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【書評】京都に行きたくなる短編3選

※2/4 画像を追加。

昨年の後半は仕事で毎週のように京都に行っていたため、読む本もおのずと京都を舞台にしたものが多かった。そんな中から、読むだけで京都に行きたくなる短編を紹介します。

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①有栖川有栖「除夜を歩く」

良い素材に良い調理だけで、小説はじつに面白い。

遡ること30年前以上前、1988年の大晦日の京都を舞台にした短編。

ハッキリ言ってしまえば、本作は実にゆるい。

京都市の今出川にある架空の大学「英都大学」(作者の出身校の同志社大学がモデルだろう)のミステリー研究会に所属する有栖川(作者の写し身)と、先輩の江神の二人が約70ページにわたってひたすら駄弁る話だ。

本作は有栖川有栖の「江神二郎シリーズ」の1エピソード。作中作の謎解きが主軸にあるため、一応ミステリー小説に分類もできようが、実際はなんでもない日常の一コマを切り取った日常系に近い。

作中時点では天皇陛下のご危篤が報じられているのみで確定していないものの、1988年の大晦日は、翌年1月の天皇崩御に伴い、昭和最後の大晦日となった。

昭和から平成へ、まさしく時代の移り変わりを迎える中、登場人物たちは実にマイペースに過ごす。

ミステリー研究会の望月(本作には直接登場しない)が創作した「仰天荘殺人事件」の謎解きに有栖川が挑戦し、江神は有栖川にヒントらしきものを与えながら、飄々と「本格ミステリが内包する根本的な問題」(どこまでいってもミステリの謎解きはロジカルさを欠く)を論じる。

夜も深まった頃、二人はおけら火(護摩木を焚いた火)を貰いに、八坂神社へ出かける。江神の下宿のある今出川から、八坂神社までは歩いておよそ1時間。碁盤の目状の通りを南下して、四条大橋で鴨川を渡って東山へ。

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鴨川(夜)

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八坂神社

知恩院や南禅寺の除夜の鐘に耳を傾けつつ、おけら火を下げて歩いていく。もちろん、相変わらずミステリについて淡々と論じながら。

仕事で毎週のように京都に行っていた時期、私もしばしば京都の街をぶらついた。碁盤の道を縦から横から、とりとめもなく歩く楽しさを、本作からも感じることができる。京都の風物と景色と、ちょっぴりの衒学。それだけで小説は、とても楽しい。

ところで作中、次の年号(つまり、平成)を推測できないかと有栖川が江神に問いかけるシーンがある。

江神はずばり的中は不可能としつつも、巧みなロジックで次の年号のイニシャルは本命Kで対抗「H」とみごと当ててみせた。

一方で、賭けに不利として「R」を外していた。作中の時点からおよそ30年、平成の次の年号がRから始まる令和になるととは、江神の慧眼でも読みきれなかったらしい。まさしく事実は小説よりも奇なりと言うべきか。

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②山尾悠子「月蝕」

高熱のときに見る夢のような奇譚

山尾悠子。唯一無二の独特な作風で熱狂的なファンを抱え、10年以降に及ぶ長い休筆期間のため伝説的な存在※と見做されていた幻想小説家に出会ったのは、全くの偶然だった。
※2000年頃から執筆を再開

当時私は海外出張が多く、出張の際は必ず行きの空港で機内の暇つぶしに読む本を買うことにしていたのだが、書店でたまたま目に入ったのが、本作を含む短編集「増補 夢の遠近法 : 初期作品選」だった。

山尾悠子作品はとにかく、重い。使う言葉がややこしすぎるとか、目を背けたくなるようなしんどい心理描写があるわけでもない。話の筋は簡単で、この世のどこにもない架空の世界が、何らかのイベントによってカタストロフィを迎えるというもので、終わりは実にハッキリしている。それにもかかわらず、あまりに解釈の難解な世界観に圧倒されてしまう。

そんな作品群にあって、この「月蝕」はさらに異色の作品である。

京都市の上加茂の安アパートに住む大学生の叡里(あきさと)は、帝塚山に住む従姉から半ば押し付けられるように娘の真赭(ますほ)を一日預かることになる。

聡明だが気が強く我儘な11歳の女の子である真赭はいろいろなところに行きたがり、実によく食べ、時々自分が見るという不思議な夢の話で叡里を困惑させる。

叡里はなんとか真赭の世話を女友だちに押し付けようと、合間を縫って電話をかけまくるが、何回かけてもつながらず、市内を歩き回っても知り合いの一人も見つからない。

最後は河原町でいなくなった真赭を探して、叡里は深夜の八坂神社へたどり着く。彼女を寝かしつけて落ち着いたのもつかの間、明朝、叡里の部屋から真赭は忽然と姿を消してしまう。真赭を探す叡里は部屋で衝撃的なものを発見する———

