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介護生活:1.突然に

noteの初投稿は、2022年の6月23日(木)です。あっという間に1週間が経ちました。

正直、私の書いたものなんて読んでくれる人は、誰もいないんじゃないかと思っていました。このnoteもそうですが、SNSは、若い人たちの活躍の場という印象があるからです。

よって、興味関心をもってくれる人がいたとしても、ひとりかふたりかなと思っていました。ブログの作者の方で、今は何万人もの人が読んでくれているのに、最初の半年ほどは、読者は数人だったと書いているのを読んでいたからです。

しかし、最初の投稿「初めての投稿です。よろしくお願いします。」のビュー数が想像以上に多くて、正直、焦りました。私の投稿などまったく期待はされていないとは思うものの、しかし、これだけの読者の方がいる以上は、次の原稿をアップしないといけないなぁと思って慌てました。

noteを始める前の1ヶ月以上もかけて準備していた古代ギリシアの神話、パリスの審判についての草稿を、何とか読める形にしてアップしました。

時間を見つけて手直しをしていくつもりですが、まぁ、何とか3本の投稿が出来たので、ホッとしています。少しは読者の方に対する責任を果たせたかなと思っています。

かみさんが倒れた

この3月に無事に定年を迎えることができました。やっと仕事から解放されたと喜んでいたのですが、その喜びも本当の束の間つかのまでした。

私の定年を待っていたかのように、療養生活を送っていたかみさんが倒れたのです。病気は重かったのですが、それでも倒れる前までは本当に他者の手を借りることなく自力で生活をしていました。

酸素ボンベを引っ張りながらの不自由な生活ではありましたが、それでも筋肉が落ちないようにと散歩に出かけたりしていました。それだけでなく家事全般をこなしていました。自力で病院にも通っていました。

それが、突然にまったく何も出来なくなったのです。外出はもちろんのこと、家事全般一切駄目になりました。ほとんど寝たきりです。

毎週訪問看護婦さんに来てもらい、そして、2週間に1回、それまで外来で行っていた病院のお医者さんに訪問診療に来てもらっています。

介護生活

かみさんは専業主婦だったので、私は、家のことはほとんど何もしてきませんでした。料理もまったくできません。掃除も洗濯もまったく何も出来ない人間が、それをすべてこなさなければならない生活が始まりました。

起きて来れるのは、食事とトイレの時だけです。
室内を歩くのも大変なので、本棚を利用して手すり代わりにしたり、とにかく掴むことができるところを用意すると同時に、歩行の介助をしています。

食事も自由に出来ません。放射線治療の影響で、嚥下がほとんどできなくなったからです。普通の食事は、ほとんど駄目です。ごはん類は全然駄目です。塊のあるものはほとんど無理なのです。

野菜類や果物やゼリーなどが中心です。
料理によっては少しは食べれるようになりました。それでも、ほんの気持ちだけ、一口だけという感じです。

料理をまったくやってこなかったので、彼女のレクチャーで調理をしています。
その時の体調によるのですが、原則は彼女が食べたい献立で作ります。私は言われた通りに、野菜を切ったり肉を切ったり、焼いたり炒めたりしています。調味料も全部指示どおりにしているだけです。

ロボットですね。

最後に

家事全般、すべてが初めてのことで慣れないことだらけで、失敗だらけです。しかし、彼女自身はきちんと注文を出すのですが、ミスや失敗を責めたりということがないし、毎日、「ありがとう」と言ってくれるので、それが精神的には助かります。

とにかく孤軍奮闘しています。

一日数時間の自由時間がとれることもあれば、まったく働き詰めで夜になることもあります。まさに家事の合間を縫ってnoteの執筆をしている状態です。

今日は、パリスの審判の続きを書く時間的余裕は全く取れないなぁと思ったので、介護生活の1回目を書きました。

本日も最後まで読んでいただきありがとうございます。


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