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手作りの愛情表現

遠い昔を思い出してみた。

物心ついたときから、私たち家族の洋服は、料理やおやつと同じように母の手作りだった。そんな生活が当たり前だった小学生の頃、友達が既製品の洋服を買ってもらったという話を聞き、心の底から羨ましいと思ったものである。

思春期になって憧れのジーパンを買ってもらい、ようやくみんなと一緒の世界に行けたような嬉しさがあった。

その後も母の作品づくりは終わらない。それは、彼女が高齢になった今も続いている。時間を見つけては、せっせとミシンに向かい、時には台所での創作にも勤しみ、今日も誰かのためにと愛を込めた作品を作り続けている。

今思えば、オーダーメイドとはなんと贅沢なことだろう。


大人になった今ならそう思えるのに、若い頃、ファッション性にこだわりが強かった私は、母の手作り作品を好きになれなかった時期がある。ブランド物に憧れ、あらゆる冒険もしてきた。

人生後半になり、ふと今日のファッションに目をやると、私は母の作ったバッグをコーディネートしている。身体への当たりが優しいから。思うところにポケットが付いていて使いやすいから。それもそのはず。母は私の使い勝手を考えて、このバッグを作ってくれたのだ。

思えば、「ハンドメイドの生地は身体に優しいからね。」と何度聞いたことだろう。手料理だってそうだ。保存料などは入っておらず、どれも栄養バランスが良い身体に優しい味だ。彼女はいつだってそうだった。オーダーメイドの作品も、手料理も、すべて“使う人”、“食べる人”のことを思って作っている。そこには、温かな想い<愛情>がたくさん詰まっていることがわかる。母の想いに触れた瞬間、温かい気持ちが込み上げてくる。

この歳になって改めて思う。

親から子への愛情には、様々な表現方法がある。誰かの愛情表現は、子供にたくさんのお金を残すことかもしれない。他の誰かの愛情表現は、子供を色々な場所へ連れて行ってあげることかもしれない。

私は、決して裕福な家庭には生まれなかった。幼い頃、色々な場所へ連れて行ってもらった記憶もない。ただ、こんなにもたくさんの愛情をもらっていることに気づくことができた。それは、どんな愛情表現にも増して、母からの愛を感じることができるのだ。

手作りとは、なんて素晴らしい愛情表現なのだろう。

どの人にも、母の愛を届けたい。私は母の想いを引き継ぎ、自身の娘へ託すことにした。

どうか、この世界が愛で溢れますように。

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