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アンディ・ウォーホルは何を壊したのか? 20世紀、傑作を残した6人のアーティストにアート思考を学ぶ(後編)

おはようございます。ドドルあおけんです。

このnote、土日は普段のビジネスのお話からスローダウンして、週末モードのお話をしています。

ライフハック・教養の土曜日。今日は先週に引き続き「13歳からのアート思考」という本から、今後の教育からビジネスマンのスキルアップにいたるまでとても重要な「アート思考」を鍛える絵画の鑑賞術を、アンディ・ウォーホルなど4作品を題材に学ぶことができる回となっています。

ちなみに前回は考え方の整理をした回なので、もし読んでない方がいたらそっちから読んでもらったほうがよいかもです。

今回は前回紹介できなかった4作品

前回は、絵画における「考え方」にイノベーションを起こしたマティス、ピカソの作品を例にアート思考というものがなぜ現代に生きる僕たちに必要な思考なのかを深堀りしてみました。

今回はその延長で、20世紀に生まれた残り4作品についてアウトプット→先生の解説という流れを繰り返しながら、アート思考の入り口に立てるよう冒険をはじめたいと思います。

1.アンリ:マティス「緑のすじのあるマティス婦人の肖像」
2.パブロ・ピカソ「アビニヨンの娘たち」
3.ワシリー・カンディンスキー「コンポジションⅦ」
4.マルセル・デュシャン「泉」
5.ジャクソン・ボロック「ナンバー1A」
6.アンディー・ウォーホル「ブリロ・ボックス」

それでは、カンディンスキーからいきましょう。

3.ワシリー・カンディンスキー 「コンポジションⅦ」

カンデンスキーは1866年生まれでロシア出身の画家、美術理論家。
一般に、抽象絵画の創始者とされていて、ドイツ及びフランスでも活躍し、のちに両国の国籍を取得したそうです。

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画像元はこちらのサイト

ワシリー・カンディンスキー_-_Wikipedia

カンデンスキーさん

僕のアウトプット
・色彩がきれい
・花束のようにも見える
・所々毛のようなものが生えてるから生き物?
・見方によって色々なものに見えてくる、おばけっぽかったり、達磨ぽかったり、パラッパラッパーぽかったり。
・前回見たマティスやピカソよりも家に飾りたい

我ながらしょぼい感想・アウトプットです。続いて末永先生の解説。

末永先生の解説
・(前回説明した)アウトプット鑑賞をより面白くするための秘訣を伝授
・以下の2つの問いかけを自分にぶつけてみましょう!
 1. どこからそう思う? - 主観的に感じた意見の根拠となる事実を問う
  →「うるさい絵と思った」→どっから?→所狭しといろいろな形
    2. そこからどう思う? - 作品内の事実から主観的に感じた意見を問う
  →多くの色が使われている→どう思う?→元気出そう
  →これらが「自分の意見」であり、「自分なりのものの見方」
・意見についは事実を、事実については意見をアウトプットしよう!
・この絵は西洋美術史上初の「具象物を描かない絵」
・彼が影響を受けたのは、クロード・モネの「積みわら」という作品。その描き方があまりにも斬新だったため、それを見た彼は何が描かれているのかすぐにはわからなかった
・彼は経済学や法学の大学教員として安定した暮らしをしていたが、「何が描かれているかわからない」からこそ惹きつけられたというその体験が彼の人生を変え、画家への転職を決意
・彼は幼い頃から親しんだ「音楽」にヒントを得て、絵から具象物を消していくことになります。そして、人の心に直接響き、見る人を惹きつけるような絵を追求した結果、「具象物が描かれていない絵」という表現の花を咲かせるに至った

積みわら_-_日没(Grainstack_-Sunset):クロード・モネ:壁紙画像|ミヤノーヴァ

(クロード・モネ 積みわら)

末永先生は、こうしたアーティストの意図やその作品ができるまでに至ったプロセスを理解することも楽しいけれど、それとは別にそういう背景なしにアートと自分が向き合い何を感じるか、それはなぜか、という対話をすることも自分の感性を育てる上では非常に大事といいます。

感じたことを「100文字程度のストーリー」にする、というのが結構効果的みたいですよ。それは決して作者の意図を当てる、ということではなくて、自分が何を感じたか、どんなストーリーが見えたか、そこがポイントです。

