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これからは、自分のすきなものに囲まれてすきなように生きることにした。

こんばんは。マトリョーシカです。
お久しぶりです!

読書で学んだことをフィードバックすることも、やってみて、自分に合わないなと思いやめました。

社会では、何か結果を出すには継続的に努力する必要があって、
その努力には我慢強さが必要で、血の滲む努力こそが美徳だとそういった認識を持つ方は多いのではないでしょうか?

わたしも、その1人で、
好きなことで食べていくには、娯楽もお金も抜きにして、とにかく仕事第一優先。他は、我慢して耐えることで、未来はきっと明るいと信じていました。

これ、半分正解ですが、半分不正解です。

それはなぜか?

我慢した先には明るい未来はないからです。

そもそも、努力すること。

好きなことを仕事にすること。

夢を叶えること。

これは、快感であって、辛いことではないはずです。

誰かの刷り込みによって、私たちは無意識に、
辛いこと、我慢が必要たことに置き換えてしまっていることが危険です。

では、我慢の先に何があるでしょうか?

それは偽ゴールです。

一時的に達成感を味わうかもしれませんが、
その途端、生きる目的を見失うことになりかねません。

なんだか思ったより嬉しくない感。

モヤモヤ感。

でも何でかわからない。

それは、遅延型アレルギーにも似ていて、
身体に害のある食事を取ったとしてもすぐには反応せずに、ある程度、蓄積してから一気に溢れ出る感じと同じです。

志を持ち、努力を続ける過程で、違和感を感じることがある。

それを気のせいだとか、

これくらい我慢できると気力でカバーする。

自分の感覚レーダーを強制的に遮断することで、
違和感を一時的に無かったことにできるかもしれない。

それがちりも積もれば山となるように、
爆破する時限爆弾の核になる。

だから、自分の感覚って大切にした方が良い。

人生世の中が正しいと示す道を目指さなくても良い。

やってみて合わなければ離れればいいし、

何が自分にとってやる気を起こさせるのか?

何が自分にとってストレスに感じるのか?

何が自分にとって得意なのか?

それを探す旅を続ければ良い。

苦手なこと、

できないこと、

我慢が必要なことは、

誰かにとって、

容易いこと、

簡単なこと

であったりする。

それは、得意な人が仕事にすれば良い。

だから、よく、コンプレックスを仕事にして、
同じような悩みを持つ人を助けたいという方をTV番組で取り上げ、

私たちに慈悲の心は美しいと洗脳している。

コンプレックスに向き合うことは大切だと思うけど、それを一生見続けるのは本当に幸せなのか?

そう疑問に思ってしまうのはわたしだけだろうか?

そんなことよりも、

自分が不得意なこと。

コンプレックス。

嫌いな人。ストレスを感じる相手。

これらは極力、自分の視界から遠ざけ、

自分が得意なこと。

快感に感じること。

好きな人。高めあえる人。

自分にとって居心地の良いコミュニティをつくることが今のわたしにとっての夢であり、正解だと考えています。

それは、真逆の道を進んで進んでその先に生きる希望が持てないことに気づいたことがあるからです。

今、あなたは幸せでしょうか?

もし、違和感が少しでも感じた場合、

そこはあなたが本当に望む場所ではないかもしれません。

人生は、いつでも取り戻すことができます。

自分らしく生きることを諦めなければ。

それでは、今日はここまで。

誰かの気づきになれば嬉しいです。

お休みなさい🙌


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