かんたんな精神病(サイコーシス)、統合失調症と非定型精神病について

かんたんな精神病(サイコーシス)、統合失調症と非定型精神病について

・精神病の分類

 精神病はいろいろな原因で起こる。

 精神病というくらいだから精神に異常をきたすのだ。

 他の精神障害でも精神に異常をきたすと言えるが精神病の精神異常は特殊だ。

 心理的にも直感的にも理性的にも理解できない、直感的にピンとこない症状が起こる。

 対人恐怖症ならなんとなく患者さんの気持ちを理解した気になれる。

 うつ病もそうだ。

 しかし幻覚で人の声が聞こえまくる状態は心情的にも理性的にもピンとこない。

・精神病は大きく3つに分けられる。

 精神病は伝統的に大きく3つに分けられる。

 外因性、心因性、内因性だ。

 外因性は他の病気や危険ドラッグなどによっておこるものだ。

 幻覚が見える疾患としてはレヴィ小体型認知症がある。

 認知症の中で頻度2番目だ。

 一位はアルツハイマー型認知症だ。

 この頻度というのも実際には怪しい部分がある。

 眩暈なんかもそうだが病名をつけられない場合も多そうな感じがある。

 原因不明あるいは多くの場合精神的ストレスが伴っているのでそういうのによって誘発される原因不明の眩暈で括ってしまってもよさそうな気もする。

 認知症も90歳以降の人口の認知症は50%だ。

 これは老化と言えなくもないし、いろいろな要素が入り混じる混合性と思われるものも多い。

 なんでもキレに診断すればいいわけではなく分からないものは分からないとしてよい。

 治療法がないので重篤、緊急性を要する状態がなければ診断名をつけなくてもよい場合があるし、治療や予防ができるならそれをすればいいだけだ。

 そもそも90台で認知機能が低いのは病気と言えるのかという問題がある。

 基本はアルツハイマー型認知症のアミロイド仮説ではアミロイドが蓄積してからでは手遅れと考えられている。

 昔は老人性認知症senile dementiaといっていた。

 カルテにSDと省略されて記載されていた。

 現代は画像検査でアミロイドなどが生体画像で可視化できる場合もある。

 そうであっても普及がどれくらい進み、そもそも普及させて割が合うのかという問題がある。

 医療のためなら無制限にお金を使っていいという時代は日本でも終わりつつある。

 精神病の広い定義では認知症も精神病だ。

 そもそも統合失調症の古い病名は早発性痴呆と言った。

 痴呆とは認知症のことだ。

 自身も認知症になった。長谷川式認知症スケールの長谷川先生等の尽力で痴呆から認知症に変わった。

 因みにドストエフスキーの小説のタイトルの『白痴』は知恵おくれ、精神遅滞、知的障害、知的発達障害、知的能力障害に相当する。

 多分英語ではmental retardaionの力なのだが、日本語では翻訳を転変した。

 言葉で胡麻古層という精神の表れなのだろう。

・精神病とは

 精神病とは正常に対する異常を指す。

 一時的ではなく疾患的な異常だ。

 以上には

「普通の人にないことが現れる」

 と

「普通の人にあるべきものがない」

がある。

 前者を陽性症状、後者を陰性症状という。

 陽性症状は幻聴や妄想だ。

 陰性症状は感情がなくなる、意欲がなくなる、広くとる最近の考え方によると認知の低下を指す。

 認知症は症状が進むと知情意の表出低下がある。

 これは陰性症状とされる。

 知、情、意と認知機能は関係がある。

 認知機能の低下を指して昔は統合失調症を早発性痴呆と言った。

 これは本質を指している。

 逆に幻聴や妄想は症状の本質ではないという考え方はそもそも最初からある考え方だった。

 幻聴や妄想が本質であれば聖書の予言者たちは統合失調症と言えるかもしれない。

 陽性症状が統合失調症と考えるのは聖書文化圏では若干問題があった。

・精神病と、異常と狂気

 精神病とは精神のディスファンクションでディスファンクションは言い換えれば「異常」や「狂う」という意味である。

 替えの言葉がないのに言葉狩りするのは大変な問題がある。

 変わる言葉がないと概念自体がなくなる。

 人の頭から考え方や概念をデリートしようとするのは洗脳だ。

 いわゆる古典的自由主義ではなく世のリベラルという人たちはこれを平気でやる。

 焚書坑儒と同じだ。

 燃やして埋めてなかったことにする。

 ここに実は格差と不平等と不公正が生じる。

 愚民主義だ。

 「民は知らしむべからず」というイデオロギー絶対主義者の孔子の言葉が浮かぶ。

 昔は超格差社会なので農村時代の「人生五十年」を除けば上層階級は寿命が長かった。

 乳幼児死亡は除く。

 釈迦は80歳、講師も70歳以上生きている。

 釈迦は35歳で悟ったが講師は悟った形跡がない。

 30歳で立つ、40歳で惑わず、50歳で天命を知る、60歳で耳従う、70歳で己の欲するところに従ってのりを超えずだ。

 死んでも悟れなかったのだろう。

 精神病とは異常を指すがドラックやほかの疾患の部分症状として起こったものではない。