クライマックスにはショッキングな描写が拍子抜けなほどひょいと差し出されるので、これはぜひ原文で楽しんでほしい。

「月蝕」は作者が京都の同志社大学在学中に書かれた作品(また同志社だ。多いな)で、店名はともかく地名は実在のものだ。

地に足のついた舞台設定があるからこそだろうか、作中、段々と現実と幻想の境目が曖昧になっていく様が如実に感じられる。

とはいえホラーとも、幻想小説とも言い難く、ジャンル分けすら困難な奇譚としか言い様のない物語。熱のときに見る夢のような、舞台や登場人物は実在なのに、おかしな筋の物語を読まされているような感覚を覚える。

歴史と伝統が今に息づく京都の街は、外の人間からすると、平日のなんてことない時間帯でも、どこか非日常感を覚えないだろうか。その感覚を極限まで増幅したのが、本作なのかもしれない(山尾氏も岡山の出身である)。
そんなことを考えながら叡里と真赭の歩いた河原町界隈を歩いてみるのも、きっと乙だ。

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三条大橋

それにしても山尾悠子は本作について、「地図をなぞっているうちに何ともお気楽な小説ができた」(「増補 夢の遠近法 : 初期作品選」自作解説)と宣っているが、これを「お気楽」と呼べるのは彼女一人だけだろう。

ちなみに本作は1976年発表だが、鴨川の河原に屯する人々を指して〈一メートル間隔のアヴェック〉と称されていた。「鴨川等間隔の法則」は、40年前の昔から変わらない。

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③森見登美彦「宵山劇場」

また阿呆なものを作りましたね、と明石さんならきっと言う

※本作は連作の一エピソードなので厳密には短編と言えないかもしれないが、エピソードごとに完結しているのでセーフ。セーフったらセーフだ※

京都の三大祭りの一つ、祇園祭のクライマックスとなる山鉾巡行の前夜「宵山」では、普段は車の往来する四条烏丸辺りが歩行者天国となって露店が並び、路地に豪奢な山鉾が立つ。平素から観光客で賑わう中心部に普段以上の人が押し寄せる。

本作は森見氏の連作「宵山万華鏡」の一エピソードで、この前に置かれている「宵山金魚」の舞台裏・メイキングという位置づけだ。

本作の主人公は劇団で裏方を務めていた大学生の小長井。劇団のとある大仕事で美術担当に振り回されたことで疲労困憊してリタイアし、悠々自適(と書いて、グウタラと読む)に過ごしていた。

そんなある日、同窓の丸尾から、「乙川」なる人物が友人に対して「偽祇園祭」なる一大ドッキリを仕掛けるという話が舞い込む。

阿呆の遊びに巻き込まれた小長井は、風呂敷を広げに広げる乙川、仕事から要領よく逃げ出すことに定評のある丸尾、迸る異様な情熱で小長井を疲労困憊させ劇団からリタイアせしめた張本人の山田川といった個性的な人物に振り回されながらも、物品調達係(兼雑用係)として奮闘する。

宵山が舞台で幻想のエッセンス、極めつけに作者が森見氏とくれば、勝ったも同然。面白いに決まっているが、本作は宵山直前の京都の空気感を実によく描き、また青春小説としてもしっかりとした仕上がりを見せてくれる。

「結局のところ、自分がもっとも熱意をもって日々活動していたのは、あの劇団時代だけだったと小長井は知った。(中略)小長井のエンジンは、山田川敦子無しには起動しないのであった」

実に青春ではないか。

「宵山万華鏡」の各エピソードはそれぞれ異なる雰囲気を帯びながら互いに強く連動しているので、作品ごとのつながりを読み解くのも一興。ちなみに本作は作者の別作品「夜は短し歩けよ乙女」とも世界観を共有しており、同作のファンも必読である。

去年は仕事で祇園祭の時期の京都にいたのだが、日程の都合で残念ながら宵宵宵山(山鉾巡行の3日前)までしか滞在できなかった。四条烏丸の路地には山鉾が並び、祭の雰囲気が日常に染み出し始めていた。

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山鉾

今年も祇園祭を訪れよう、そして今度こそは宵山を見てやろうと今から画策している次第である。

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ここまでお読みくださりありがとうございました!

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