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プライドという言葉から逃げ回っている。

わたしはプライドがない人間です、ってへらへらしているほうが、いろんなものに巻き込まれないですむし。みたいな気持ちで「プライド」という言葉から逃げまわっていた。

でも、それほどに執着があるってことだよね。プライドが高い人間だと思われないようにしなきゃ、という感情の裏返しだ。

たしかにプライドが行動の邪魔をすることはある。誰かを認められなかったり、頼れなかったり。

でも、プライドから逃げよう逃げよう、と思うと、あらゆるプライドが目に付いて、勝手にエネルギーを消耗してしまう。自滅です。

必要以上に意識してしまうのは、それが、過去への執着に思えてしまうからで。
そんなの、わたしの勝手な決めつけなのにね。

プライドがあるとだめなの?
プライドがあるからできることもあるし、踏ん張れることもある。

うーん。

ならば、いったん、プライドを受け入れてみる。
「わたしは、プライドのある人間である。」

うーん。

しっくりこないな。と、自分の落としどころを探していたら、

「未来の自分にプライドを持つ」
という言葉が降ってきて。

ああ、そうか。
プライド=過去

と勝手に決めつけているせいで辛いのであって、
未来の自分を信じる、みたいな意味なら、しっくりくる。

…ような気がする。

届いたイスの話をしようとおもったのだけど、
日々のあれこれがたのしくて。また明日。

7月の夕焼け。最近はすっかり日が短くなりましたな。


目に触れられず流れていく宙ぶらりんなローカル情報を囃し立てて、自分の住む地域ってなんかいいな、誇らしいな、暮らしやすいな、と感じられる循環を作り出したいと思っています。(team OHAYASHI細川敦子)