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【70日目】 いろいろありすぎて日記にも物語にならない

2024年5月5日(日)
24:穀雨 72:牡丹華(ぼたんはなさく)

姉の誕生日のために焼いた、レモンケーキ。
やっと少しだけ台所に立てるようになってきた。にんじんしりしりも作ったし、新玉ねぎをシンプルに醤油で煮て胡麻で和えたやつも作った。
時間をがんばって捻出して作ったが、逆に心が楽になった。料理が好きなひとの理論はこれなのか。私はごくたまにでよいが。

2度目の除霊は何も起こらず終了。やっとこの部屋にいるのが少し怖くなくなった。
次の除霊時は、ペットシッターさんに来てもらって、実家で少しのんびりしようと思う。まあ何も上がらないだろう。

お薬を動かしたりしてなんとか精神は安定している。ラクではないが。
カウンセラーさんによると、私の不調のほとんどは26歳の時に起こした過呼吸発作のPTSDの疑いがあるとのこと。
トラウマ治療であればかえってシンプルな面もあり、今度、金沢でその道に詳しい先生にお試しで診てもらうことになった。
神田橋処方というものをはじめて知った。
半信半疑だが、このカウンセラーさんにびっくりするほどラクにしてもらったことがあるので、素直にやってみたいとも思う。

ここへきてふたつ問題が出てきた。
契約した自宅マンションの駐車場、周囲の車がいままで停まっていない時間帯だったから出し入れできただけで、実は埋まっている状態だとおそろしく難易度が高い問題。
ベテランドライバーの父も兄も、「あ、やっぱりここは初心者には無理では」となった。
となると、もう二度と出し入れできない。出した時は大丈夫でも、戻ってきた時周囲の車も戻ってきているかもしれない。

周辺の駐車場を自分の足で探し回っているが、奥しかあいていなかったり、満車だったり、そもそもGWで管理会社に連絡もつかない。

クルマが出せないのだから、当然運転の練習などできない。
どこにも行けないままである。

もうひとつの問題は、詳しくは書けないが、海外赴任中の夫が非常に大きな困難にぶつかっているということだ。
正直、精神状態は私より悪いと思う。
これにより、本当に、私の明日もわからなくなってきた。

ただ、夫の心身が無事なうちに方向転換をすれば、私は全然平気だ。
夫と一緒であれば、生活が何もかもまた変わってしまってもいっこうにかまわない。

3000円もする耳栓を買った。連続して眠れる時間が少しのびたような
睡眠環境の問題からあいかわらず猫を寝室には入れられない状況が続く。
私が眠るまえに一旦彼女らは甘えにくるが、いよいよ眠る時には自分から寝室を出ていく。
ごめんね。
焼いたあと

ふと、私はまだ電車に乗れるのだろうかと、
そして、こちらへ来たのにまだ一度も海を見ていないと思い、連休の合間、北陸鉄道浅野川線、通常「あさでん」に乗ってきた。
金沢の生まれ育ちだが、石川線含め、このローカル線に乗るのははじめてだった。
電車に乗れないどころか、私の身体はまだ完全に電車仕様なのだと分かった。違和感ゼロ。始発の金沢駅のホームは地下だし、目黒線にいるかのようだ。

内灘駅でレンタサイクルを借り、海へ行く。
孤独な旅である。が、もはや恥ずかしいとも思わない。だって孤独だし、みんな孤独なのだ。一人で生まれて一人で死ぬのだ。
観光案内所のおばあちゃんがいろいろ喋ってくれる。
もう、こううやって夫以外の人と会話して生きていくのに慣れてきた

本当は、クルマで自分で行きたかった。
夕暮れ時に来たかった。
でも、夕暮れ時に運転して海へ行ける日なんて、はたして来るのかわからない。

砂浜が広すぎて、海までなかなか届かない
千里浜ドライブウェイの入り口みたいなもんです。
あと、内灘でも海のきわまでは標高が高く、震災の影響も見られません
(影響があったのは河北潟の埋立地の一部です)
内灘駅に近づくと、ユーミンの復興支援曲「acacia」が車内で流れます

きのうは姉と姪が家にきてくれて、行きたかった丘陵公園に連れて行ってくれた。
近いから自分で運転して行きたかった。行けると思っていたのに。

大乗寺丘陵公園。花が咲いていなくても、気持ちのよい丘です

私の駐車の下手さに呆れつつも、父も兄も駐車場問題につきあってくれる。
こちらで再会したT子さんはカラオケに誘ってくれた。
東京のMちゃんが、私を心配して連絡をくれた。
夫のかわりはだれもいないが、なんとか孤立はしないで生きている。
パセリも筍も山菜の水煮も米もりんごも、家族からもらった。

シングルマザーの姉を見ていると、「生きててすみません」の気持ちになるけれど、
だって私、死にかけるような病気を何回もしてんだから、あまり働かなくてもバチは当たらないよ。まったく。

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