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*脚本の本棚*箱庭、その創世と

2019年1月 舞台本番映像
出演キャスト
男 中村政仁 女 飯塚美花 蛇 まついゆか
音楽 藤匡

*-*-*-*

『箱庭、その創世と』(初演2015年salty rock)

脚本 伊織夏生

登場人(?)物
男・女・蛇


   男と女がやや離れた場所で立っている

     開演
     音楽


男 見えた?

女 見えない。

男 ……見えた?

女 見えない。

男 ……見えた?

女 見えない。

男 何が?

女 ……私。


     蛇、勢いよく現れ演説調に語りだす


蛇 おはようございます! おはようございます! この世界、わたくしたちの生きるこの世界、かけがえのないこの世界。朝焼けが、見えますか、最初の朝焼けが見えますか。最初は最後、最後は最初。この始まりは、終わりへ向かう、最初の一歩。
さあ、目を開きましょう、息を吸って、吐きましょう。首をぐるりと回して、両の腕をうんと伸ばし、両の足で大地を踏みしめましょう。見えるでしょう、朝焼けが、見えるでしょう。
おはよう、ございます。


朝日とも夕日ともつかぬ明かりの中、男が辺りを見回している。
ぼんやりと呟くように


男 ここは。   どこだ、ここは。   眩しい。朝日? いや、夕日か?
空気。清新な空気だ。肺いっぱいに吸い込む。細胞の一つ一つに澄み渡った何かが巡っていくのがわかる。手が見える、俺の手。指を動かす。ぎこちなく、それでも当然のように指は動いた。足を踏み出す。柔らかな土の感触。鼻をつく緑の香り。どこからか聞こえる動物たちの鳴き声。柔らかな空気。清新な空気。

蛇 やあ、漸く起きたね。

男 え、
蛇 おはよう。
男 いや、
蛇 おはよう。
男 あ、ああ。おはよう。
蛇 や、綺麗な朝日だ。この世界の始まりに相応しい、綺麗な朝日だ。世界の全てがとろけていくようだろう。見えるかい、この世界の始まりの色。君の命の始まりの色。
男 あー……
蛇 何とも美しいじゃないか、惚れ惚れするね。これが命の始まりの色なんだよ、覚えておくといい。これが、この色が、君のこれから生きていく上でかけがえのない
男 あの
蛇 ん、何
男 ご高説のところ悪いんだけど、
蛇 お?
男 お前、誰。
蛇 ぼく?
男 そう。

蛇 他者に名前を問う前に、自らの存在について考えてみるといい。君の名は・君自身の名は、一体。
男 あ・わからん。
蛇 だろう、それが意味することがわかるかい?
男 いや、
蛇 存在の不存在。
男 存在の?
蛇 不存在。名前という記号の意味するもの、それは他者の存在。そしてその不存在の意味するもの、他者の不存在。ヒトは他者の認識故にヒト足りえ、すなわち今の君は、存在しながらにして不存在。
男 ああ、そう
蛇 ぬあ、今、どうでもいいって顔したろ! めんどくさいなこいつって思ったろ!
男 別に。
蛇 酷い、酷いー!
男 あ、
蛇 ん?
男 そんなことより、
蛇 そんなこと・って、(凹む)
男 腹が痛い。
蛇 腹?
男 そう、この、脇腹のところ。
蛇 脇腹。
男 そうだ、痛いんだ。なんだか痛くてたまらない。
蛇 違うよ。
男 え?
蛇 違うよ、それは腹、すなわちハラワタ・ではなくて、肋骨・だ。
男 肋骨?
蛇 そう、肋骨。君の肋骨が疼いているんだ。
男 なんで? 折れたのか。いつの間に。
蛇 折れちゃいない。今はまだ。まあ、いずれそんな感じになるんだけれども。
男 いずれ? どういう意味だそれ。
蛇 君はね、重大な任務を果たさなければならないんだ、その、君の肋骨をもって。
男 俺の、肋骨をもって?
蛇 そう。
男 それはどういう、
蛇 さあ
男 おい、
女 大丈夫?
男 え?

