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本能寺の変と改暦と梅雨

本日6月2日という日付、
天正10年6月2日の本能寺の変を思い出します。
6月2日は本能寺の変、というとき
それは旧暦の日付ということですね。

歴史に「本能寺の変前・本能寺の変後」という言葉があるかはわかりませんが…暦的には確実にあるなあと想っています。
それが「ユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦」です。


本能寺の変の日である天正10年6月2日を
西洋の暦に直すと1582年6月21日ということで、
新暦では6月21日です、と言いたいところなのですが
このときは現行のグレゴリオ暦(いわゆる新暦と呼んでいるもの)じゃなくてまだギリギリユリウス暦だったようです。

ユリウス暦からの改暦は本能寺と同年の1582年の10月4日。
この日の次を10月15日にして積もった誤差を精算し
現行の暦法であるグレゴリオ暦が始まったとのこと。

10日間がふっとぶってすごいなあ…と
いつも思ってしまいます。
(日本における明治の改暦は約一ヶ月がふっとんだわけですが)

そんなわけで、本能寺の変前の歴史の出来事を語るときに、
「新暦では〜」という言い方をしていいものかいつも悩みます。
(新暦というのはだいたいの場合でグレゴリオ暦をさしているので)
なのでさっきは「西洋の暦に直すと」という言い方をしてみたのですがどうでしょうか。


さてその本能寺の変。
よく取り沙汰されるのが明智光秀がよんだ

ときは今 あめが下しる五月かな

という連歌ですね。
その意味はいろいろと考察・研究されているそうなのですが、
個人的に「5月」と「あめ」が気になります。

この句が詠まれた当時は旧暦。西洋の暦で6月中旬〜下旬というくらいなので、5月というのは梅雨の季節。
5月って、雨の季節だったんだな〜と思えるのが
なんだか好きです。

まあ実際この頃の5月(梅雨)の雨がどんなもんだったかはわからないので、光秀がどんな雨を想って詠んだのかは想像の域を出ませんが
本能寺の変の日が来ると思い出す話でした。


似たもので、

五月雨を集めて早し最上川

もありますね。この場合5月の雨は今のような「春のさわやかな気候に降る雨」ではなく、梅雨の時期の雨。梅雨の雨を集めたら、そりゃあ流れの早い急流になるよね、と思えて好きです。
最上川を見たことがないのが残念なところですが…


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