私自身の話Part2

歳を追うごとに私は実家を出たくて仕方なくなった。どうやって夫婦喧嘩を聞かずに自分で決めて自分で生きる1人で暮らしたかった。

大学受験の頃、1つの問題が起きます。

模試中に私は椅子から落ちました。直前に考えるために肘を着いたんですがその時に手についてる(時期が夏だったので)日焼け止めの匂いを嗅ぐと頭がクラっとしたのを覚えています。

その年の正月にも大衆浴場の脱衣場で真っ裸で倒れましたし、3月の(吹奏楽部の)定期演奏会の練習で帰る時間が遅く、父親に肩をもんで貰った時も意識が飛んで倒れました。

倒れた時に共通して言われたのが、伸びていた(あくびをするように)、痙攣していたということ。母親は心配して脳神経外科を受診しましたが、てんかんの疑いという診断に終わり、一応薬も処方してもらいましたが眠くて仕方なくただでさえ寝不足の私にはきつかった。授業中寝て先生に怒られる毎日。

早く何とかして1人で生きたかった。誰にも何も言われず自分で決めて生きる人生を歩みたかった。それだけでした。

受験勉強のつらさの反動から、ケータイで出会い系サイトに登録し20人以上の男の人とメールしたり電話したりする毎日。すぐに充電は切れ充電器を持ち歩く日々。

挙句の果てにはケータイ代が高いと怒られ、出会い系の人とのやり取りを見られる。

私の逃げ場がなくなり、ついに発狂。部屋に響く時計の秒針の音が迫ってきて過呼吸になり心療内科を受診。もしかしたら、双極障害かも?と言われ頓服を処方。

この時点ではまだ疑いとかかも?も状態でしたが、大学進学を機に状態は最悪な結末を迎えます。


この先はまた次回で。

長々とすみませんでした。



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