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2023

はじめに

こんにちは。2023年の大晦日、実家のファンヒーター前でこのnoteを書いているカワヒマと申します。

いきなりプライベートな話で恐縮ですが、つい先日、地元メンバーと同窓会を行いました。10年ぶりに会う友達もいるなか、ちょっと恥ずかしく、でも恐る恐る話しかけると凄く打ち解けて話し込むような関係性で、近況報告や昔の思い出話などに話題は尽きず、あっという間に時間が過ぎていきました。朝の5時まで飲んでいたのは本当に久しぶりで、でもまだまだいけるなと。案外自分は思っているよりも若いな〜と自分の身体の強さを感じました。

同窓会で特に印象的だったのは、全員が違う人生を歩んでいることです。(当たり前ですね)

既に2人の子どもがいたり、コロナ禍で看護師さんに転職をした人がいたり、大学卒業後船乗りになる人がいたりと、同じ地元で生まれ育ち、一定時期を過ごした仲間たちが散り散りになり想像もつかないような人生を各々歩んでいる、そして、当時の思い出話に花が咲いたり、近況を交換し合えるって、なんと貴重な機会だったのだろうと今振り返って思います。また5年後、自分らが30歳になったタイミングで開催したら、どんな話ができるんだろうかと物凄く楽しみです。

かく言う自分も2023年は激動の年でした。体調不良・転職・引越・同棲開始と、住む場所、一緒に住む人、そして働く場所が変わるという、客観的にも大きな変化を経験した年でした。

コロナ禍が明けたことや、生成AIが社会実装されたことなど、社会的な変化も相当激しかった年だと思います。この2023年という個人的にも社会的にも激動の一年をしっかりと振り返り、いつでも見返せるようにしたい!という思いで、たまには話がそれながら、色々と書いてみようと思います。

普段文章を書く時、自分の他のnoteも含め大きな構成を作ってから詳細を書き始めるのですが、今回は構成を作らずにいきなり書き始めてみようと思います。

体調不良により休職

今でこそ体調はバッチリですが、ちょっど1年前の大晦日はメンタル的にかなりやられていました。

年末年始休暇に入るまでにとんでもなく神経をすり減らしていたこと、そして、休暇中もタスクが残っていたため、大晦日の午前中であるにも関わらず仕事していたなーと、今でもあの時の嫌な感覚は鮮明に思い出せます。

結局、年末から1ヶ月後の1月末に適応障害と診断をされ、約1ヶ月ほど休みを取ることになるのですが、この年末年始がとにかく辛かった記憶があります。なぜなら、せっかくの長期休暇を仕事で台無しにしている感覚があるものの、仕事をしなければタスクは一向に片付かずに後々の自分の首を絞めるだけだが、仕事をしたくなさすぎて永遠とネガティブな感情に苛まれていたからです。

■ドツボにハマった負のループ
タスクが溜まりすぎる→捌けなくなる→長時間労働でなんとかする→睡眠不足になる→日中集中できなくなる→ミスする&怒られる→メンタルやられる→ミス処理に時間余計にかかる→タスクが溜まる→以後繰り返し

上記が10月ごろから2ヶ月ほど続いており、睡眠時間は平均3〜5時間、メンタルはボロボロで、心身ともに疲れ果てていました。そして、1月末、朝起きると全く体が動かなくなっており、ついに仕事に行けなくなりました。

