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社会人2週間め

社会人になって2週間が経った。
会社員になった。IT企業の開発課に配属された。
3月までは大学4年生だった。その時と同じように呼吸をして、笑って、ため息をついて、生きている。

大学生と社会人の境界はない。ただ、世界とのコミュニケーションに変化があっただけだ。

年金を振り込んだ。NHKの支払いをした。給与口座を作った。学割が使えなくなった。

社会人は金を稼ぐことが主たる生活になる。だから、社会から金銭を要求される。ただ生きるために、より多くの金を払わなければならない。

4月は忙しかった。働く会社を決め、引っ越しの手続きをし、水道光熱費の手続きをし、インターネットの契約をし、その間、通信制限に襲われ、豊かさとは距離を置いた生活を送った。新天地で友達はおらず、すれ違う人間との距離感の遠さに孤独を見た。

革靴を履き、満員電車に耐えることを始めた。起床に対するプレッシャーは眠りやのんびりを糾弾し、痛いくらいに訴えてくる。

9時に出社し、研修活動をし、昼休み1時間は勤務先の街を歩いて覚え、飯屋を探検する。18時に退勤する。一日はそれで半分以上消える。

行動しているのは自分だが、会社の一部として、機械のように無機質に作業を行っている感覚に襲われた。

会社員として働くことで、親のすごさを感じた。父親は数十年もの間、一定のリズムで仕事活動を行い、人が成人するまでの経済支援を提供してくれた。母親は飯風呂といった家事に数十年仕え、子どもが甘える機会を絶えず提供してくれた。会社で涙が出てきた。

これから数十年、私は会社員となる。ある側面では機械になる。自分を捨てる必要がある。大学までの様、自分本位に振る舞うことは良しとされない。

研修が大変だ。やればできるのだが、人間というもの、不安が先行する。勝手に不安になり、勝手に心を削る。「考えるな、ただただ動け。」この言葉を毎日唱え続けた。

歩けば道になる。死ぬまで生きれば人生となる。分かってはいる。今日は昨日より進んでいる。従来の当たり前は廃れ、未来は可能性に満ちている。それも分かっている。

概念的で理論的な人生観、楽観、希望論は、現実を生きている時は薄れる。
理想と現実は異なる。現実は大変。理想に近づけることが生きることだと思うが、大変だからそれはいつまでも「理想」であり、現実ではない。

今の会社でやりたいことはとりあえず定まっている。今はそれに専心する。やればできる。今がすべて。思い出を抱くように、今をも抱くのだ。未来も今である。全てを愛せ。世界には愛しかない。


そんなことを考えながら送るGW。まだまだ頑張れる。君ならできるさ。僕ならできる。あなたもできる。

人生、楽しんでいこうや…

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