 単純な例では意識障害があると幻覚もみるし妄想も生じる。

 意識障害なんて医学ではしょっちゅうみられる状態だ。

 せん妄という。

 ドラック浸かっても幻聴妄想が出ても不思議ではない。

 他の疾患、さっきの例で言えばレヴィ小体型認知症でも出る。

 心因性精神病とは心理的な原因で生じるものだ。

 人間は賢いので心理的な原因で結構なんでも生じうる。

 賢いせいか馬鹿なせいかは分からないが。

 内因性というのが我々の探求対象となる。

 ドラックなどの清新さ作用物質によらず、せん妄でもなく、心理的な要因でもない場合だ。

 これは昔は3大精神病と言って、性格論で有名なクレッチマーの時代には精神分裂症、躁うつ病、てんかんが3大精神病と呼ばれた。

 てんかんは脳波の発見で精神病から外れた傾向がある。

 ただし転換精神病というのはある。

 発作を精神病とみず、間歇期症状を精神病と見る。

 統合失調症、躁うつ病、うつ病が精神病として残されたが躁うつ病とうつ病は今日では気分障害として精神病から切り離す傾向がある。

 とすると統合失調症のみ精神病として残されている。

 これはドラックによる精神病症状やほかの疾患、意識障害による精神病状態、、神経症による精神病状態などは除く。

 内因性というのは遺伝やその他の要因など考えられているが今は分かってない何らかの原因で精神病になりやすい状態を指すと言ってよい。

 割り切っていってしまえばそんなものだ。

 ただし精神科ではこの内因性が重要だ。

・原因のない精神病は何か

 意識障害があればあらゆる症状が生じうる。

 胡蝶の夢のようなものだ。

 無限状態ではあらゆることが起こっても不思議でない。

 そういうのを除いて現在よく分からない精神病を原発性精神病、あるいは一次性精神病と医学では名付け得る。

 そのような精神病は現在では統合失調症とされる。

 昔は原発性精神病は1つであるという説と、2つであるという説と、いっぱいあるという説があった。

 1つであるという説の継承者は東京女子医大だ。

 2つであるという説の継承者や大阪医大や京大。

 いっぱいあるという説はどいつのレオンハルトの説。

 単一精神病仮説というのはDSMがⅣから5に改定される際に採用されかけた。

 遺伝子検査では統合失調症と躁うつ病には遺伝子的には変わりがないことが分かった。

 統合失調症と躁うつ病の距離は、躁うつ病とうつ病の距離より近い。

 しかしDSMでは分けて扱うことになった。

 躁うつ病やうつ病も昔は精神病と言われたが今は気分障害とネーミングされて精神病と区別されることが殆どだ。

 原発性精神病を2つに分けるのは京大系列の大阪医大の満田先生が有名で統合失調症と非定型精神病に分ける。

 これが本文の主題だ。

 ドイツのレオンハルトの分類は70年前の物でもあるし、精神疾患は細かく分けようと思えばいくらでも細かく分けられるが観念上の話になるのですたれた。

・統合失調症と非定型精神病。

 臨床的には少なくとも昔は統合失調症と非定型精神病は別の疾患ではないかと思える節が確かにあった。

 臨床的実感に純粋に研究し、大阪医大は膨大な数の家族歴のデータを集めたが今だ未解析のままだ。

 京大も非定型精神病をDSM5の診断基準に乗せようとしてAPA=アメリカ精神科学会に診断基準を提案している。

 非定型精神病は現代の都市部では減っている。

 現代は統合失調症自体の重症度が低下し、発症率も下がっているのではないかと言われる。

 そういった現象のあおりを受けている可能性もなくはない。

 ただ今回は統合失調症と非定型精神病の精神病理学的違いについて書く。

・何が違うのか

 統合失調症の本体は陽性症状にあると単純に考えれば思われる。

 しかし精神病理学の伝統ではアンリ・エーの気質力動論でもラカンの構造主義的精神分析でも精神病の病理は陰性症状にあると結論付けられる。

 統合失調症の診断基準は最新では1か月に及ぶ急性期の精神病症状とそれを含む半年以上の何らかの精神の異常兆候=兆候or症状を指す。

 この中で大切なのは実は半年以上の兆候の方が大切なのだ、というのが統合失調症の精神病理学の結論だ。

 統合失調症になるには長年にわたる固着した両価的、ジレンマ的、ダブルバインド的状況があると考える。

 これが急性期症状を起こす土台となるが、急性期症状を経験したからと言って、根本の問題意識は収まらない。

 これが統合失調症が慢性、反復性である理由と考える。

・非定型精神病。

 それに対して非定型精神病は葛藤がない。

 反省もない。

矛盾した2つの状況を統合させる一般理論をさがしたり、悩んだりする苦しみがない。

非定型精神病はそのような土台のないまま発症する。

当然急性期エピソードが終わった後も何にも執着していないので症状をこじらせることがない。

急性期症状期にアクセスしない。

急性期症状の記憶にアクセスしにくい。

急性期以外にも悩んでシナプス障害が起こることはない。
 
 すなわち病間気に統合失調症を感じさせるものがない。

・頭真っ白けと観念奔逸