コンポジションで試しにやってみます。僕だとこんな感じです。これで99文字。

なんで、こんなとこきちゃったかなー。それにしてもこのキノコみたいの食べれるんだろうか。いろんな色があるけどほぼ毒キノコっぽい。夕方までに家にかえんなきゃならないのにさっぱりどこにいるのかわからない。

4.マルセル・デュシャン 「泉」

マルセル・デュシャン1887年生まれのフランス生まれの美術家。この泉で20世紀美術に決定的な影響を残したと言われています。画家として出発しましたが、油彩画の制作は1910年代前半にやめちゃっているようで、その後コンセプチュアル・アート、オプ・アートなど現代美術の先駆けとも見なされる作品を手がけた。「芸術を捨てた芸術家」とも言われているみたいです。

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画像元はこちらのサイト。

マルセル・デュシャン_-_Wikipedia

デュシャンさん

僕のアウトプット
・まー便器にサインしているくらいにしか見えない
・サインがデュシャンではない
・考え方というところでなにかすごいのかもしれないけど、個人的にアートとして惹かれるなにかがあるわけではない。これを見に美術館にはいかない。

あまりアウトプットが出ません。

末永先生の解説
・この作品はデュシャンが便器を選んでサインをし、泉と名付けただけ
・展示会に偽名で出品しようとするも却下
・デュシャンの言葉「最も愛好される可能性が低いものを選んだ。よほどの物好きでないかぎり、便器を好む人はいないだろう」
・ルネサンス絵画の世界では作品の美しさや精度などの出来栄えがすぐれた作品であるかどうかの決め手とされていた。要するに「視覚で愛でることができるかどうか」が最も重要なことだった。
・これまで紹介したマティス、ピカソ、カンディンスキーらは革新的なアート思考で古い価値観を塗り替えたけれど、あくまでも「視覚で愛でることができる表現」に落とし込まれるべきだ、という前提については変わっていなかった。デュシャンが目をつけたポイントはそこ。
・「泉」は、「表現の花」を極限まで縮小し、反対に「探求の根」を最大化した作品。この作品によってデュシャンはアートを「視覚」の領域から「思考」の領域へと完全に移行させた
・この作品で試される思考は「アートは美を追求すべき?」「アーティストの手で作られるべき?」「優れた作品は優れた技術が必要?」「優れた作品は手間ヒマが必要?」「アートは視覚で味わえるものであるべき?」

この議論は日本でいうと「芸人」って何?っていうのに近い気がします。
漫才をやってお客さんを笑わす、面白いエピソードトークでお客さんを笑わす、という笑わす=面白いととる人も多いですが、誰もやったことのないことにチャレンジする人も芸人=面白い、と考えれば、映画監督目指したたけしさん、絵本作家を目指した西野さん、Youtubeで教育番組を始める中田さんも芸人ということですよね。

ただ、便器が20世紀のアートに決定的な影響を残したっていうのも、ちょっとふーん、な感じです。

5.ジャクソン・ポロック 「ナンバー1A」

ジャクソン・ポロックは、1912年生まれのアメリカの画家。抽象表現主義(ニューヨーク派)の代表的な画家であり、彼の画法はアクション・ペインティングとも呼ばれたようです。

ジャクソン・ポロック《ナンバー1A__1948》の詳細画像|MUSEY

元画像はこちらのサイトから。

ジャクソン・ポロックの絵と、家屋のペンキ塗りの深い(?)関係___やまでら_くみこ_のレシピ

ポロックさん

僕のアウトプット
・筆で書いているというより絵の具を垂らして書いている感じ
・意味があるものを描いているように見えないけど、緑があまりない山岳地帯のような自然を感じる気もする
・多少赤があるけど、色的には秋・冬のような配色でカンディンスキーの鮮やかさとは対極
・白のアクセントが効いてる
・PCの画面で見ているからあまり迫力がないけど、実際大きい絵を生でみると凹凸に作者の息づかいが感じられ、よりリアルな感覚がもてそう

個人的にあまりテンションが上がる系の絵ではないですね。

末永先生の解説
・縦の長さは1.7メートル、横の長さは2.6メートル。かなり大きい
・歴代5番目の金額で取引された超高額絵画
・彼の描き方は床にキャンバスを置いて、絵の具がたっぷり含まれた筆で絵の具を巻き散らかして描く技法
・彼が評価されているのは描き方が珍しいということではなく、この描き方を通じて「自分なりの答え」を生み出したから
・カメラ誕生以降、「アートにしかできないことはなにか?」という問いに対する究極の答えを生み出すことになった
・彼がやったことは絵の中に書いてある何かではなく、物質としての絵画そのもの=絵の具とキャンパスに目を向けさせること
・ポロックのナンバー1Aによって、アートは「なんらかのイメージを映し出すためのもの」という役割から開放された。そのことがアートにしかできないことに対しての究極の答えとなった

