立憲主義の成熟のために憲法議論は必要だ

皆さんゴールデンウイークはStayHomeしてましたか?お久しぶりです。松竹梅です。今日は憲法にまつわる話。日本は民主主義国家であり、立憲主義に基づいて法律が定められている。立憲民主党という政党は今野党第一党である。私のnoteやtwitter上で批判の対象になることが多いが、彼らは立憲主義を党の理念に掲げている。この立憲主義とはどういうものなのか?少し長いが説明している。法の支配にも関連しているので少し長いが読んでもらいたい。

立憲主義とは民主主義の原則の一つであり、政府の統治を憲法に基づき行う原理で、政府が人を支配する権威や合法性が憲法によって制御されていることを意味する。すなわち権力の上に憲法が存在するということである。

よく法の支配という言葉が民主主義の性質を述べる際に出てくるが、同じ法の支配であっても悪法(ここでは最高法規である憲法に反するものあるいはその国の慣習法に反するもの)であっても法律である以上有効であるという、法律という形式を重視する形式的法治主義では法による正当な支配であるとは言えないだろう。なぜなら憲法に基づかない法律があるのなら立憲主義だとは言えないからだ。わかりやすい例を見てみよう。

読者の皆さんは中国や北朝鮮さらには旧ソ連や冷戦時代の東側諸国は法の支配ではなく、人の支配であるとお思いになっている方も多いのではないだろうか。いわゆる共産党や社会主義政党の一党独裁(厳密にはそうではない国もあり衛星政党やヘゲモニー政党と呼ばれる支配政党の指導に従うことを条件に存存在が認められた党があるが日本や西側諸国のような複数政党の政党政治とは程遠く、ただただ一党支配ではないことをアピールするための複数政党であるためここでは一党独裁と呼ぶことにする)であると学校で教えられてきたはずだ。その通りであるが、実は形式的に憲法があり法律も定められている。人の支配ではないことをアピールしたいからだ。ただし憲法にこういう記載がある。これは中国では最高法規であるはずの憲法に『中華人民共和国は中国共産党の指導に従う』、という記載がある。これでは実質中国共産党が最高法規であることになり、悪法であっても共産党が有効だと言えば有効だということだ。であるから独裁であり民主主義、立憲主義ではないといえる。


上記の例から重要なのは憲法や法律の形式面ではなくそれが正当なものであるかどうかである。ここでいう正当な法律とは憲法に基づいた法律、最高法規である憲法のことである。立憲主義において、憲法に反した法律は無効である。法律を定め、それに基づいて権力を行使する公権力を縛るのが憲法であるというのが立憲主義だ。

ここまで立憲主義について説明してきた。現在憲法改正が議論されている。私は安倍改憲案には反対の部分も多いが教育の無償化の明記であるとか、山尾さんや玉木さんが唱えておられた環境権の明記や自衛権の明確化など立憲的な改憲案、平和的改憲には賛成の立場である。詳細は後述させていただく。ところで護憲の方に特に求めたいのだが、護憲と改憲で分断するのではなく立憲主義の観点から憲法議論は常にするべきである。社民党や共産党は護憲派である。護憲という立場は結構であるからならばその立場を主張し憲法審査会で変える必要はないと明確に主張すればいい。そして立憲主義を党の理念として掲げている立憲民主党は大いに議論してほしい。議論を否定するのは立憲主義を充実させるうえでマイナスになりかねないだろう。

現行憲法にも時代に合わない部分もある。立憲を離党して無所属になった山尾さんや国民民主党代表の玉木さんが訴えていた立憲的改憲案の中には、新しい人権や食の安全保障に関する課題自衛権の範囲を明記するとの記載が著書にあった。私は現行憲法にはそうした時代に合った条文が不足していると考えている。

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