ADHDと自認した不安と安心。

物事の優先順位がつけられない。何が正しいのか分からない。マルチタスクができない。失敗が重なり、焦りばかりが募る。自分の進む方向が完全に見えなくなって、存在自体が無駄だと思う。ここまで思考が潜って、ようやく2年前と同じことを繰り返している自分に気づく。

半年ほど前によぎった、ADHDの予感。病院に行ったわけでも診断をもらったわけでもないけれど、手近な情報と自分の状況から考えるに、ほぼ間違いない。半年前はよぎった不安から受けた衝撃が大きすぎて、落ち込みから回復するのが相当大変だった。でも、こんな人間にも学習能力はあるみたいで、今回は「ああ、やっぱりね」って安心感の方が大きい。

自分の努力不足、自己責任で首を絞めまくったこの頃に比べれば、そうか、そういう特性か、で妙に納得できるシーンがあまりに多すぎる。でも、その特性を持ったまま、しかも今の状況のままだと、現在取り組む仕事はかなりハードルが高い。だからできませんと放り出したいわけではない。やりたい。意志と意欲は確かにある。

できることなら、上手に周りの人とコミュニケーションを取りながら、現在の課題とその解決方法(に近づく作戦)を洗い出して、その達成に向けて必要なことを積み重ねていきたい。けれど、今の仕事にその時間は用意されていない。ならば、作り出さねばならない。でも、課題と解決方法に目を向ける空気はほぼゼロ。私も含め、皆が通常運転で精いっぱい。それに業を煮やした上司が急かしてくるけれど、私の特性(が多分に作用して)と周りの状況との合わせ技で好転はおろか、主に私が疲弊していく。きっと周りも同じかそれ以上に振り回されて困っているだろう。

自分の過失で自分が損をするだけなら、どれだけでも構わない。でも、周りの人が絡んできて、他人に迷惑をかけ続けることが辛すぎる。多少の迷惑はかけてかけられてが当たり前、むしろ私は迷惑をかけられてもあまり何も思わない。なぜなら、自分がかけまくる方だと自覚しているから。でも、皆が皆そうとは限らない(と思う)。

気にしすぎ、真面目すぎ、もっと気を抜け、サボれ、そうできるならとっくの昔にそうしている。できないから苦しいのだ。

うまく折り合いをつけること、迷惑をかけても、逆に助けることで関係を築けるようになること、いつまでたっても一筋縄ではいかない。とりあえず、息ができる場所があることに感謝して、今日も何とか生きていく。

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