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新しい世界

災難が起きた部屋のはずなのに、
思い出すのは愉快なことばかり
この16年間は長すぎる春だった
夫とふたり、ライフステージはなにひとつ変わらなかった。
長くて長すぎて、この日々を終わらせるきっかけすら望んでいた。

・もっと広い空間に住みます 
・自分なりの仕事場を持ちます
・家事に追われる日々から解放されます
・いつか郷里の金沢で暮らします

何年も何年も繰り返し、叶うはずがない、と知りながら、
新月のたびに書いていたアファメーションがまさか叶うとは

もう生協の注文はしなくていい。チラシも来ない。 
スーパーに寄る。木曜は野菜が安いが買う必要はない。
美容院で、整骨院で、職場で、
これが最後だと知りながら「ぎりぎりでなんかあったら来ます」
と伝えて、くるりと去る

あちらに行ってからのことなんて、行ってみなきゃ想像もつかないし
行ってから考えようと思っていたのだけれど
いやおうなしにエアコン設置工事だのテレビ台の搬入だの
通院だの手帳は埋まっていって、
amazonの送り先のデフォルトを変更し
郵便番号も921から始まるやつをようやく覚え
体の半分くらいが東京から離脱しているのを
皿を洗いながらふと実感する

9月の半ばに東京撤退が決まって、いろんなことをした。
なぜか川崎のフレアスタックにわれながらご執心で、
ひとりで南武線に乗ったり夫と屋形船にも乗った。
最後かもしれないから、といって、実にいろいろ出かけた。
なにもかも、楽しかったねえ。

次々と荷物を下ろしていっているはずなのに、どうしてこんなに苦しいのだろう

動物病院の待合室で、おとなしい犬を腕に抱き、
目をとじてただ、犬の背中をぽんぽんと叩いている女性がいた。
彼女は何もしていないだろうか
これは何も生み出していない時間だろうか
まさか。あのさまが、生きるということだ。

わたし、93歳まで生きるからね。
もう一回生きるんだ

イヤホンでは高橋徹也が、
「新しい世界ッ」とシャウトしている

ゴミ箱がゴミになった日

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