身辺雑記:約50年前のヨーロッパ一人旅にいくらかかったのか
大学3年生の夏に2ヶ月半のヨーロッパ一人旅をしました。1973年の夏のことです。前期試験を終えて、8月になってすぐに出かけ、すっかり涼しくなった10月中旬に帰国しました。
当時の渡航費
まだ海外旅行が一般的ではなく、航空運賃も高かった時代です。その時、ヨーロッパ往復は、飛行機だと100万近くしました。私の通っていた私立大学の年間授業料が8万円でした。その10倍以上はしましたから、その運賃の高さが想像していただけると思います。
私がこの3月まで勤務していた大学の授業料はおよそ80万です。大学が違うので単純比較はできないのですが、ざっくり言うと50年前の10倍になっている勘定になります。ということは、今の値段に換算すると航空運賃は、800万とか1000万していたということになります。
JALパックのような団体旅行が始まった時でした。団体旅行だと何とかなったんだと思うのですが、個人での飛行機での往復は全然無理な時代でした。
何とか格安で、少なくとも私の手が届く運賃のところを探しました。
ネットのない時代です。海外旅行したい時の情報は、雑誌から仕入れるしかありませんでした。複数の雑誌で、ヨーロッパに行くには船や鉄道を使ったソ連ルートだと格安で行けるという情報を得ました。
横浜から船でソ連(現在のロシア)のナホトカまで2泊3日の船の旅をし、ナホトカからハバロフスクまでは鉄道、ハバロフスクで1泊し、ハバロフスクからアエロ・フロート(?)という国営航空会社の飛行機を使ってモスクワへ。モスクワで2泊ぐらいしてモスクワ観光。その後、飛行機でオーストリアのウィーンに着くというルートです。
6泊7日の旅でした。今なら12時間、半日で着くのに1週間かかるのです。
旅行代理店のJTBに相談に行きました。
往復で32万でした。大学の授業料が8万でしたから、その4倍ですね。
先にも述べましたが、私が勤務していた東京の私立大学の授業料は年間およそ80万でした。ヨーロッパ往復の運賃が授業料の4倍ということは、今なら320万かかるということになります。
格安と言いながら、オイオイという金額ですよね。
だから大学時代に私のように海外旅行したのは、クラスの仲間や知り合いの中には探検部の人が南米に行っていた以外は誰もいませんでした。
ではなぜこんな滅茶苦茶に高い運賃のヨーロッパへ、超貧乏学生だった私が行こうとしたのか、そして、なぜ行けたのかについて、次に書きたいと思います。
バイト漬けの大学時代
私が大学に入ったのは、大学紛争がまだ落ち着いていない1971年のことです。授業料値上げ反対のクラス・ストライキに消極的にコミットしたり、ベトナム戦争反対のデモに誘われてたまに参加する程度のノンポリ学生でした。私にとって切実な課題は、毎月の生活費と授業料を稼ぎだすことでした。
新宿駅から徒歩で15分ほどのところに住んでいました。朝の5時前には起き、地下鉄丸ノ内線の始発に乗り、銀座で日比谷線に乗り換え、築地市場に出かけていました。6時前には仕事を始めます。青果部の仲買の店で、番頭さんが競り落としたレタスやセロリ、トマトなどをお店に運び、そしてお店で八百屋さんが買い付けたものを車まで運ぶのが仕事でした。
お昼頃には一段落します。それから元気があればそのまま大学に、疲れがひどい時には帰って寝ていました。夕方から週3日の塾教師、そして空いている日は家庭教師を掛け持ちでやっていました。
何のための大学生活?
