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【800字 ショートショート】#47天使がやめる日に

 去っていく存在へ、去り際を綺麗に飾る。そんなのが多くなってきた。

「誰かを推す」という文化。

 それが引退、卒業・・・様々な理由はあるかもしれないのだけれど、自分の目の前から消えてしまう。別れである。これと死別の区別はどこにあるのだろうか?と言われると私は区別できないと感じた。同じように、去り際がある。それが目の前から消えるということは間違いない。

 終わりは始まりで、始まりは終わりでもある。

 何かが世の中に生まれるとき、それは終わりに向かって走り出した瞬間でもある。皮肉なことに、人気が出れば出るほど、信用が多くなれば多くなるほど

「その死は迫ってくる」

〝使い切られる〟という表現が正しいのかもしれない。ペットボトルに入れられたジュースは飲まれるために入れられて売られている。飲み干せば空になる。

「でも、どうだろうか?ペットボトル一本の液体で、一生もう水分を取らなくてもいいか?」

 という話にはならない。人は飲んだ水分を消費する。どんなコンテンツも消化されてどこかへ消えていく。

「ただ、少しばかり体に何かが残る」

それがきっと思い出なのだろう、それがきっと忘れたくないということなのだろう。

私はそんな気持ちで参列者を見ていた。

参列者の一人がこちらに来てお辞儀をしてきた。

「推しい人を無くされましたね」

私が葬儀屋として言えることはこれだけなのかもしれない。

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