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こころづもりゲームってなんだ?

大人とこどもの青空カフェ」を主宰する及川佳代ちゃんに
「こころづもりゲームをやるよ!」と誘ってもらい、参加しました。
今回の会場はさくさぽ(佐久市市民活動サポートセンター)
佐久総合病院 地域ケア科 看護師(うすだ健康館フロアマネージャー)の井出美由紀さんにレクチャーいただき、子育て中のママ7人でゲームに挑戦。

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こころづもりゲームは、人生の最期を考える終活のひとつ。
こころづもりとは、心の中であらかじめ考えておくこと。
いただいたプリントにはこんな言葉が。

こころはゆれうごく
    こころづもり
    こころがわり
    こころのこり

こころはゆれうごくもの。だから、こころがわりはあってもよい。でも、人生の最期にはこころのこりがないように。こころづもりをしておく。
そんなふうに解釈しました。

いままでの死のイメージ

「病気を克服することが勝ち」
これまでは、そんな考え方が当たり前だった。
だけど、人間の死亡率は100%。
ひとは絶対に亡くなる。
だとすれは、みんな死ぬ=みんな負ける、ということだろうか?
それはちがう
死は、敗北ではなく、人生の集大成。
人生の終末期ではなく、人生の完成期。
そんなふうに捉えてみよう、というのがこころづもりの第一歩。
死は、自分の敗北の姿ではなく、完成の姿。

死を考えることは、いかに最期まで生ききるかを考えること。
ひとりで考え込むよりも、ひとと話し合うことをおすすめしているそうです。
その場で、自分の死のイメージが決まらなくてもよい。
だけど、他者との話のなかで、引き出されるものがある。

決めなくてもいいから いっぱい話をしよう。
繰り返す 話し合いの先には
きっとみんなでうなづける 未来がある。
「人生会議」しよう。


うすだ健康館オリジナル「こころづもりゲーム」

人生の最期について書かれた、35枚のカード。
「尊厳が保たれる」「余命を知りたい」「信頼できる主治医がいる」「家族の負担にならない」「いい人生だったと思える」「認知症であることを周りに公表しても良い」「人生の最期を一人で過ごさない」「呼吸が苦しくない」などなど。

どんなふうに人生を終えるかを、カードを通して考えていく。
無作為に配られたカードを、より自分の考えに近い内容のカードと交換しながら、納得いく5枚をそろえる。そしてその中からベスト3枚を選ぶ。

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「尊厳」ってなんだとおもう?
大切にしたいのは家族?仲間?自分?
お墓のこと、お葬式のこと。

そんなことを、参加者同士ではなしあう。
話し合うというか、言葉の定義ってやっぱりみんなちがう。
それぞれの解釈を聞きながら、ほうほう、なるほど、と感心するだけでも。

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最期に「今日のこころづもり書」を記入。
あくまで“今日の”こころづもり。

その時の心の状態や、身体の状態、参加するメンバーによっても
選ぶものはきっと変わってくる。
それでいい。
こころがわりはあるものだから。

こころづもりゲームのあと、井出さんが「たいせつなこと」という絵本を読み聞かせてくれた。
自分が自分である、とはどういうことだろう。
物語を聞きながら、亡くなるときに残るもの、意識しなくても存在するもの、みたいなことかなあ、シンプルな自分ってなんだろうな、と思いを馳せた。

さて、この「こころづもりゲーム」。子どもが小さいうちに、夫婦で話してみたいなと思った。
でも二人きりだときっと息が詰まる。だから、誰かがいてほしい。いくつかの家族が集まるのもよさそうだな。いろんなひとの話が聞きたい。

今日はファシリテーターの井出さんの存在が、こころづよくて、あたたかかったです。お忙しいところありがとうございました。
そして、企画してくれた佳代ちゃん、誘ってくれてほんとうにありがとう!

これから、佐久地域で広めていきたい活動とのこと。
こころづもりゲーム、気になる方はご連絡ください!

ゲームを作ったうすだ健康館のHPはこちら。
今回の会場は、さくさぽ(佐久市市民活動サポートセンター)
今回の主催者は及川佳代ちゃんでした。

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目に触れられず流れていく宙ぶらりんなローカル情報を囃し立てて、自分の住む地域ってなんかいいな、誇らしいな、暮らしやすいな、と感じられる循環を作り出したいと思っています。(team OHAYASHI細川敦子)