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インサイト再考

週末の夜、ヤプリさんのイベント「yappli UPDATE2022 THE POWER OF CHOICE」のアーカイブを眺めていた。

世の中の課題に向き合う当事者のトークは、社会理解の解像度を高めるいいインプットになる。


マーケティングまわりの仕事をしているから、インサイトという言葉にはずいぶん以前から触れていた。
購買動機の源であるとか心の内面にあるものとか、いろいろな解釈がなされていて、なんとなくそんなものだろうなぁ、ぐらいに漠然と認識していたように思う。

最近、ファンベースドなアクションに深く関わるようになって、改めてインサイトが気になりはじめていた。


興味深かったトークの内容は、インサイトそのものについてというより、なぜ今インサイトが重要なのか、という背景の話だった。

これまでのマーケティングは、どこか正解を求めようとするようなアプローチだったように思う。
人々を何らかの区分でカテゴライズし、その中の最大公約数的な嗜好を抽出して狙い撃ちすれば一定規模の市場が掴めるというロジック。

世の中の選択肢がそれほど多くなかった時代、平均値的な生活への憧れが正義だった時代はそれでよかったのかもしれない。
少なくとも、カテゴリーの規模が一定以上のサイズを保っていた時代はその手法が通用し続けた。

令和の時代になって、人々の興味関心はいよいよ多様化細分化し、世代や性別のように既成概念では明確に区分されていたカテゴリーの境目がどんどん曖昧になっている。

いや、そんなトンがった人ばかりじゃないでしょ?という意見もあるだろう。
確かにそうかもしれないが、そんな言葉で思考停止をしてしまえば時代の流れを見失う。
もう少し踏み込んで考えを巡らしてみれば、いろいろと面白そうなことが見えてくると思うのだ。


トークの中に個人の選択について触れたくだりがあった。

ライフスタイルにこだわりがあるからといって、生活すべての選択にこだわれる人はいないですよね。
例えばスプーン1本、柳宗理のカトラリーって高いけれど数千円で手に入れられるじゃないですか。
たとえ目の前の暮らしに余裕がなくても、毎日使うものだからこそ、その一点にお金を掛ける。
そんなところから、その人らしい暮らし方が生まれてくるわけですよね、と。

逆にどんなに暮らしにゆとりがある人でも、消費のすべてにこだわりを持っているわけではないとも述べていた。

確かにそうだ。
少し乱暴かもしれないが、生活は8割のコモディティと2割の自己表現で構成されていると考えていいのかもしれない。


従来のマーケティングが捉えることができるのは、生活の8割を占めるコモディティの部分だ。
だから頑張ってマーケティングして開発した商品やサービスもローンチした途端にコモディティの波に呑み込まれてしまう。

定型化したマーケティング手法で世の中を測れば、誰がみても同じものが見えるわけだから競合が次々に現れて競争に陥るのは自明なことだ。

では、2割の自己表現に適う商品やサービスは、どうやったら生み出せるのだろう?

その問いこそが、インサイトの重要性を端的に示している。

「ファッションは内面のいちばん外側の発露である」という言葉にハッとさせられた。
どんな服を着て、どんな部屋に棲み、どんな言葉を遣い、どんな暮らし方をしているのか。
意識的であれ、無意識的であれ、自己表現の発露はすべてインサイトの表明に違いない。


だからこそ、「人を見る」ことが大切なのだ。


属性という人の外側に張り付いた殻の部分ではなく、個人の嗜好、内面からの発露にこそ「欲しい」という欲求の本質が隠されている。

掴みどころがない時代だからこそ、「掴まれどころをつくる」ことが価値を生み出す重要な鍵になってきた。

100円ショップの台頭は8割満足社会の象徴だと思っている。
令和の価値創造、インサイトの探求はどうやら必須課題のようだ。