本当に驚きました。金縛りでも無いのに身体が言うことを聞かないってこういうことなのか!と今でもあの感覚は思い出せます。

なぜ、ここまで深刻な状況になってしまったのか?改めて振り返ると、「業務量がキャパを大幅に越え続けていたから」になります。

  1. 成果創出のための優先度を考えず、振られた仕事を愚直に全部こなしていた。長時間労働でカバーする解決策を選んでしまった。

  2. 中途半端に仕事を引き受けてしまって本当に片付けないといけないTodoを推進できていなかった。

  3. 一旦冷静になって考え「YES/NO」の判断をする前に即答で「承知いたしました」と言っていた。

  4. 抽象的なタスクを捌くための計画を最初に行い、そのプロセスに誰かを巻き込むということをほぼしていなかった。つまり、全部一人で抱え込んでしまった。

  5. キャパオーバーが近いことはわかっていたものの、自分が誰にどの業務を巻き取ってもらうのか等、具体的なアクションとともに相談をすることが出来ていなかった。

自分の性格上の問題と、恐れ多いですが会社の支援不足という2つの問題が悪い意味で上手く噛み合わさり、上記ループが回り続けてしまったのだと振り返ります。

では、この経験を繰り返さないためにはどうしたら良いか?そして、この経験を横展開するためにはどうしたら良いか?
それは、「キャパオーバーさせない状態を自分と組織に強要すること」です。

  1. 定時後に業務をしないといけない状態がずっと続くのは、それ以上キャパを増やすとやばい状態であることを表裏一体であるため、出来るだけ定時内で業務調整出来るようにする。

  2. 上からのプレッシャーが来ても、メンバーに高いストレスをかけるようなことを自分のところで堰き止め、部下に負担がかからないように出来る限り配慮して調整をする。

  3. 増員は必ずしも有効は解決策ではなく、組織としてのキャパが増えるだけで、何も負担は変わらないことが多いことを認識する。

  4. 疲労を考えた上で、どの仕事を残し、どの仕事を切り捨てるかを明確にする。どれもやらないといけない仕事だが、その中でも優先順位を決め、出来ること以外を切る、切り捨てる勇気を持つ。

  5. ちゃんとご飯を食べて、風呂に入り、しっかりと良質な睡眠を確保している人には勝てないということを認識する。

  6. 周囲が忙しいタイミングで休憩を取ることを心苦しく感じるが、こまめに休憩を取ることの方が長期戦を戦うことが出来るということを認識する。

当時はめちゃくちゃ辛くて本当に毎日限界でしたが、新卒3年目でこの修羅場を経験できたこと、そして、しっかりと振り返り自分の財産に出来ていることを思うと、現在の時間軸で振り返ると失敗では無かったなと思います。

実際、この経験が無ければ今の幸せな生活は無いわけなので、失敗とは自分の解釈次第なんだなと身に沁みてわかりました。

ここで一度脱線しますが、振り返っていて思うのは、自分の最大の強みは「解釈力」です。ストレングスファインダーは、学習力/内省/個別化/最上思考/達成欲なのですが、個人的には内省が1番の強みだと自負しています。持ち前の好奇心を活かして経験したことを徹底的に振り返り、ネガディブなことでも良い経験として解釈できることは、他の誰もが簡単にできることでは無いんだと最近気がつきました。そして、振り返りするときは問題解決につながりそうな書籍や記事をめちゃくちゃ読み込むのですが、これも誰もがやっているわけでは無いと気がつきました。自分の強みは思いがけないところで認識出来るようになるもんですね。

転職・引越・同棲開始

1月末に休職し、復職の意志を再度会社に伝えたのは2月末ごろ、そして3月初旬から復職をしたので、我ながらよくこのスピード感で持ち直したなと思います。

休みの期間はとにかく休むことに徹し、ダラダラと漫画や本を読んだり、アニメや映画を見たり、サウナに行ったり、美味しいご飯を食べにいったりと、平日らしからぬ生活を過ごしていました。この時期はすごく楽しかったですね。

そして復職したわけですが、復職する直前までは転職意思はありませんでした。またこの会社でがんばろう!と思っていたのですが、復職する3日ほど前に再配属予定の部署が大きく変わるという出来事を経験しました。この瞬間、会社への帰属意識が0になり即座に転職しようと決意しました。

多くの方々は自分が体調を崩したことが直接的な引き金になっていると思っていましたが、実は体調不良ではなく、この直前変更が転職決意における1番の理由です。会社からすると些細なことかもしれないですが、当事者からすると凄く大きなことでした。会社には体調不良と伝えているため、本当の理由は把握していません。組織が同じ失敗を繰り返すのは、本当の理由や原因を特定できていないからなのかなと思っています。

決意した後の行動は速く、約3ヶ月ほどで転職活動を終え、会社に辞める意思を伝えました。本業と兼用しての転職活動はとてもとても大変でしたが、結論めちゃくちゃ上手く行きました。その際の振り返りは以下のnoteに詳しく書いていますので、よろしければご一読ください。

