外出する狂気(二)
「どうしたんだい、珍しいな。いや、初めてかもしれないな」
彼女が彼の部屋を訪れるのはこれが初めてだった。彼は部屋の入り口に立つトモコに対して、微笑みながらそう言った。
だが、微笑む彼に対し、彼女の表情は不機嫌で、眉間にはしわができていた。そんな顔で彼の目をじっと見る彼女の口は何も語らず、どうやら彼に対し怒っているようだった。
「どうしたんだ、トモコ?」
困惑しながら彼がそう尋ねたが、彼女は依然として何も喋らなかった。彼女はしばらく黙った後、口を開き、
「サプライズ?」と彼に尋ねた。
彼には、何のことかさっぱりわからなかった。「何のことだい? トモコ」と、浮かんだ疑問を直ちに口に出した。
すると、彼女の顔は更に怒りに歪んだ。
「なんでわからないの?」
強い語気で彼女は彼を非難するようにそう言った。
「ごめん、何のことかわからないよ、トモコ」
「本当にわからないの?」
「ああ、さっぱりだ」
「私の誕生日よ」
その言葉を聞いた瞬間、彼は、完全な思考停止に陥った。彼の脳が作り出した幻覚であるトモコという非実在の女性には、誕生日の設定がなかったからだ。
「誕生日?」と呟いて、彼の目の焦点は宙に移動した。思考は停止するだけでなく、バグを起こしたコンピュータのように混乱した。
「まさか忘れたの?」
そう聞かれて、彼の思考はますます混乱した。存在しないものを覚えてる訳がないからだ。
そうして彼が出した結論は、思い出せないのではなく、彼が彼女から誕生日を教えてもらったことがないという、長く交際してるカップルとしては有り得ないほど不自然なものだった。だが、実際のところ、それは正しかった。トモコという幻覚が現れてから、その幻覚は彼に誕生日を告げたことがない。
「誕生日……、教えて貰ったこと、あったっけ?」
彼女はいよいよ激怒した。
「もう、良い!」
彼女の声は、即ち幻聴であるため、実際には鼓膜に対し何の物理的影響もないのだが、とにかく、まるで鼓膜が破れるような、彼が未だかつて聞いたことのないほどの大きな声で、彼女はそう絶叫した。その言葉を残し、彼女は彼の部屋の玄関の前から立ち去った。
「待ってくれ」
彼は、玄関の外に出て、立ち去る彼女をすぐに裸足のまま追いかけた。しかし、彼女の姿は既にどこにもなかった。
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