ汚れるから」と適当に買ってよれよれのシャツとパンツ。極めつけに、背負ったリュックには処理困難物のサンプルが入っている。そういえば、先月会った大学の同期はジェルネイルを始めたと言っていた。

この差はなんだ。大学生の私が思い描いていた、キラキラバリキャリウーマンとはかけ離れた姿に、改めてがっかりする。社宅に着いて、玄関に座り込んで煙草を吸っていたら、履いていた安いローファーの小指の部分が擦り切れていて、靴に穴が空いていたことを発見した。それも両足。いつからだろう。今日の接待は座敷だったから、靴を脱ぐ際誰かに見られていたかもしれない。羞恥で死にたくなった。

この業界で、ロールモデルがいない状況で、私は後ろ指を刺されないような30代になれるだろうか。

私は人の影響を受けやすく、過剰適応してできるだけ周囲の男性と同質になろうとしてしまうし、周りに冷やかされてでも女性らしさを貫き通すだけの、強い意思と覚悟もない。正直、「若い紅一点」ということで甘やかされている面が多いことの、自覚も徐々に薄れてきている。当然だと感じるようになってきている。目指すべき大人の女性の総合職の、イメージすらない。

内定式のとき、社長に「この業界の女性営業の道を、ぜひ五十川さんが切り開いてください。未来の後輩のためにも」と言われ、私はそれを気負って働いていたけれど。社長すみません、あまりにも重たすぎる使命であることに、今更ながら気が付きました。どれだけ成果を出しても、課の利益の1/3を一人で稼いでも、女性らしさを代償にそれを得ている限り、若さを失ったら急に評価が落ちかねない不利な社会。そんなところで手探りしながら、孤軍奮闘しながら業界を切り開いていく意義を、見出すことができません。別にお給料が高いわけでもないし、それでお金がもらえるわけでもないし。ていうか、この会社の総合職で、産休育休取れた人いないですよね。
(まず女性の総合職が数人しかいないので、仕方ないのかもしれないが…)

仕事自体はとっても面白いけれど、自分の「正しい30代女性」ルートを犠牲にしてまで続けてはいけない気がする。容姿にコンプレックスがあるとは言え、疑似成人男性として働くことを目指すことだけが、生きていく術ではないんじゃないか。むしろ、容姿に難があるからこそ、それは悪手なのではないか。

上司はよく自虐混じりに、「あまりにニッチで特殊な業界だから、長くいた人は辞めてもまた戻ってくるんだよ。他業界に馴染めなくなってしまっていて」と言っていた。
であれば、長居すればしただけ出られなくなる。まだ入社して数年だけれど、成果は上げたしビジネスの基本は修めたから、第二新卒としての転職先は見つかるだろう。

好奇心の赴くまま、「級外」と呼ばれるイタいおばさんになってでも、このニッチで特殊な業界に骨を埋めるか。それとも、「正しい30代女性」を目指して、改めて軌道修正を図るか。

結局、私は後者を選ぶことにした。

今度は、好奇心を封印して転職活動をした。
どうせならば憧れの生活も叶えようと、今いるところの真逆を目指した。大手企業で無形商材など先進的な商材を扱う業界の、女性の多い企業を。

結果、それに該当する都心の超大手企業に、なんとか契約社員として雇ってもらうことができた。収入は2倍になり、人に出せばお褒めにあずかる名刺も入手した。晴れてキラキラバリキャリウーマンの仲間入りである。浮かれに浮かれた私は、
その概念に見合った小綺麗な30代になることを目指して、憧れの地に引っ越し、パーソナルカラーに合った服とコスメでクローゼットを一新し(パーソナルカラー、パーソナルデザインの概念は、
私の容姿コンプレックスを打ち砕く革命であった…。この話はまたいずれ)、髪を伸ばして二重埋没の施術をした。全身脱毛だってした。

これで正しい大人の女性になれるはず。後ろ指を刺されない、幸せな人生が手に入るはず。

ところがである。
3年経った今、私のハートは死んでいる。
仕事も見た目も生活も、大学生のころの憧れを叶え、「正しい30代女性」ルートの真っ只中にいるにも関わらずだ。

ある仕事終わり、「砂まみれのあの頃のほうが、よっぽど毎日がキラキラしていたなあ」という感想を抱いて愕然とした。自分が、世間一般の正しさや幸せで満たされないことを、やっと悟ったからだ。

今の職場は女性の営業が半数を占めるから、ロールモデルが身近にたくさんいて、「目指すべき大人の女性の総合職」というのがどういうものか、たやすく理解できる。容姿や振る舞いは、真似できているはずだ。仕事自体も、社会的影響力は前職よりはるかに大きいし、各分野のトップにいる人たちとの業務に、誇りは感じる。

でも、面白くないのだ。
超大手の企業だからこそ、営業には歯車の役割を求められる。私が明日辞めたとて、近いスペックの人を補充すれば何事もなかったかのように回っていく会社だ。加えて、何故か若い女性営業は、男性営業のサポートも追加でさせられる。男性営業が大言壮語で獲ってきた案件について、なんとか帳尻を合わせていくような業務。そこに、未知のワクワクはない。似たような業務を、日々効率よく繰り返すだけだ。スクラップヤードで邪魔者扱いされていた処理困難物が、一流の商材に化けたときのような達成感を覚えることもなかった。


私は悟った。
私は、好奇心を抑えると死んでしまうのだ。
たとえ憧れから遠く離れた生活になろうが、「級外のイタいおばさん」と後ろ指を刺される可能性があろうが、好奇心の赴くまま、面白そうと思った方へ進んだほうが、結果満たされるらしい。

だったらもう、好奇心の奴隷に甘んじるしかない。今まではサザエさん的生活を、「正しい幸せな人生のゴール」と規定していたが、最近はそこから外れた、サラリーマン以外の生き方をしてみるのも面白そうだと思っている。もしかしたら生活に困窮するかもしれないが、逆に上手くハマって生き抜くことができるかもしれない。

私に必要なのは、自分を「普通」の枠組みに合わせる努力ではなく、周りに冷やかされてでも自分を貫き通すだけの、強い意思と覚悟だったのだ。
好奇心に振り回されて日々を生きると、どこに停車するかわからない暴走列車のような人生になるだろうが、私はこのまま行き着く先を、目一杯楽しむほかないのだ。

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