そんなわけで転職を大成功させることが出来たのですが、転職に加えてもう一つ大きな意思決定をしました。それが、引越・同棲というわけです。

24年間暮らした実家を離れることは、自分にとっても親にとっても大きな出来事だったと思います。しかし、25にもなって独り立ちしていないこと、経済的な余裕が生まれたこと、そして同棲したかったことを踏まえ、実家を出る決断をしました。

実家を出る当日、大きなスーツケースを2つ抱えてた自分を「大変そうだね」と、重い雰囲気にならないように配慮してくれたのでしょうか、とにかく重苦しい雰囲気ではない空気感で見送りをしてもらったことはとても自分の心を軽くしてくれました。これからも忘れられない経験です。

今は月1ペースで帰宅しています。友達に話をすると結構高い頻度で帰宅しているとのことで、我ながら良い息子だなと思います。

それにしても、独り立ちをして生きていくってめちゃくちゃ大変なんですね。当たり前ですが、黙っていても部屋が片付くことはないし、洗濯もしなければならない。料理に関しては毎回彼女が美味しいご飯を作ってくれるので実家と変わらないですが、食費はかかります。「生きてるだけで金かかるってこういう事なんだ」とようやく実感を持てるようになりました。

また脱線しますが、宇多田ヒカルさんはイギリス移住を期に「暮らし」があると言及されています。

スー:イギリスに移住されて10年。暮らしはいかがですか?

宇多田:「暮らし」がある。日本の生活では、私の存在の仕方には「暮らし」というものがなかったんです。10代から自分で作詞作曲をして、意見もはっきりあって、お金も稼いでいました。独立した人間という見られ方をしていたかもしれないけれど、誰かに飼われているペットみたいな感じで。食べ物も自分ではほとんど買いに行かないし、家も自分で借りていないし、銀行の口座も誰かが開いてくれたのを知っているだけ。電話の契約も、家を借りるのも、引っ越しも、何もかも事務所がやってくれて。

VOGUE JAPAN
https://www.vogue.co.jp/celebrity/article/in-my-mode

自分が先ほど言及した「生きてるだけで金かかる」感覚は、宇多田ヒカルさんがおっしゃっている「暮らしがある」という感覚に非常に近いです。暮らしがある感覚を掴んだからこそ、「BADモード」で「メール無視してネトフリでも観てパジャマのままでウーバーイーツなんか頼んでお風呂一緒に入ろうか」なんて歌詞が書けるのかなと勝手に妄想しています。

なんだか書いているうちにエッセイのような文体になってしまいました。エッセイと言えば、今年読んだエッセイの中で群を抜いて心に残っているのは、星野道夫さんの「旅をする木」にある「北国の秋」というエッセイです。

無窮の彼方へ流れゆく時を、めぐる季節で確かに感じることができる。自然とは、何と粋なはからいをするのだろうと思います。一年に一度、名残り惜しく過ぎてゆくものに、この世で何度めぐり合えるのか。その回数をかぞえるほど、人の一生の短さを知ることはないのかもしれません。

星野道夫「旅をする木」

昔からこの本が好きで、学部生の頃から旅行行く時には必ず携帯していた本です。実はメンタルを壊していたときに箱根に行ったのですが、ロマンスカーでこのフレーズを改めて噛み締めていました。何度もこのフレーズに触れているはずなのに、今回特に印象に残っている、というのは面白いですね。

今年は120冊ほど本を読みました。旅をする木含め、再読したいと思う本とこれから何冊出会えるのかは、今後も読書をするときの楽しみの一つです。

おわりに


総じて、2023年はめちゃくちゃ良い1年だったと振り返っています。上に書いたもの以外にもたくさんの出来事や思い出があります。

2024年はどんなに1年になるんでしょうか。気がついたら桜が満開になり、蝉が鳴き始め、散歩中に金木犀の香りに気がつき、ノースフェイスの出番がやってくる1年となりそうですが、健康第一で過ごしたいですね。

それでは、良いお年を!

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