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自己評価と楽しく生きること―映画:ルームロンダリング―

死んだ人には死ぬに至った事実がある。映画の観客である私たちにとってその事実が有意義に働く。いくつかの霊が登場し、それぞれの背景を持つ。

御子は、生きている人間より幽霊の方が感情的に関わることができた。コミュニケーションできるならば、その相手は何でもいいのだ。「自分がどれだけ「それ」を正当だと判断しているか」。世の中はそれ次第である。

自分のことをネガティブに評価した時、それが事実から乖離していたとしても、自分が思う正当な自己は卑屈なそれに同定されてしまい、さらに「自分はこんなクズのような人間です」と発信することで、塗り替えられる。事実が偏見に塗り替えられる。歴史というものはその編纂を受けている可能性があるのかも。

作中で、ミニカー1つに未練を残している霊がいた。何かの価値は、それを見る人間の判断に依存する。

死んだ人は絶望に暮れていると思い込んでいた。でも、死者は死者でよろしくやっているかもしれないじゃないか。幽霊どうしで遊んだり結婚したりしてるかもじゃん。だから死者だから悲観するというのは、そうしていることが幸せでない限りは無駄なことと捉えることも可能だ。

「お前にしか見えねえってことは、お前にしかできねえってことなんだぜ」というセリフ。君が見たこと、思ったことにこそ意味があり、それを糧にして君が変化していくことが生きるということなのだろう。君の振舞いは必ず何かに影響を与える。だから見ろ。あきらめるな、目を閉じるな、死のうとするな、逃げるな、どう思っていたっていい、ただそれを愛せ。自分を愛せ。問答無用で愛せ。「時間は止まらない」という命題と同じくらい「私は自分が好きだ」という命題を信じろ。

最後に、池田エライザとオダギリジョーが出ている。憧れてしまうようなカッコよさがあった。

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