 先日沖縄に行ってきた。

 頭真っ白けにして無心に遊んだら軽い観念奔逸があった。

昔のことを思い出したり新しいインスピレーションがわいたりした。

これの沿線上に非定型精神病はある。

頭真っ白けで一時的に精神の活性化が起こるがそれが収まったときに頭真っ白けで何かの観念に対する拘りがないので、慢性化しない。

一方統合失調症は発症前から何かに悩んでいる。

マルクス主義とゲーム理論を統合されることに悩んでいた経済学者の統合失調症の例を知っている。

ゲーム理論と言えばビューティフルマインドのナッシュ均衡で知られる、ジョン・ナッシュは映画『ビューティフルマインド』で有名だがゲーム理論を経済学に適用させたことでノーベル賞をもらっているがその後統合失調症に発症した。

共産党員は統合失調症が体感的に多い。

これは15年以上前の話かもしれない。

無理を通すと道理が引っ込んで発症するのだ。

無理を通そうとする拘りが消えないので、急性期症状が終わっても慢性化、あるいは反復性になる。

急性期症状は普通の人に見られない症状が様々に見られて初学者には注意をひきやすいが、それは統合失調症の本体ではないというのがコンセンサスだ。

むしろ半年以上続く、地味な目立たない以上に注意を向けるのが統合失調症を見るコツである。

・主要症状

 統合失調症の本体は被害関係妄想、注察妄想、盗聴の妄想、離人症、現実感喪失、存在しないものが存在する感じなどの自我障害や実体意識性の障害に関係がある。

 非定型精神病の本体は気分障害や意識障害だ。

 ICD10では多形性な症状という言い方が言われる。

 統合失調症ではシュナイダーの1級症状が中核群を診断特異度も感度も高そうだが非定型精神病はそうではない。

 非定型精神病ではそのようなネガティブな感情ではなく、恍惚感や多幸感、想状態の感覚や意識障害で後で聞いても覚えていない時がある。

 意志障害が生じて緊張病状態を呈することもある。

 緊張病状態はかつては統合失調症の亜分類とされたが現在は気分障害で出現することが多いのが分かっている。

 統合失調症は統合失調症だが非定型精神病は多形多形性精神病性障害や統合感情障害、精神病症状を伴う双極性障害に分類されることがある。

 統合失調症と双極性感情障害、あるいはうつ病も含めて単一の精神障害、あるいはスペクトラムと見做すのが単一精神病仮説の考え方であった。

・拘り

 統合失調症では背景に何かに対する強いこだわりがあることが必要条件だ。

 その一方で非定型精神病ではそういったひと時も頭を離れない強いこだわりがないのが特徴だ。

 これが統合失調症が慢性化する原因でもある。

 急性期症状が終わった後もこの拘り自体は消えない。

 これが急性期症状再燃の準備状態でいつも急性期症状に転嫁しうることを考え続けているのだからいつ再発してもおかしくないし、再発しなくても慢性化する。

 他方で非定型精神病は、病後は病前の拘りを持続しない、あるいはたまに思い出しても継続的でない。

 何かの精神的な同様でその時のことを思い出して再発することがある。

 精神病にしても気分障害にしてもてんかんにしても急性期の発作用症状を起こすには何かきっかけがあると考えられてきた。

 統合失調症ではきっかけは常にありつ受けるし、非定型性病ではきっかけは何かのきっかけがないと思い出さない。

 このために急性期症状(シュープ)の間歇期には病態増が異なる。

 統合失調症の間歇期症状は昔のプレコッカスゲフュールと言われたように何となく特徴がある。

 奇異な発言や行動がみられることがある。

 何らかの認知欠損がありそうで話が通じにくい。

 それに対して非定型精神病の間歇期はほぼ異常が見られない。

 細かく見ると何らかの認知機能障害などがみられる場合があるが普通にしてると気付かれない範囲だ。

・深淵と精神病

 「モンスターと戦う者はその過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなければならない」

「深淵を見入る時深淵もまた汝を見入る」

というニーチェの有名な言葉があります。

ニーチェ自身は梅毒精神病で発狂しました。

 統合失調症は急性病間歇期にも常にモンスターと戦い続け、深淵を見入り続けている存在です。

 他方で非定型精神病は急性症状間歇期にはモンスターのことも深淵のこともさっぱり意識から忘れています。

 しかし何かのきっかけでモンスターや深淵を思い出すと急性期症状を発症します。

 急性期症状があるなし関わらずずっとモンスターと戦い続けたり、深淵を見入り続けると脳の不可逆的変性が起こります。

 また離れようと思っても離れられません。

 他方で非定型精神病は急性期の間歇期では深淵もモンスターも離れています。

 この間は脳損傷、シナプス損傷が怒らないので、残遺症状、知情意の低下、認知機能障害が起こりにくいと言えます。

現代哲学を広める会という活動をしています。 現代数学を広める会という活動をしています。 仏教を広める会という活動をしています。 ご拝読ありがとうございます。