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死んだじじの回想2

私が病院へ行ってからじじが死ぬまでがどうしても書けなかった。おそらく、その一連の状況が鮮明すぎて解像度が高くて思い出すのに負荷があった。ワインのようにしばらく寝かせて熟成していたのだと思う。また、何度も思い出して記憶が歪むのが嫌だったから意識的に思い出さないで書かないようにしていた。忘れはしないと思うけどいい塩梅に記憶の鮮やかさが落ちてきたので回想の続きを書きたい。
前回はこちら
死んだじじの回想

じじ危篤の日

木曜日。お昼の12時になる前、仕事をしているはずの母がすごい勢いで帰ってきた。「危篤になった」と病院から電話が来たらしかった。自室から喪服、泊まりのポーチなどいつの間に準備したのという量の荷物を大きなバッグに詰めていた。「あんたはどうする!?すぐ出れるなら一緒に来る?」と母は廊下をかけながら言った、けど私は迷っていた。人の死が怖かったのだと思う。それに朦朧としたじじに会っても、もう私を分からないかもしれないだろうしどうしようもないと思っていた。
その日は何も予定がなかったから私は部屋着のままで、お昼ご飯を食べようかなとか考えていた時で今すぐ適当に着替えて一緒に付いて行くのもできたけどやめた。 春休みの真っ最中でさっきまでグースカ寝ていた妹もすぐに出発できなさそうだったし、躊躇ってしまった。いってらっしゃいと母を玄関で見送って、すぐに「気をつけてね」とLINEで連絡した。
16時に母から返信が来た。
「やっと息してる」「今晩泊まると思う」
「よかった、まだバタバタしてるのかな」と私。
「ケセラセラを流すと手をあげるんだよ」
写真が送られてきた。顔が黄土色でむくんでいて、たくさん管につながれたおじいちゃんがいた。嫌だった。怖くてしっかり見たくなかった。お母さんが顔を近づけて目を細めて笑っているような顔でおじいちゃんとツーショットしていて、まだ近くにいない私にはその行動が理解できなかった。
私は必死に「お母ちゃんとばばが隣にいて、きっとじじはすごく嬉しいし安心してるよ」なんて言葉を送った。夜にまた連絡して母が「おやすみなさい」と言ったのに少し話を続けた。再度おやすみを言われてから「おやすみ」と返信した私の心情はメモしてなかった。単に見落としていたのか、話がしたかったのか。

金曜日、私と妹が出発する

母はまたすぐ帰ってくるものだとばかり思っていた。よく実家に顔を出していたしおじいちゃんは何度も体調が悪くなっては元気になり、を繰り返していたような人だったから今回も案外大丈夫じゃないかという甘い認識が私にはあった。

朝起きて、母からメッセージが届いた。目、鼻、口と言った穴からずっと血が出て止まらないらしかった。
「一晩中鼻血を拭き取って朝になったよ😅今、おにぎりだべて🍙コーヒー飲んで一息ついた。」
誤字と絵文字混じりの私あてのメッセージは、母親という日常に戻ろうとする気持ちと親の苦しんでいるさまを目の当たりにした動揺が現れているようだった。11時には「薬を使って眠るように逝かせる事にした、明日葬儀になるから来てほしい」とメッセージが来た。
文章の中の言葉で死なないでと相手に願うような段階じゃないとわかった。母も祖母もどれほどの覚悟をしたんだろうと考えた。出発の準備をしていたら「ばばとも話したんだけどあなたたちには今日中に来てほしいかも」と連絡が来て、了承した。

寝ている妹を起こす。喪服と宿泊の準備。一人暮らしをしている妹にも電話で話しながら慌ただしく準備をする。私たち姉妹は平静を装いながら動揺していた。末妹はまるでこれから渋谷のスクランブル交差点に繰り出すかのような濃いメイクで、武装しているようだった。メイクの途中で少し薄くしなと言う。出発する前に実家を離れて大学先の方に戻っていた次女に「じじだめそう、どうする?」と電話した。次女は電話にすぐ出ないタイプなのに今回はあっさり通話ができた。私は葬式だけでも来てほしいと思っていて色々迷ったけどコロナの緊急事態宣言が出た直後の事だったので断念した。
喪服が特に大変だった。数日前に母から万が一こんなこともあろうかと、と大まかに服の場所だけ教えてもらっていたので大体は揃ったのだが、パンツしか見つからずスカートの方がいいのかとか、妹の制服のリボンだったり、靴だったり細かなマナーが気になってしまい気が散った。結局私はスカートだけ違うスーツから拝借し薄くストライプの入ったものをバッグに突っ込んだ。父にも連絡を取りつつ適当にメイクをする。なんとなく緊張していたと思う。
父は、仕事が片付き次第向かうことになった。私がそう誘導した。本当にそれでよかったのかいまだに悩む。まだ死んでいなかったので葬儀がいつになるかわからなかったこと。葬儀自体が非常に小さい家族葬を予定していること。仕事があるから来ても一旦帰る事になる。別居中で久しぶりに会うことになり、話をすると喧嘩になって傷つきあうしかなかったので動揺している母と合わせたくない。など。もちろん父の行動は父に任せるというのが大前提といてあるけれども「少なくとも通夜から行きたい、行くべき」と父が言ったのもあって「仕事があるなら明日でもよさげ?とりあえずうちらは暇だから行くかなあ」と伝えた。父は結局、義理父の死に目に間に合わなかった。

ボサボサの髪も整え、服も着て、母から持ってきてほしいと頼まれた市販薬も準備し終えて朝食の食器を急いで洗う余裕も出てきた。ここから病院まではおばあちゃん家より近く、2時間ほどでつける。ただ電車やバスの本数が少なく乗り過ごすと大幅にタイムロスが出てしまう。初めて行く場所はなおさら乗り過ごしが危ないのでお昼ご飯は食べずに家を出た。

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