本感想[ハコブネ、月と散文、蘇える変態]

村田沙耶香 「ハコブネ」
自分を何かに当て嵌めていたい、そうして安心していたい、自分だけではないと思いたい、そう思いつつもはみ出てしまい、調べても調べてもカテゴライズされない自分の性に名をつけようもがきながらも向き合い続ける里帆、その性への固執に息が詰まりそうになる。「新しいスタイルを自分が発明しちゃえばいいんだよ」とさらりと言う知佳子は男だか女だかの性の固定概念から超越したある種の宗教的価値観をお持ちで、世間の常識の枠から解かれた知佳子からすれば里帆や椿の性への執着は到底理解し得ないものなのだろうし、だからこそ棘のある性格である椿と知佳子はぶつからずに良好な関係で居続けられたのかな、と少し思った。
正直、村田ワールド全開すぎてついていけなかったが女性作家さんはよく自分の性と向き合う小説を書かれる方が多いなと改めて感じた、自分は男としての性に疑問を持ったことがないので、男性視点のこういう小説を読んでみたい。
漫画だと押見修造先生の「おかえりアリス」とかも性からの解放みたいなものを描いてるけど、思春期の性の拗れをメインに描いてるように思えるからまた別なのかな、、、

又吉直樹 「月と散文」
東京百景が好きだったので買った。面白かった。大好き。
綾部さんとの距離感がいいな。
今回のエッセイ本も言わずもがなで面白かったけど、東京百景の「池尻大橋の小さな部屋」という一編には個人的に敵わなかった。売れない若手時代に太陽のように献身的に支えてくれた女性との思い出を綴ったエッセイ。芸人としての夢は叶っても、叶わなかった彼女への恩返し。懐かしの情景を思い浮かべながら何気ない日常へと思いを馳せる。読後に感じる謎の浮游間にやられた。一番ええ読書した。泣いた。久しぶりに読み返したら沁みた。

星野源 「蘇える変態」
この頃の星野源が特に好き。懐古厨だと思われてもいい、俺は「くせのうた」や「くだらないの中に」が星野源の曲で好きだ。中学生の頃にこの2つの曲に出会った。特に「くだらないの中に」が好きだった、恋だの愛だの何も分からない、女の子とまともに目を合わせて話せない思春期過ぎる自分にとって「くだらないの中に」という妙なリアリズムを感じさせるラブソングは衝撃だった。首筋の匂いがパンのようすごいなあって讃えあったり、くだらないの中に愛が、人は笑うように生きる。これが愛!?と自分の知識の範疇を飛び超えた描写の数々に悶えた。LIFEでコントやってる面白いお兄さんから、色気プンプンな歌詞と歌声で魅了させてくる謎の魅力を醸し出す男という評価に自分の中で落ち着き、星野源の虜になった。
マンガとアニメについて語るエッセイが個人的に共感する部分が強くあった。星野源さんが小学生の頃に宮崎勤の連続幼女誘拐殺害事件が起こり犯人がオタクであったことから、オタク趣味を持っていた自分もそのような一面を持っているのではないかと殺人犯と自分を混同し強烈な不安に苛まれ、自分を迫害したトラウマから同じ趣味の同級生や先輩が現れてもトラウマから趣味を隠し、好きなものをまっすぐ好きと言える友人をその趣味が一般的でないと馬鹿にし、道を踏み外してしまった過去があった、と綴っていた。
この話まじで共感しかない。自分も中学時代に漫画が凄い好きでワンピースの考察動画をずっと見てて、ワノ国と聞こえた瞬間に急に自分の考察を喋り倒し相手に引き攣った相槌を打たせてしまった過去がある。相手があんま興味ないことを自分ばっか喋って場の雰囲気を変にさせてしまったことのトラウマ。これがいつの間にか、オタク趣味を持っていたからこうなったのだと混合させてしまって、興味あってもオタクっぽいものから避けようと逃げ続けてしまった。
星野源さんはこう言っている。
「飽きたならすぐに止めればいいが、好きなのなら、止めるべきでない。」
自分にとってのまっすぐな道が回りとズレていて悩み、私のように道を踏みはづした同志である星野源さんのこの言葉がめっちゃ沁みた。世間体を気にせず好きなものを好きと言っていこうと思った。話に加わりたいけど、あの時のトラウマで輪に入ることに対しての抵抗があった。中途半端な自分。好きって言いなよ、、、好きなら。そんな自分と同じように悩んでた人が居たなんて、、、救われます。