見出し画像

ロンドンからの便り:7.ケンブリッジ大学と大学の起源

前回の在外研究は、1996年の夏から1997年の夏までの1年間でした。
その時は、ケンブリッジ大学のダーウィン・カレッジにお世話になりました。見出し画像は、ダーウィン・カレッジの中庭から撮影したものです。

はじめに

1997年は印象的な年でした。

トニー・ブレア率いる労働党が、総選挙で地滑り的な大勝利を収めた年でした。帰国直前の8月には、ダイアナ妃がパリでの交通事故で悲劇的な死を遂げています。ダイアナ妃との間が必ずしも良くなかったと言われていたエリザベス女王は、最初は弔意を示しませんでした。それで国民からかなりのバッシングを受けていました。

女王は、首相のトニー・ブレアの説得を受けてようやくダイアナ妃への弔意を示したのでした。

この頃は、現国王のチャールズが、カミラ夫人との不倫もあって王室人気が最低の頃で、王政廃止も囁かれていました。王政廃止の是非についてのアンケート結果が新聞やテレビも賑わしていたのも、いかにも開かれた王室のイギリスらしいなぁと思ってみていました。


第7便:7月某日

第5便で長州ファイブの留学先として紹介したときに述べましたように、ロンドン大学は、オックスフォード大学やケンブリッジ大学に比較すると新しい大学です。イギリスが産業革命を経て世界のトップリーダーの地位にまで上り詰めた19世紀に、時代のニーズにかなった大学をということで創設されたのです。

これに対して、ケンブリッジ大学は、それより600年も前の13世紀に創設されました。伝統ある大学です。

大学がいかなる経緯でできたのかについて、その背景から少しだけ述べたいと思います。

セルジューク朝トルコと十字軍

イスラム教徒のセルジューク朝トルコが、11世紀になると東ローマ帝国の領内に侵攻してきていました。そこで東ローマ皇帝のアレクシオス1世は、ローマ教皇ウルバナス2世に支援を要請します。

当時は聖地巡礼が盛んでした。
その中でも聖地エルサレムはキリスト教徒にとって特別なところでした。そこが、セルジューク朝トルコによって支配されたのです。そこで、ローマ教皇ウルバナス2世は、1095年のクレルモン宗教会議で、「聖地回復」という宗教目的での十字軍の派遣をキリスト教徒に呼びかけたのです。

教皇権の伸長を図っていた教皇にとっては、東ローマ帝国皇帝の支援要請は千載一遇の機会だったのです。

十字軍運動と教皇権

第1回十字軍は聖地エルサレムの奪還に成功し、その地にエルサレム王国を建設しました。キリスト教徒も多数移住しました。ローマ教皇の権威も絶大なものとなり、12世紀から13世紀のローマ教皇権の全盛期を出現させたのです。

しかし間もなくエルサレムはイスラム側に奪回されます。

13世紀初めの第4回十字軍になるとは、本来の目的から大きく外れ、経済的目的が強くなります。商業的な目的からコンスタンティノープルを攻撃、占領します。

十字軍運動の副産物:イスラム圏との交流の活発化

十字軍運動に伴ってイスラム圏との交易が始まりました。東地中海世界で東方貿易が盛んになるという経済的効果がもたらされたのです。

そこからヨーロッパ商業の復興、北イタリア諸都市の勃興という大きな社会変動が起きるのです。

イスラム圏から古典古代のギリシア・ローマの文化が流入

イスラム圏との交流は、文化の面でもヨーロッパ中世のキリスト教世界に大きな刺激を与えました。古典古代のギリシア・ローマの文化が、イスラム世界からヨーロッパ世界に流入してくるのです。古代ギリシア・ローマの文化は、イスラム世界で保存されていたのです。

つまり、この時期にイスラム世界からヨーロッパ世界が学んだのは、独創的なイスラム固有の学問だけではありませんでした。イスラム世界に保存されていた古典古代のギリシアやローマの学問や文化も受け入れるのです。

