枠にはめることの危うさ

ビジネスではよくフレームワークなどを利用し、情報を整理し、そこから何を読み取れるかという形でよく使われている。

これに関連してなんだけれども、だいぶ前にある有名なお二方の対談があった。一方はただただ、自分の作品、写真などをiPhoneでもう一方の方に見せていた。そして見せられた方は、これは、なになに的ですね、作風が誰々に似てますねとしきりに、ある意味、枠にはめていた。おそらくその方は見せられた作品の情報を整理するために自然と口に出たのだろうけど、見せた方の作品が枠にはめられた時点で、偏りが出て、そのままを受け入れるというのが難しくなる。

例えば、印象派を知らない人が絵を描いて、それを見た人が、印象派っぽいと言ったら、描いている人の創造性を邪魔する形になるのではないか? 別にその人は印象派を知る必要は全くなく、自分で描きたいというのを、そのまま描いていけばいいと思う。

印象派と呼ばれる当時の画家もそのことは意識してなかったはずだ。後世の批評家たちがつけたものであって、現在印象派の絵を見て、これは印象派などという枠をはずして見た方が創造性、感性が高まるのではないか? と私は思う。

話を戻すが、ビジネスの情報、データの整理は大事なことだが、整理の枠の設定で結果はかなり違ってくる。人工知能(アルゴリズム)の設定もそうだろう。枠が最初にありきで進めるといい結果は出てこない気がする。だからとは言わないが、アメリカでのMBA取得人数が少なくなり、アート系のMFAが人気なのはそのせいではないか?とも思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?