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マタニティリープマガジン vol.31 子供たちへの思い「根っこがわかると楽になる」食の探求そして移住、パートナーと築く新しい暮らしのかたち 3回/全4回

みなさん、こんにちは。「マタニティを飛躍の機会に」。マタニティリープです。このマガジンでは毎週木曜日にメインコンテンツとして、マタニティ期、子育て期の経験とリープについて伺ったインタビュー記事を連載しています。今回は日々の暮らしを丁寧に優しく楽しくするHACHINAの木村陽子さんのインタビューの第3回(全4回)です。読んでいただいて、共感したり、元気になったり、癒されたりと、みなさんの力となる記事になれたら嬉しいです。


▪️マタニティリープインタビュー 木村陽子さん

〜木村陽子さんのマタニティリープジャーニー〜(第3回/全4回)

現在、木村陽子さんには20歳と15歳の13歳、3人の子供がいる。昨年、東京から函南に移住し、パートナーと2人の子供と共に暮らしている。「食を通して子供と家族を守る」を人生の中心に置き、栄養士として、母親として学び、実践を続けてきた陽子さん。今、長年描いてきた夢が実現しつつあります。三人の子育てを通して何を学び、今、何を思うのか。第3回目の今回は陽子さんが思いっきり動き始め、いつかやりたいと思っていたことに少しずつ近づいていく様子を伺うことができました。

<第一回"子供から見てあげたいと小児栄養の道へ"はこちら>
<第二回"マクロビとの出会い、つながりを支えに"はこちら>

庭のカリンの花 
荒れていた庭を少しづつ整えていき、草木が息を吹き返してきた嬉しい瞬間

精神的にも支えとなった市民講座

ーーーお仕事の方はどうだったのでしょうか?
陽子 そうですね。上の一番上の子が生まれるくらいから、母親向けの保育付きの市民講座を担当させてもらうようになりました。その頃、市民公民館で働いている管理栄養士の知り合いがいて、そこで市民講座をやってくれないかというのがきっかけで、それから一年に何回かやらせていただいて、20年くらいずっと続いています。最初の頃、市民講座に来てくれていたママが、子育てが一段落して、保育職員になったり、その時の子がもう中学生になっています。広報で募集をかけてくれて、みんなでランチ会をやったりと、とてもお世話になりました。

ーー どういう講座をされてたんですか?
陽子 半年コースとか三ヶ月コースとかでやってました。基本的には母親向けで、子どもの成長発達にともなってその食事はどう変わっていくかとか、なるべく教科書的なことじゃなくて実践的な話で、お母さんからこういう時どうしたらいいですか?という質問が来るので、それに答えたりしていました。あとは座談会のような形で、私がお菓子を作って持って行って、育児や、育児以外の自分の体のことをお互い話していくというのもありました。他には、東洋の栄養の話、陰陽五行の話から、子供のお手当とか薬膳とかそういう話もしました。

ーー 市民講座は陽子さんにとってどういうものでしたか?。
陽子 今現在のママたちがどうなのかという現場を知るということは、私にとってとても大事です。そういう意味でも、そこではリアルにママたちが20人ぐらい集まって喋ってくれるので、本当に貴重な時間でした。私も子育て時期だったので、一緒に学んで一緒に子育てしていたという感じがあります。自分の子育てが終わっていったあとは、今度は伝えていくっていう形に変わっていきました。

もうこの仕事ではやっていけない、ガッツリ勤めなきゃいけないかなというときでも、ふっとこの仕事が入るので、まだこのスタイルで続けてやっていけるかなという支えにもなりました。そういう意味では精神的にも支えてもらったような感じです。

庭のよもぎ
お菓子作りに使ったり、干してお茶にしたり

雇われるより自分で動くほうが合っている

ーー ガッツリ勤めなきゃというのは、例えば会社員になるとか組織に入って何かやるということですよね。
陽子 病院や高齢者施設、保育園などの管理栄養士として組織に入って、ずっと月曜日から金曜日までフルタイムで働く、そういう雇われるという形にしなくてはまずいかなというときは何度もあったんです。そういう時に、市民講座は結構大きい仕事だったので、もうちょっとやっていけるかな?自営でもいいかな?と、ずっとそういう感じで支えてもらっていました。

ーー お勤めするよりは自分でという意識があったのですか?
陽子 大学卒業後、最初に三年間勤めてましたけど、疑問を持ちながら働いていくっていうことができないんです。組織の中にいると、こういう風にやったらきっと要領よくできるのに、みんなここで困ってるんだったら直せばいいのにという部分ってあります。私はそれをわかっていながら、何も動かないで黙々と働くということができない。すぐ上の人に言っちゃったりとか、自分で直そうと動いちゃったりとかする。それで全然組織が良くならなかったりすると、自分にすごいストレスがかかる。だったらもう自分で動いた方が全然いい。自分はそういうタイプだなと思っていました。

お盆やお彼岸に作るおはぎ 
行事や季節を大切に。子どもたちにも伝えていきたいひとつ

これで思いっきり進める

ーー 一人目を産んだ後、二人目、三人目を産むのは計画的というよりは、タイミングでという感じだったのでしょうか。
陽子 そうですね。仕事も続けたかったので、どういうタイミングかっていうのは悩みました。でも考えててもね、しょうがないですよね。そういうタイミングって来るじゃないですか. どうしたって。それならもう早く産んでしまった方がいいのかなと思ってました。三人目産み終わった後は、もうこれで産休とかなくなるって思って、少しほっとしましたね。もうこれで思いっきり進めるなっていう思いはありました。どうしても、次も産むかもと思うと少しブレーキがかかるんですね、自分の中に。でも、三人目を産んで、もうないって思った時に思いっきりアクセルを踏めました。それからすぐママサークルを立ち上げたり、動き始めました。

