ものづくり

物を作ることが好きか?

と聞かれるとそうでもないと答える

少なくとも小学校の時の工作の成績は平均以下だったし

中学校の時の美術もいい点数を取れたことがない

どちらかと言うと口が達者な方だった

だから体育も好きだったし特に数学が好きだった

高校は勉強も特にせずに、なんとか単位を落とさずに卒業したレベルだったので勉強した覚えがない

全てが中学レベルで終わってる感じだ

専門学校に入って初めて服を作った

専門学生はどこか長けている子が多かった

絵がうまかったり、縫製が上手かったり、企画のセンスがあったり、デザインのセンスがあったり

僕には何もなかった、強いて言うなら『速さ』のみが売りだった

速さに長けて入るが、縫製も雑で生地を選ぶことも、副資材を選ぶこともとにかく早く決断して早く前に工程を進めたかった

早い話がせっかちだった。

そして大人になり、ecに強い会社に入社。そこでhtmlやcssの技術を中途半端に学習し

理論の無い見せかけだけのページなら作れる様になった

もちろんGoogle先生に頼りながらではあるが

そしてその会社で初めて国内のパタンナー、裁断士、縫製工場、サンプル工場を使う機会をもらって、大きく言えば一つの商品が出来上がるまでの、越すのと管理とスケジュールの管理などを学ばせてもらった。ここではエクセルを使った管理方法をしていたので、多少はエクセルを使える様にもなった

そして、22才の時初めて東京コレクションへ出展した。出展が決まってから半年ほど実際にファッションショーが開催されるまで地獄だった

通常の仕事をしながら、コレクションの準備のためコンセプトを考え、デザイン画を書き、仕様書を作成し、型紙を引いてもらい、サンプルを作成し、修正し、と言った具合で死にかけてたと思う。毎日。

でも一番心が折れそうになったのは資金の調達で、おじさんに頼み込んで50万を貸してもらった。返すことができたのが10年後だった…最低だなと思う

そして50万を片手に、服を作ってくれる工場探し

基本は無償で手を貸してくださいと頼み込んだ。今思えばよくもまあそんなことw頼んだなと思ったが逆に、若さ故にできたことでもあった。お金が払えないけど、大きなイベントで御社のprができると言うのが、必死にお願いして行く時の謳い文句だった。

頭を下げまくりなんとか服を形にすることはできた。

そんな事をしながら、ショーは大阪でするためにそのイベントを取り仕切ってもらえる演出家に協力してもらう必要があった。

そして、モデルにも協力をお願いし、東京コレクションと提携している美容グループとスタイリストに化粧とヘアメイクをお願いし

当日、靴のデザイナーに運転をお願いしながらバスをレンタルし出発

死にそうになりながら最後までスタッフTをホテルで作成したり、とにかく泣きながらショー当日を迎え、デザイナーとして怒鳴り散らしながら、モデルや、スタッフに指示をして、ショーが無事終わり、最後にランウェイに出て挨拶をして、人生最高の瞬間を迎えて終わった。

その後展示会もしたと思うのだが全く覚えていない。

受注はひとつももらえず、ファッションニュースだったり新聞などにも掲載されたが、本当に見せかけだけで何ひとつ、売り上げには繋がらず、続けられずに。終わった。

終わりたくなかったので秋冬コレクションにも、出したが東京でショーはせずに、中途半端にお願いなどもして行ってしまったので、お金もないまま中途半端なショーをやってしまい、作品も良いものが出来ずに終わった。

それ以来、コレクションには出していない。

いまだにもう出さないの?

と聞かれるが、出さないと言うか出す力がない

と言うのが正しい。誰にも利益を出せずまま

無償で力を貸してもらい、そのまま何も返せていないのだから。当然である。

僕はその程度の人間なのです。大きなことができる人間じゃない。

でもまだ自分に期待して、こんなことできるんじゃないかとか何かを模索してる。

32さい。あれから10年。

10前の自分と比べて何も変わってない

まじで体以外何も変わってない。

体は衰えてる

ハゲたし、体は太りやすくなったし、筋肉もつきにくくなった

ちんこの立ちも悪くなった。あ、それは若い頃もか

おナニーのしすぎやな

変わってない自分に悲しさを感じながら

逆に、10年経過しても本質的に変わらない自分に驚きもある

多分付き合ってる人が変わっていないのもあるかも

他人に影響されやすいから、より新しい業界で新しい事を学んでいけば

どんどん変わっていく気もするな…

それはそれで嫌やけどw

変わってることに自分で気づくのは無いだろうな。

他人に言われて気づくんやろな

んー環境か

多分人生面白くなくなった時って、やっぱり自分が原因なんやけど

それって自分が原因ってのは抽象的すぎてわからないんやけど

つまり面白いと思える環境を作れていない自分のせいってことで

面白いと思える環境って新しい刺激をくれる環境で

それが人によってはライブに行くことだったり旅行に行くことなんやろうけど

僕にとっては、毎日会う人が刺激的であることなんやねんな…

明日何が起こるかわからない状況で、それを楽しむ日々が面白い

でも毎日ずっとそれはしんどいから多少休みもあったりして

あーこの人と付き合っててもこれ以上は刺激なさそうやなーとか

そう思ってしまったら、やっぱり違うところへ目をむけて新しい人を探す

結局自分の価値観のレベルが上がらないと、上にステップアップできないから自分自身をレベルアップして、環境もレベルアップさせて

itとアナログの工場をつなげて経営力をあげるコンサルの手伝いをさせてもらってそのために中小企業診断士の資格手に入れて

独立するか。このまま日本の工場を死なせるわけにいかん。

海外に負けたく無い。新しい縫製工場の形態を作って

縫製工場が小売をどんどんやっていける様にして行きたい。

そのためのツールはもう存在するからそれを結び付けて売り上げを上げてもらいたい。

そのためのノウハウを伝えて、信用してもらうためにコンサルとしての実績と資格を手に入れる。

やっぱり実績が全てやと思うから、勉強しながらサイドビジネスとして小さな成功を積み上げて

物作りを大きな意味で、確固たるものにしてその上で自分のブランドを最後にできたら最高

その時はパリコレクションを目指す

想像もできないけど自分のやり方でやるしかない。デザイナーとして物づくりをやっていくなら

その工場が儲かる様な仕組みを考えていかないと。発注出せないから終わりではダメ出し、売れない発注を出すわけにもいかないから。

sns HP EC そのほかにもまだまだ実践できていないことがどこの工場にもあるはずやから

可能性を信じて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?