鏡の中の私

わたしは勝手に鏡越しにもう一人の自分を作り上げる。
その子は同じ顔で同じ体で、全くの生き写しなんだけど、よく見るとわたしより細くて、可愛くて、性格もよくて、勉強もできる。
つまり、わたしの「こうなったら」を詰め込んだ姿だ。
同じ人間のはずなのに、なんだか見ていると自分が醜く思えて、惨めになるのだ。

その子は言う。
「ほら、やせると素敵でしょ?努力すればこうなるのよ。」
「恋人に会いたいなんて言ったら重いわ、嫌われるよ。」
「今日もやるべきことできなかったの?ワタシはこんなにアクティブなのに?」
理想のワタシは今のわたしを蔑み、今のままじゃだめだ、だめだと畳み掛ける。
劣等感に苛まれいてもたってもいられなくて、わたしはその鏡から必死で目を逸らすんだけど、全面鏡みたいに頭から離れてくれない。
人に助けを求めようとしても、またワタシが言うのだ。
「そんなこと言ったら幻滅されるよ。ワタシみたいな女がみんな好きなんだから…。みんなに愛されるワタシみたいになりたいでしょ?」
「誰にも頼れない時はさ、一人で解決すればいいの、こうやってさ…」
と、ワタシが私の体を乗っ取ってなにをするかと言うと、ご飯をめいっぱいに突っ込んだり、手首を切ったりするのだ。
気がついたときには部屋はめちゃくちゃで、過食ではちきれそうなお腹と涙でぐしゃぐしゃな自分がいる。そしてまたそあの子は言うのだ。
「あーあ食べちゃった。太ってるのは醜いね、吐きに行かなきゃ。じゃないといつまで経ってもワタシになれないよ?」
脅迫されるがままに私はトイレに吐きに行く。
その後ワタシはまた言う。
「あーあ吐いちゃった。寛解してる理想のワタシには程遠いね…。」

ワタシに振り回されながら私は今日も自分をコントロールできないでいる。主導権が鏡の中のワタシになるのだ。

でもよくよく落ち着いて考えれば、人から見えてる本物の自分は私だ。ワタシは鏡の中の虚像に過ぎない。
外から見てる人は、理想のワタシなんて知らない。見てるのはいつでも私だ。
私を見てくれている人の事を無視していたのは私の方なんだ。

人にどう思われるかを気にして生きてると思っていたけど、わたしが必死でくらべていたのはわたしが作り上げた立派な理想像なのだ。
なれそうでなれない、でもこうなれたらいいな、という幼少期の将来の夢の集合体のような自分をいつまでも追いかけ、それに縛られ、今の自分ではなれないと分かって勝手に落ち込んでは自分らしさを捨ててきたのは私だ。

周りにいる大事な人達は、ワタシにならなくても私の事を蔑んだりしないし、向こうの価値観の中でちゃんと目の前の私を見てくれるはず。
比べなくていい。今ここにいる私のままで、人に向き合えばいい。過去や妄想の中の栄光は捨てていい。「何者」かになろうとしなくていい。私は私でいい。

今の私のいいところ、好きなところを、見てくれている人を信じて、自分を好きになろう。
鏡は割ってしまおう。
本当に大事なことは、目の前にあるはずだ。

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