いつかやりたいと思っていたことに少しずつ

ーーどういったサークルだったのですか?
陽子 その頃、マクロビのことも学び始めてたので、動物性を使わない体に優しいおやつを自分で作り始めてたんです。それを同じママたちと一緒に食べながらくつろげる場所ができたらいいなと思い、場所を探しました。すると、偶然、保育園の掲示板のところに、社会福祉協議会が協力してくれるというチラシがあり、そこに相談したら、サークルを立ち上げるサポートをしていただいて、近くの市民センターの和室を借りることができました。

最初は、午前中の2時間、おやつを持っていくからみんなで集まっておしゃべりしない?とママ友をお誘いして、おやつとか食べながらたわいもない話をするという簡単なものでした。ブログでも声かけしたりして、それを3年ぐらい続けていました。

自家製の鹿レバーペーストのカナッペ 
命を大切にいただくために、ジビエ料理もする

ちょうどその頃、長男がアトリエに通っていて、そのアトリエの先生から、喫茶室を併設したいので一緒にやってくれないかと声をかけてもらいました。それで、部屋を改装して保健所の許可取るところから一緒にやらせてもらいました。その後、そちらがメインになりママサークルを一回閉じました。そういう感じで、専門学校で教える仕事をしながらも、いつか自分でもやりたいと思っていたことに、少しずつ自分で動いてました。

ーーその喫茶室というのは、こちらに来るまで、東京にいる間はずっとやってたんですか?
陽子 はい、やっていましたが、そのアトリエが賃貸契約期間が切れて引っ越すことになり、それをきっかけに一度閉じたんですよね。そうしているうちに、自分で”HACHINA”いう看板を立ち上げてやることになりました。

ーーHACHINAを立ち上げたのはいつぐらいなんですか?
陽子 その名前を立ち上げたのは4年ぐらい前ですね。それまではその喫茶室のスタッフという肩書きを持ってたんですけど、ここから自分の看板を持ちました。

ーー三人目が生まれて、そこからエンジンかけて、アクセルを踏んで、サークル立ち上げて、喫茶室をまわし、HACNIHAを立ち上げて。それはみんなエンジンをかけた結果ですね。
陽子 そうです。私はあまり雇われるというのが性に合わなくて、自分でやるしかなかったというのもありますね。

家のリフォーム(土壁)をしてくれた大工さんたちのランチ風景
HACHINAのお弁当をお庭で

里山との出会いが今の暮らしにつながって

ーーその後どうなっていったのですか?
陽子 その後、ある里山とつながることができて、そこでの経験が、今の暮らしに繋がっています。そこでは、その場にある自然のもので料理していくというイベントを一緒にやりました。それまでは、お店や農家さんから野菜を買ってお料理をしてきたのですが、目の前に生えている野草や畑のものを、そのまま取ってきてお料理するというスタイルです。これまで、やりたいと思っていたことをできるチャンスに恵まれて二年ぐらいやらせてもらいました。自分で進みながらいろいろな経験を皆さんにさせてもらってきたので、それは本当にありがたかったです。

ーー函南に移住したというのは結構大きな決断だったのですか?
陽子 東京でいい場所があれば、東京のままでいてもよかったんです。引っ越しのようなことは、無理して流れを作るものではないと思っていました。無理に動くというのは、やはり必ずどこかにしわ寄せが来るので、流れをうまく読まないと、というのがありました。流れをうまくつかむ力というのは、食で整えていくことがきっとできるだろうと思っているので、自分自身の食もすごく気をつけました。子供たちも何かの流れから外れないように、食を整えてあげようとしていました。何かのきっかけで決断したというよりは、少しずつの流れからそうなったのだと思います。


<次回へ続く>


▪️編集後記


本のタイトルが決まってきました

昨年から準備を進めてきた出版プロジェクト、
いよいよタイトルが固まってきました。

「ママの人生が変わるマジックワード#マタニティリープ」
~コーチと歩むライフデザインブック~

「マタニティリープ」という言葉は
Maternity Leave=産休」をもじって作った
Maternity(母であること)とLeap(飛躍)の造語です。

英語で”maternity leave”は産休を意味します。
この時期を産休や育休など少し社会から離れて
“お休み”ととらえることが多いけれど

実はこの時期には次につながる飛躍の「たね」がたくさんある。
この時期特有の悩みや葛藤も「たね」になる。
だから安心して悩んでほしい。

この時期を”leap(跳躍・飛躍)する機会”
ととらえてこれまでの習慣ややり方を
自分らしい生き方に変化させていく。

Maternity Leave から
Maternity Leapへ!

「マタニティリープ」という言葉を多くの人に知ってもらって、
マジックワードとして、どんどん使って欲しい。
そんな思いでこのタイトルにしました。

多くの方に知ってもらうためクラウドファンディングの準備もしています。
どうぞ応援よろしくお願いします!


<編集>
マタニティリープ合同会社
https://www.maternityleap.com/


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