今から50年前のことです。高度成長の時代です。私のように仕送りなしでバイトばかりしているクラスの仲間は、さすがに誰もいませんでした。
文字通り朝から晩までバイト漬けの生活でした。
授業にはほとんど出席出来ず、また、本を読む時間もとれず、友達と飲みに行ったり、お喋りをしたりもなかなかできませんでした。
何のために大学に来ているんだろうと鬱々としていました。何とか現状を突破したいと思っていました。それが海外旅行、それも一人旅に行きたいという強烈な動機でした。ヨーロッパの政治思想を専攻していたことも背景にあります。
いくらかかったのか
大学2年生の冬に、彼女が、大学を再び受験するためにお兄さんを頼って上京してきました。熊本の短大卒業後は彼女は大阪の会社で働いていました。会社の寮に入っており、食事もついていたので給料のほとんどを貯金にまわしていたようです。入学金と半期の授業料分が何とか貯まったので、それでの上京です。
結局、受験に失敗し、大学受験のために貯めていたお金20万円が残りました。それでヨーロッパ一人旅について相談したのです。
彼女の貯金20万と私がバイトで貯めた10数万で、大学3年の夏にヨーロッパ2ヶ月の一人旅に出かけました。この投稿のタイトルは、「約50年前のヨーロッパ一人旅にいくらかかったのか」なのですが、費用の大半はヨーロッパとの往復運賃(32万)にかかりました。
今もあるのかどうか分かりませんが、ヨーロッパの列車が乗り放題のユーレイルパスの学生版スチューデントレイルパスが、2ヶ月、2等車で2万円ぐらいだったと思います。最後の2週間ぐらいは宿に泊まる金がなく、かといって野宿する勇気もなく、夜行列車や駅のベンチに寝て過ごしました。
外食は日本人旅行者の人と旅先で一緒になった時に行っただけで、個人としては皆無でした。スーパーでもらったレジ袋にパンとチーズ、それにパンに塗るジャム、果物として日本の10分の1ぐらいの値段だったオレンジを持ち歩きました。オランダでは干し肉(サラミ?)を購入し、それを薄切りにして1ヶ月以上も食べていた記憶があります。公園のベンチやユースホステルの食堂で食べていました。
博物館や美術館は、日曜日だと無料だったのでその日を狙って移動しました。とにかく超貧乏旅行でした。
2ヶ月間の滞在費用は、2万円弱でした。彼女へのお土産は、時計で有名なジュネーブでTissotの時計(約2万円)を買いました。Tissotというメーカーにしたのは、旅先で出会った日本人女性から勧められたからです。
ということで、諸手続き費用も入れて、総計で40万弱かかったように思います。彼女への借金20万は、結局、結婚したことで踏み倒したことになります。
旅の成果は
タフな一人旅だったので、何があっても生きていけるという自信がつきました。精神的には強くなったと思うのですが、それでも50代で精神を病みました。だからそれほどタフになったという訳ではありません。しかし、以前の私よりは生きてゆく強さは身についたように思います。
もともと人付き合いが苦手でコミュニケーション能力が全然ない人間なのですが、この旅のお陰で、まぁ、何とか他人と折り合って生きていけるのではないかという自信もつきました。
会社勤めは、性格的に自分には無理でした。毎日は働きたくない、あまり他人と喋る必要がない職業ということで、大学教員を目指すことにしたのが、この旅の成果でもあります。
ヨーロッパ各地を歩き廻り、その文化の厚さを身にしみて感じました。半世紀近くもヨーロッパの思想や文化を学び、大学教員になってからも数年に1回はヨーロッパを訪れているのですが、まだ全然何も分かっていないなぁという感じです。
一番の成果は
10月中旬に帰国しました。
帰国してまだ頭が日本モードにならない時に、彼女から「いつ結婚するつもり」と聞かれたのです。それで学生結婚しました。『同棲時代』という漫画の本がありましが、彼女の持論は、「同棲は別れが前提、結婚は共同生活の始まり」でした。
ヨーロッパ貧乏旅行の一番の成果は、彼女との結婚だったように思います。多分、この旅の経験がなければ、学生結婚に踏み切る勇気はもてなかったように思います。
高校卒業してから3年間の遠距離恋愛、そして、彼女が上京してきておよそ10ヶ月後に結婚を決意したことになります。旅行から帰ってきて3ヶ月後の翌年の2月に結婚しました。
大学3年生の後期試験が終了した後に部屋を見つけて引越をし、籍を入れて一緒に住み始めました。
このヨーロッパ旅行の時の恩義もありましたので、結婚後は国内旅行も海外旅行もほとんど一緒に行きました。2回の在外研究にも一緒に出かけました。
最後までお付き合いいただき、有難うございました。
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