     空間が切り替わる

女 寝てるの?
男 ……いや、起きてるよ。
女 眠いの?
男 別に。(上の空で)
女 具合悪いの?
男 別に。
女 お腹すいてる?
男 別に。
女 私のこと好き?
男 別に。
女 なー!
男 え、なになに!?
女 なんでそうなのよ、あんたはもう!
男 何が。
女 ねえ、そんなふうに冷たくしないでよ。仲良くしましょうよ。
男 仲良くって。具体的にどんな。
女 お、お、お、
男 お?
女 おしくらまんじゅうおされてなくな!!(男を突き飛ばす)
男 いってー! おい。
女 ごめんなさい。
男 あ、意外と素直。
女 惚れた?
男 惚れない!
女 ちっ(すごい顔で)
男 おい顔! お前一応ヒロインなんだからな!
女 何怒ってんの。
男 怒ってなんか、
女 怒ってる! ねえ、あんたわかってんの?
男 何が!
女 私たち、ふたりっきりなんだってこと! この、どこだかわからない空間で。
男 どこだかわからない空間って(苦笑)
女 この、どこだかわからない空間、というのは、アニメドラえもんの、のび太くんの部屋の机の引き出しを開けてタイムマシンに乗り込んだ時の、あのやけに歪んだ不思議な色合いの空間、の、ようなもの、という感覚を私は持っているのだけれども、
男 (笑っている)
女 笑うな! 
男 いやー面白くてさ(無感情に)
女 あー早く帰らなきゃ。
男 ああ、そうだ、出口を探さなきゃ。
女 そんなものない。なかったじゃない。さっき散々探した!
男 でも、それって、よくわかんないんだけど、
女 何よ。
男 出口がないってことは、入口もないってことだろ。
女 そうね。
男 じゃあさ、俺たちはどうやってここに入ったんだろう・って。
女 ……あ、ほんとだ。
男 なんかよくわかんないな。
女 ねえ! ほら、あれあるじゃない。
男 何?
女 ほら、瓶の中にさ、船が入ってたり花が入ってたりするやつ。
男 ああ、あるね。
女 あれって、その瓶の口を通る小さい段階で瓶の中に入れてしまって、瓶の中で組み立てたり育てたりすることでできるらしいのね。船の模型なら、パーツごと。お花なら、種の段階で。
男 へえ、博識だなお前。
女 まあね。ってことはよ、ってことは、
男 ああ、つまり、
女 私たちも、もっっっと小さな頃に、目に見えないほどの出口イコール入口からこの空間に投入され、
男 そして培養された・と。
女 そうじゃないかという仮説が立てられるわけ。(大仰に)
男 パチパチパチ(拍手)
女 えへん。
男 はあ。(飽き)
女 そこ! ため息! 幸せ一逃げ!
男 あーはいはい。
女 ね、名前は?
男 え?
女 あんた、名前は?
男 何なんだよお前……俺は、……あー。
女 なに、わかんないのダッサ。
男 カチーン。
女 ま、私もわかんないんだけどね、自分の名前。
男 お前だって、ダッサ。
女 カッチーン! うっさいわ。あ! じゃあさじゃあさ、私のことは○○(役者名)って呼んでよ! あんたのことは○○(役者名)って呼ぶから!
男 何でだよ。
女 なんかピンと来たのよ! 天の声かも!
女 この、天の声、というのは、2008年9月まで日本テレビで放送していたバラエティ番組、天声(慎吾……)
男 言わせねーよ! 何だよ天の声って。○○? ○○? 呼ばないよ。
女 ちぇ。何でよ。
男 俺たちはまだ、何者でもないからだ。
女 え?
男 何者でもない、俺たち。
女 ねえ、それって(どういうこと?)
男 あ。
女 ……なに?
男 あのさ、
女 なに。
男 あいつは? あいつはどこにいるんだ?
女 あいつ?
男 あいつだよあいつ。さっきから居ただろ、俺と一緒に。……えーっと、あいつの名前は?
女 あいつは、
男 うん。
女 あいつの名前は。
男 うん、
女 蛇。

     世界が切り替わる

蛇 呼んだ?