ユークリッド幾何学、プトレマイオスの天動説、ヒポクラテスやガレノスの医学、そして、プラトンアリストテレスの哲学などのギリシア文化やヘレニズムの文化です。

12世紀ルネサンスと大学の設立

これらの高度な文化が、ヨーロッパ中世のキリスト教世界に大きな知的刺激を与えたのです。それが、12世紀ルネサンスをもたらします。古典古代の学問や文化の復興運動です。

大学の設立は、この12世紀ルネサンスとともに始まったのです。
大学は、イタリア、フランス、イギリス、スペインなどで設立されました。ローマ以来の一般教養とされていたリベラル・アーツと、神学・医学・法学の3つの専門学部から構成されていました。

イギリスにおける大学の設立

イギリスで最初に設立されたのは、1167年のオックスフォード大学です。自然科学の研究で大きな成果を出すようになります。そして、今も継承されている学部(faculty)と学寮(colledge)の2本立てでの教育が始まります。

1209年にオックスフォード大学に批判的だった人たちが移って、ケンブリッジ大学を創設しました。

イギリスでの、というか、イングランドでの3番目の大学が創設されたのは、ケンブリッジ大学ができてから600年後の1826年のことでした。ロンドン大学UCLです。

ケンブリッジ大学とタキシード

ケンブリッジ大学のカレッジでのディナーの時にはタキシードと蝶ネクタイ、それにガウンを着るという生活でした。

パーティでは、いつもタキシード着用がドレスコードだったので、タキシードを購入するかどうか迷いました。しかし、日本では着る機会はないなぁと思って、全部借りて済ましました。

ケンブリッジは大学街です。世界中から毎日観光客が訪れています。
静かで美しい街です。

ケンブリッジ大学はロンドンに?

1996年のことですが、ケンブリッジ大学に留学すると決まった時に、いろんな人から「ロンドンに留学ですか、いいですね〜」と言われて、「いやいや、ケンブリッジ大学はロンドンからかなり離れたケンブリッジ市にあるんですよ」と何回説明したか分かりません。

日本の感覚で言えば、早稲田大学や慶応大学が東京にあるような感じで、ロンドン市内に、オックスフォード大学やケンブリッジ大学があるようなイメージを持ちますよね。ロンドン市内にあるのは、多分ですが、ロンドン大学だけだと思います。ごめんなさい、確証はありません。

ロンドンから南西部に、急行列車で約1時間ほどのところにオックスフォードという街があり、そこにオックスフォード大学があります。

ケンブリッジ大学は、オックスフォード大学の反対側、つまり、ロンドンの北東部に、急行列車で1時間ほどのところにあります。ケンブリッジ州のケンブリッジ市にあります。ロンドン−ケンブリッジ間は、往復で40ポンド(6,000円)ぐらいです。何となく距離感がつかめるでしょうか。

もちろん急行で1時間ですから、ケンブリッジ市内に住み、ロンドンに勤めに出ている人もいます。ちなみに、京王線で新宿から終点の高尾山口まで特急で約50分です。小田急線で言えば、新宿から東海大学前までが約1時間です。まぁ、通えない距離ではないですね。

ロンドンから列車で1時間、バスだと2時間はかかる地方都市なので、イギリス国内に限らず旅行するのにはとても不便でした。


最後に

イギリスの大学は10月から新学期が始まります。
4月から6月の上旬までは試験シーズンです。そして、6月2週目からは夏休みに入ってしまいます。

ということで私のように4月から来ると、講義に出たりセミナーに参加したりなどということはほとんど不可能なのです。

その上今回は、滞在期間も短いので、大学の図書館通いと調査研究という名の旅行が主になります。旅行の便を考えたらロンドンの方が絶対に便利なのです。

もちろんロンドンは彼女の希望でもありましたが、旅行の便を考えたら、1年間住んでいたので少し馴染みがあるケンブリッジ大学よりはロンドン大学の方がいいなということで、ロンドンに留学先を決めました。

まとめるのに時間だけはかかったのですが、今回の投稿が一番とりとめもないものになってしまいました。申し訳ないです。

最後までおつきあいいただき有難うございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?