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【随想】 おらが惑星

 SDGsは、先進国(と自惚れる国々)の“驕り”である。

 矢口高雄氏の『おらが村』(山と溪谷社)に、都会で生活する者が《ふるさとはかわっちゃあいけないのさ 昔のまンまであってほしいのさ……》と言うのに対し、山村で暮らす者が憤怒する場面がある。《おらだつ山ン中の百姓だけが昔のまンまの生活していていいってゆう理屈はあんめえ 文明の恩恵からはずれたところで生きねばなンねえという理屈はあンめえ》と声を荒らげて。誠にその通り! この言葉は、驕れる国に住まう者の心に「グサリ!」と突き刺さるだろう。

 現生人類の知恵はまだまだ未熟である。
 なぜなら、地球環境に負荷を掛けなければ、文化生活を創造することが出来ないのだから。
 SDGsは偽善であり、傲慢である。
 SDGsの主張が「貧しい国は貧しいままでいろ! それが地球環境のためだ!」と聞こえるのは、老生だけだろうか。
 まだまだ発展の伸び代が有る国々にとっては、10年先、50年先、100年先の環境問題よりも、今このときの空腹を如何に満たすかが喫緊の課題であることを、自惚れる国の住人は忘れてはならない。
 地球に住む人は皆、豊かな生活(物質面でも、精神面でも)を営む権利を有しているはずだ。

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