     蛇が鼻歌まじりで林檎を磨いている

女 何か言った?
蛇 何って。君、今ぼくを呼んだろ。だから答えたの。で、何の用?
女 ……あんた、何?
蛇 何って
女 今の、「あんた、何」、って言うのは、まあ所謂一つのダブルミーニングというやつでして、まずひとつは、あんた何者? これは、新世紀エヴァンゲリオンの惣流アスカラングレー的「あんたバカァ?」のノリで発せられると頗るいい感じになるヤツです。そして、もうひとつは、
女 ……それ、何?
蛇 これ?
女 そう、それ。
蛇 これはねえ。……食べる?
女 ……いらない。
蛇 あっそ。
女 食べる……
蛇 そうだよ、食べるの?
女 それ、食べ物なの?
蛇 勿論、そうだよ。知らないかあ、ま、仕方ないけどね。

     蛇、尚も林檎を磨きつつ

蛇 美味しいよ、これは。齧り付くとまず、とても爽やかな香りが鼻を抜ける。ついで豊かな甘酸っぱい果汁が口の中全体に広がりそして、舌の根を震わすような歯ごたえと甘い蜜の調べ。神の果実さこれは。名を、林檎と言う。
女 ……りんご
蛇 そう、林檎。
女 ……。
蛇 食べなよ。
女 え、
蛇 食べたいんでしょ。食べてみたいんでしょ。さっきから君の瞳がそう言ってる。
女 ……でも。
蛇 でも何。
女 それを食べたらいけない気がして。
蛇 いけない? なんで?
女 わからないけど、なんだかとても大きな罪を背負う気がする。
蛇 へえ、賢しらにそういうこと言うんだね。何の知恵も無いくせに。
女 違うの?
蛇 よく知らないや。
女 でも、なんか怖いの。それに、彼に聞かなきゃ。彼がだめって言うに決まってる。
蛇 そう、じゃ、やめとけば。
女 え、そんな簡単に言わないでよ、やめとけば・なんて。
蛇 でも、怖いんでしょ。
女 そう。怖い。
蛇 彼が・怒るんでしょ?
女 そう、きっと。
蛇 じゃあやめときなよ。
女 でも、
蛇 あー。じゃあ、そうだなあ。こう考えてみたらどうかな。怖い、という感情は、その対象物を知らないからこそ生まれる感情・だと。
女 知らないから……
蛇 そう。だから、その怖い、を克服するために、この林檎、を知ってみるために、食べてみる・とか。ね。
女 ……それもそうね、

   女、一度手を伸ばすがすぐに引っ込める

女 あなた、口がうまいのね。口がうまいヤツの言うことは、信用しないわ、私。
蛇 ……あっそー。じゃ、いいよ。ぼくが食べるし。いただきまーす。

     蛇、林檎に齧り付こうとする

女 待って!
蛇 ん?
女 私、
蛇 何?
女 私。
男 痛い。
女 え?

     世界が切り替わる

男 あー、肋骨が痛む。
女 ちょっと、大丈夫?
男 痛い。
女 どんなふうに? しくしくする? ごりごりする? それとも体の芯に響く感じ?
男 わからない、でもなんか、すごく疼く感じだ。
女 まさか折れた!?
男 いや、そこまでは、どうかな、
女 ねえちょっと待って! それってもしかして、さっき私がぶん投げたから? おしくらまんじゅうおされてなくなーって
男 違うよ。
女 やだ、ごめん! もうどーしよー! どーしよー私!!(言いつつ技をかける)
男 ちょ、ちょま、それもっと痛いから!
女 ぬあ!(極める)
男 ギブ! ギブー!!(タップ)
二人 ぜえぜえはあはあ
男 あのなー、お前、いい加減に
女 怒らないでよ!
男 は、
女 優しくしてよ!
男 ちょっと、
女 怒らなくたっていいじゃない! 何で怒るのよ、いつも、いつも!
男 いつもってなんだよ。俺たちさっき会ったばかりじゃないか。
女 ほらまた怒った!!
男 おい!
女 やだー。

