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「違和感」

人間関係などでも、人の悪い部分に目が行く人っていますよね。
あとは、今やネットが普及していたり、SNSの普及で、物事の悪い部分を目にすること、多いですよね。
エゴサなんてした日には…

やはり、マイナスの部分って目立つのです。
正直に言うと。
これは、人が生きていく上での防衛本能の一つでもあります。

でも、これを見つけたからと言って、指摘すればいいのでしょうか???

私はマイナス発言ばかりするのは嫌いなので、
「違和感」と表現し、共有を求めることが多いです。

例えばです。
ピアスが見えるところにたくさんある人に対して、
自分はまねはできません。
でもそれが「だめだ」とも「変」とも思いません。
その人の個性だと思って言うからです。
私には「違和感」はありますが…

電車の中で食事している人がいます、化粧している人がいます。
それは私の中では「違和感」でしかありません。

ただし、それらを「違和感」ととらえない人もいます。

音楽指導しているときも、
違う音が鳴っているときは「ここの部分(のこの音程)に違和感あるんだけど…」「ここのテンポ、違和感ありません?」という表現をしてました。
誰のどこが違う、と指摘するのは簡単ですし、そのほうが改善されることもあります。

が、

いわれた側は、指摘されたから直した、となりますし、
私がそう感じただけで、実はあっていたのかもしれない…
(自分の耳の問題?)

あとは、言われた側がどう受け止めるか…
「間違えているから直せ」だと、努力して外したのか、努力もせず外したのかお構いなしに直させることになります。

よく合奏の時にも、指摘する前に、多くの人に
「気になったことありますか?」
と聞くことが多かったです。

それは、自分の演奏に一生懸命になっていて違和感に気づけないと困るのもありますし、本人が私が指摘する以上に気になっていることがあるかもしれないからです。

私の指摘がすべて正しいわけではない、
と思うので、「違和感」の共有を重要視していました。
気にならない人は、気にならないかもしれません。
でも、共有できたら、私が指摘するよりも数段改善がみられるのです。
特に楽器も勉強も、スポーツもわかっていても、努力していてもうまくいかないことがあるからです。

料理(お店)なんかもそうですよね。
よくSNSに「まずい」「二度と食べに行かない」と書いてあるのはよく見かけます。
しかし、そのお店の味がその人に合わなかった(違和感を感じた)だけかもしれませんし、お店のほうはおいしく食べてもらうための方向性(努力なのかな?)が及ばなかっただけかもしれません。
ある一人が、マイナスの言葉はいてしまったら、
ほかの人たちはどう感じるでしょうか???
そのコメントを読んだお店関係者はどう感じるだろうか?

素直に「酸味が強かった」とか「濃い味好みの私には合わなかった」と「違和感」の部分を表現してもらったほうが、
他の方にも参考になりますし、共感も得られます。
お店の方もそれに対しての改善のしようもありますし、
「うちはその路線ではないのですみません」
とも言いやすいと思います。

自分の価値観で指摘するのは簡単ですし、言うのは自由かと思います。
ただ、多くの方がみているこのネットで
「あれはいい」「これはダメ」
と決めつけて言うのは、本当にいいのかな?

「違和感」

を覚えてしまうことが多々あります。

もちろん、ルール的なものは守るのが前提です。
でも、違ったから「ダメ」と言い切っていいものなのか、
努力次第では改善できるものなのか、
そもそも努力もなし、改善する気もないのか、
その人の感じ方にあると思います。

「違和感」
があることに対して、ただ否定(ネガティブ発言)するだけではなく、
肯定できる何か(改善策)ないか、
共有・共感材料はないか、
ちょっと考えてみませんか?

ごめんなさい、いつもながら着地地点が曖昧過ぎた。

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