6.アンディー・ウォーホル  「ブリロ・ボックス」

アンディ・ウォーホルは、1928年生まれのアメリカの画家・版画家・芸術家でポップアートの旗手と呼ばれた人。銀髪のカツラをトレードマークとし、ロックバンドのプロデュースや映画制作なども手掛けたマルチ・アーティストです。元々はニューヨークで広告やイラストの仕事をしていました。


ブリロ・ボックス

元画像はこちらのサイトから。

アンディ・ウォーホル_-_Wikipedia

(ウォーホルさん)

僕のアウトプット
・ホームセンターとかで売ってそうな製品パッケージ
・アルミがすぐ光るみたいなことが書いてあるから、研磨用の洗剤かなにかのパッケージ?
・これもアートとは何か?というのを問うものなんだろうけど、コンシューマプロダクトのパッケージそのもの、それかそれに似せて作ったものを見せられても、ふーん、としか思わないし、少なくとも自分は巨匠の作品見るべし、といって美術館に見に行ったりはしない

昔、アンディ・ウォーホルって言ってれば、なんかアート語ってるぽいとかおしゃれっぽいみたいな人がたまにいて、あんまり好きじゃなかったです。ウォーホルさん自体の問題ではなくて、そこに乗っかる人があんまりわかってないでわかっている風を出してる気がする。完全に偏見です。笑

末永先生の解説
・木箱で一辺が40cm、両手で抱えられるくらいの大きさ
・ブリロは食器用洗剤。俵型のスチールウールに洗剤を付着させたもの
・その食器用洗剤のパッケージをそのまま木箱に写し取っただけのもの
・展示会ではこれを天井に届くくらい何十個も用意して展示
・これはアート作品ではないと言われたウォーホルはこう答えます。「ええ、そのとおりですよ。だって、これはオリジナルなものではありませんから」
・彼はまるで工場で商品を大量生産する機械のように、アート作品を作った
・便器を展示したデュシャンでさえアートという確固たる枠組みの中での表現が前提だったが、ウォーホルはアートとアートでないものの棲み分けの秩序を見事にかく乱した
・彼が投げかけたのは、「これがアートだ」などといえる「確固たる枠組み」は、実はどこにも存在しないということ

このコンセプチュアルなメッセージを果たしてどれだけの人が正しく理解しているのか謎です。

まとめ

写真の出現で存在危機を迎えた20世紀のアーティストたちはそれ以前の凝り固まっったアート概念を壊し続けながらそのバトンを次につなげてきました。

目に映るとおりに描くことを壊したマティス。
遠近法的なものの見方を壊したピカソ。
具象物を描くという通説を壊したカンディンスキー。
アート=視覚芸術、という前提を壊したデュシャン。
アート=イメージを映し出すためのもの、という前提を壊したポロック。
そして、アートと非アートの境界・城壁そのものを壊したウォーホル。

その歴史は、ネバナラヌ、からの解放だったと思いますし、そこから学ぶべきは、現在僕らの周りに数多く存在する、ネバナラヌ、に縛られず、どこまで自由に新しい発想で未来を思考できるかで、その思考がアート思考なんだろうと思います。

ということで、本日のお話は以上です。

日報

昨日の備忘録として。

・F社f2f商談 (11am)
・EさんPR mtg (2:30pm)
・Kさん 新商材 mtg (3pm)
・PMO mtg (4pm)
・PR関係調整 w. Mike/Keith

明日は、エンタメの日曜日。最近、カラーで見れるようになった伝説のバラエティ番組「エド・サリヴァン・ショー」のYoutubeチャネルから、幼き日のマイケル・ジャクソンなどエンタメ力の高いパフォーマンスを紹介しようと思います。 

マーケティングの月曜日
経営戦略・事業開発の火曜日
EC・ロジスティクスの水曜日
DX(デジタル・トランスフォーメーション)の木曜日
グローバル・未来の金曜日
ライフハック・教養の土曜日
エンタメの日曜日

それでは今日もよい一日を。

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