     女、泣き出す

男 ご、ごめん、いきなりどうしたんだよ。
女 (泣いている)
男 お前って結構情緒不安定なのな。
女 (泣いている)
男 おーい。おーい。
女 帰りたい。
男 ……え。
女 帰りたい、帰りたいよ私、こんなところにいたくない。
男 帰りたい、か。
女 そうよ、帰りたい。帰りたいよお。
男 なあ、
女 ……何。
男 俺もさっきから、帰りたい戻りたいって、ずっと思っていたんだけれど、
女 ……。
男 そもそも俺たちは、どこから来て、どこへ行くんだ。
女 そんなこと、簡単じゃない、私たちは……
男 どこから来たんだ?
女 ……知らない。
男 どこへ行くんだ?
女 ……わかんない。
男 俺たちは、何者だ。
女 私は、私は……
男 痛い。
女 え。
男 痛いよ。
女 大丈夫
男 肋骨が捩じ切れそうに、痛い。
女 ちょっと、やだ。
男 痛い、痛い、痛い、意識が遠のく。女の声がする。笑っているのか、ゲラゲラゲラゲラ。死ぬのか、俺は死ぬのか、この痛みに殺されるのか……
女 ねえ
男 痛い痛い痛い……
蛇 うん?

     世界が切り替わる

男 痛い、痛い、痛い……
蛇 何を言ってるんだよ君は。そんなに居たい居たいと請われても、もともと君はずーっとここに居るじゃあないか。
男 違う、そういういたい・じゃない、
蛇 え、そうなの。じゃあどういう痛いなの?
男 俺が言ってるいたい・って言うのは、漢字で書くと、やまいだれの中にカタカナのマ書いて用務員さんの用って書いてあるあれ(等々)
蛇 もう一声!
男 学習指導要領的には小学校六年生の範囲に含まれます!
蛇 もう一声!
男 え。(アドリブ)
蛇 へえ~! もう一声!
男 お前の体に直接教えてやろうか
蛇 わかったわかった! ああそう。残念。君はぼくと一緒に居たいわけじゃない・と。
男 当たり前だ。気味の悪い蛇め。
蛇 あーあ。そういうこと言って。いいのかな、教えてあげないよ、痛みの理由。
男 痛みの理由だと、教えろ、教えてくれ、なぜこれほどまでに痛む。
蛇 知りたいの?
男 ああ、教えてくれ。
蛇 それが恐ろしい真実だとしても? 知らない方がマシだった・くらいな。
男 ああ、それでも俺は
蛇 なぜ、そこまでして?
男 怖い、と言うのはその正体を知らないからだ。正体を知ればこの痛みによる言いようのない恐怖も、少しは薄れるかもしれない。
蛇 そこまでして救われたいのかい。
男 悪いか。
蛇 いいや、いいや、だからこそニンゲンは、面白い。
男 黙れ。
蛇 口が悪いな君は。モテないよ。
男 このヤロ、
蛇 産むんだよ。
男 え……? 産む? 何を? 何が?
蛇 君が、君の、
男 意味わかんねえ。
蛇 出産。
男 出産?
蛇 そう、つまりは出産。肋骨の痛みは強くなり続けているだろう? それは陣痛だ。出産に伴う痛み。出産という、生物的にメスであるものにのみ宿命づけられるこの神聖かつ神秘的行為を、これから君は行わなくてはならないんだ。人類初の行いだよ。尊いことだ、とても。誇っていい。
男 そんな、
蛇 わかった? 理解した?
男 わからない、俺には、わかりたくない、
蛇 痛いから逃げるのかい? でも、事実は事実。その君の肋骨の痛みは、厳然とした事実。
男 痛い。
蛇 そう、痛いものなんだ出産は。考えても見ろ、ひとつの命をかけて、ひとつの命を産むんだよ、痛いに決まってるだろう。これから君は。
男 怖い。
蛇 怖い?
男 怖くてたまらない。
蛇 そうかい。
男 痛い、怖い。産みたくない。
蛇 別にいいけどね、でもそうしたら君は永遠に一人だ。
男 一人?
蛇 そう。この果てしないエデンの園で一人。
男 永遠に?
蛇 そう。死ぬまで、その死すら訪れるかわからないほどの無限の時間を、一人。
男 嫌だ! それは嫌だ。痛いのは怖くて嫌だけど、一人なのはもっと嫌だ。
蛇 じゃあ産むんだ。命懸けで産むんだ、命を。
男 なあ。
蛇 なに?
男 それって、どんな感じなんだ。
蛇 どんな感じ?
男 ああ、命を産むということは。命懸けで、命を産むということはどんな感じなんだ。
蛇 わからないよ、ぼくには。
男 ……そうか。
男 エデンと呼ばれるこの地には、多分何でもあったように思う。緑があって、大空を鳥が飛び、鳴いていた。川が流れ、動物がたくさん水を飲んでいた。でもその中で、俺だけが一人で、一人で。わかるか、この孤独が。……孤独、孤独。
男 この感覚を知るまでは、一人でいることは少しも怖くなんてなかったのに。今は。

     女の絶叫
     世界が切り替わる
     女の足元には林檎が転がっている

蛇 どうしたの。
女 ……え。
蛇 どうしたの。
女 私、
蛇 ああ、そうか。
女 違うの、私は、何も、
蛇 食べたね。
女 違うわ、食べてない
蛇 隠さなくていい。正直に言うんだ。
女 私は、
蛇 彼に怒られるのが怖い?
女 怖い。
蛇 彼に嫌われるのが怖い?
女 怖い。
蛇 ねえ、聞いてもいい?
女 ……何を、
蛇 そのさ、彼・って、誰?
女 彼は、彼よ! 私の、
蛇 美味しかったろう、禁断の果実は。
女 知らない、
蛇 クセになるだろう、その甘くて酸っぱい魅力的な味。心配するな。これからはいくらでも食べていい、だって、
女 何よ、
蛇 もう、一度食べてしまったからさ。あとはいくら食べても一緒。罪は罪に変わりない。だから、これからはいくらでも食べていい。(笑う)
女 知らないわ、食べてないもの。
蛇 嘘という知恵まで手に入れて。
女 食べてない。
蛇 食べたね、
女 食べてない、食べてない、食べてない……
蛇 背負ったね。
女 え?
蛇 食べて、背負ったね。
女 ……何を。
蛇 原罪。贖うことなき全ての罪の根源を。
女 なにそれ。だってあなたが食べろって、
蛇 背負ったね。
女 違う。
蛇 違わない。
女 嫌。
蛇 贖い続けろ。その身をもって、これから永劫続く世界の終わりの日が来るまで。
女 わからない、私には何も。
蛇 嘘だ。
女 え
蛇 わかってるはずだよ、君は。だって食べたんだから。知恵の実を。
女 知恵の、
蛇 そうだよ。知恵の実。わかるね、わかるだろ。贖えよ、永遠にさ。
女 いや、いやよ、そんなの
蛇 君に拒否権はない。
女 いや、いや、いや!!
男 おい、

     世界が切り替わる
     女、蹲っている

女 やめて、怖い、やだ、
男 どうしたんだ!
女 ……え、
男 大丈夫か
女 ……私、何を
男 いや、いきなり叫んで、蹲って。だから俺は、
女 ……そっか。
男 え?
女 わかっちゃった。
男 ……何、が?

     女、立ち上がる

女 ……ねえ。
男 どうした。
女 ねえ、言ってもいい?
男 ああ。
女 ……私、わかっちゃったの、わかりたくもないのに、わかっちゃったの。
男 何を。
女 ここが、どこか。
男 それは。
女 私が生まれる前、あなたが私を産む前。束の間の時間の邂逅。最初で最後の、何者でもないあなたと、私の。
男 何者でも、ない。
女 そうよ、だってこれから私はイブになる。望まなくともイブになる。そしてあなたは、
男 ……ああ。
女 望まなくとも。
男 そうか。
女 私たち、船でも、お花でもなんでもなかったね。
男 しかし、遠からずさ。
女 どういうこと?
男 世界の始まり。俺たちが、生きる世界の、始まり。小さな瓶ほどの大きさの。それだけのこと。
女 そう。
男 そう。そうだ、……君が、俺の肋骨から生まれてくる、俺の、片割れ。なんだな。
女 そう。
男 そしてこれから俺たちに待っている未来・も。永遠に背負い続ける罪のことも。
女 ……そう。

     女、蹲って泣き出す
     男は呆然と見つめている                                                蛇、その様を眺めているが、                                                   ふいに何者かの視線に気付く

蛇 おや旦那様、どうされました。 ……退屈、ですか。 何を仰います、これから・じゃないですか。これから。あなたの退屈を紛らわすために用意された幾つもの箱庭、取るに足らない小さな世界。そのうちのひとつ、地球の世界が始まりますよ、さあ、これから。
ねえ旦那様、あなたは考えたことはおありですか、どれだけの命が、どれだけの罪を抱え、生まれ、生き、そして死んでいくのかを。その全てが、あなたの退屈を紛らわすだけのために……
 ……出過ぎたことを申しました。それでは。どうぞゆるりと、ご覧ください。


     蛇、何者かに向かい一礼
   男、女に近づくと手を差し出し、                                            女はその手をゆっくり取る


男 大丈夫?
女 ……大丈夫。多分。
男 そうか。よかった。
女 ……あなたこそ、大丈夫なの。
男 俺?
女 そう。
男 ああ、大丈夫だ。多分。
女 怖くはないの。
男 何が。
女 これからのことがよ。私を、産むこと。あなたの命を懸けて、私の命を。
男 怖い、勿論怖い。痛いのは嫌だ。命を生むために命を落とすことになるかも知れない。それも怖い。すごく怖い。でも、怖いけど、しょうがないだろ。
女 そうなの
男 ああ。一人より。この原野をたった一人で生きていくことに比べたらそれは随分とマシだ。
女 そう、じゃあ、私も、
男 お前は怖くないのか。
女 怖く……
男 ああ。
女 怖いけど。罪を背負うことは、罪を贖い続けることはとても怖いけど。……だって、これから、私たちの後に生まれてくる全てのニンゲンの、罪を背負うことになるのよ。それはとても怖いもの。でも、それでも私は。
男 そうか。
女 ……だって、一人じゃないもん。
男 そうだな。
女 あなたが、いるもん。
男 ああ。
女 ねえ、終わるために、始まろう、私たち。
男 ああ。

     二人、穏やかに微笑む

女 あ。

     名残惜しげに手が離れる
           二人の距離は少しずつ離れていく


男 ……どうした。
女 ねえ、私生まれる。
男 そうか。
女 うん、生まれる、生まれるね私。
男 何のために。
女 大きな罪を背負い、そしてその罪を贖うために。
男 そうか。
女 そして、あなたの隣に寄り添うために。
男 そうか。
女 うん。
男 それでいいのか?
女 うん。それでも生まれたいの、私。
男 そうかい。
女 うん。生まれたらきっと、大きく息を吸うわ私。そして大きく息を吐くの。その吐息は羊水から生まれでた赤ん坊の最初の泣き声のようにこの世界に満ちるの、きっと。
男 そうだね。
女 うん、生まれる、生まれるね、私。
男 ああ、おいで、この世界へ。これから始まるこの世界へ。その先の全てにつながる箱庭の世界へ。


     二人、正面に向き直る
   朝日とも夕日ともつかぬ明かりが広がる


男 見えた?
女 見えない。

男 ……見えた?
女 見えない。
男 ……見えた?
女 ……見えない。
男 見えた?
女 ……あ。見えた。
男 何が?
女 ……私、

女 その時、私の世界の始まりに、私は大きな泣き声をあげました。羊水という命の水を奪われ、安寧の胎内を追い落とされ、私は大きな声をあげました。それはきっと驚いたからです。空気のあまりの冷たさに、私の生まれたばかりの柔らかな肌はまるで突き刺されるようでした。針の雨、針の雨、幾千も降り注ぐ針の雨。でもそれすらも心地よかった。私は生まれたんです、世界に。私は生きていくんです、世界で。ひとりじゃない、ひとりじゃない、例えこの身に贖いようのない罪を背負うのだとしても、そのせいで限りある命を定められるのだとしても、それでも私は、
男 ひとりじゃない。俺はひとりじゃない。この広大なエデンの園で、俺と同じ形を持つもの、俺と同じ心を持つもの、俺と同じ孤独を分かち合えるもの。俺の肋骨から生まれた命。求めてやまなかった俺の片割れ。俺と同じ罪を背負う命。背負おう、君のためならば俺は背負おう、決して贖われることのない罪、知恵の実を食らったという罪を。その罪すらも愛おしい、終わるための始まりの、これから続く幾星霜、連綿と繋がる命の円環、これがその始まり、これがこの箱庭の創世記。この世界の創世記。さあ目覚めよう、終わりに向かって。これから始まるこの箱庭の世界を生きるために。


     僅かな間


二人 おはよう。

蛇 これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう
 小さな小さなこの世界、神の掌、ハコニワの、上で踊るは土くれの、最初と最後の、物語。生まれて生きて、死んでいく、哀れで愛しい、物語。
 おはよう、ございます。


     舞台は徐々に暗転

     幕

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