考え過ぎな僕が、夕食を食べながら考えたこと~独りよがりなソムリエと、仕事の極意~
昨日の夜は、久しぶりに近所のイタリアンで夕食を食べた。量が多いけれども値段が良心的で、味も本格的ながらカジュアルな気分で楽しめる店。お気に入りのレストランのひとつだった。
「彼」がこの店に来るまではー
昨日も、彼が私のテーブルの対応をした。年は30代半ばくらい。ソムリエバッジをつけている。爽やかな営業スマイルとキビキビとした動き。一見、「デキル男風」に見えるし、本人もその自負があることがうかがえる。
しかし、何かが決定的に食い違っているのだ。
とにかく、リラックスして食事ができない。
不意にカットインしてきて、テーブルの上の食器を「彼の流儀で」「”正しい位置”に」並べ直される。
(はいはい。私のテーブルマナーが悪うございましたね)
ワインをボトルで頼むと「私がお注ぎしましょうか?」
自分のペースで飲みたかったので丁寧にお断りすると
「いえ、テーブルの上が料理でいっぱいになってしまうので、私がお注ぎしたほうがよろしいかと思いますが?」
(いちいちうるせぇ、好きにさせろよ)
フロアを動き回る彼の動きが否が応でも目に入ってくるのだが、他の若いスタッフへのカットイン、ダメだし、俺がやるから君は見てて、みたいな態度が目立ち、なんだか複雑な気持ちになっていく。
(若いスタッフも、ウザがっていそうだな・・・)
一事が万事、この調子である。
私は仮説を立てる。
おそらく彼は、ソムリエの資格もあるし、レストランでの修行も積んでいて、自分の専門知識とスキルに自信を持っている。そして、「オーナーの肝いり」で、このレストランにジョインしたのであろう。
良心的な価格で味の良い、アットホームな雰囲気のレストラン。もう一段「上に行く」ためには、「プロ」を雇ってクオリティの底上げを図ることが不可欠だと、この店の経営を担うオーナーは判断したのかもしれない。そして、その意図は彼にも伝えられている。
彼は「自分がこの店を立て直す」と意気込んでいるに違いない。それはとりもなおさず「今までのスタッフを否定することで、自分の立ち位置をつくる」ということになる。彼がこの店に来てから、長かったスタッフが辞めている。店のいろいろなレイアウトが微妙に変わった。今いる若いスタッフたちも、細かいことでいちいちダメだしされて、なんだか動きづらそうだ。
メニューのラインナップも変わった。「値段の割には量が多い、飾らないメニュー」がこの店の良さだと思っていたのだが、若干ラインナップに本格感は出て来たものの、値段も吊り上がり、なんだかかつての良さがなくなり、この界隈のよくあるレストランの感じになってしまったように思える。
彼には、別に悪気はなさそうだ。いきいきと働いているし、熱意も感じる。
しかし、相手のことをまったく考えていないのだ。
自分の専門知識とスキルを「ひけらかす」ためにやっているように見える。
どうすればお客さんが心地よい時間を過ごせるかではなく、自分のやり方で全体を染め上げることに血道を上げている。どうすれば心地よい空間が作れるかどうかではなく、仲間のスタッフをダメ出しすることで自らの優位性を誇示しているように思える。「この店の立て直し」の一環として・・・
結果、お客である僕はまったく心地が良くない。
彼の専門知識もスキルも、まったく僕の気持ちよいところには刺さっておらず、むしろ邪魔だ、くらいに思えてしまう。それであれば、普通の接客でいいから、こちらの温度感を丁寧に読みながら対応してくれた方が、よっぽどいい。彼がこの店に来るまでに積み上げ、たたき上げてきたであろう能力は、彼の内面性によって、むしろマイナス方向に振れている。
専門知識やスキルは、あくまで「手段」であり、「道具」でしかない。
「エゴ」の上にそれを積み重ねたところで、ビジネスが拡がっていくわけではない。「根源的な動機」が大事なのだ。それが「利他的」であり「愛」があるものであれば、その上にお客さんが、仲間が、豊かな世界が広がっていくのだと思う(多少のスキルや能力の足りなさはあったとしても)。しかし、エゴを出発点に置いてしまうと、すべての情熱は空回りしていく。周りの人は、その独りよがりの姿に心の中でそっと興ざめして、静かに離れていく。
昨日、その店には私の他にもう一組しかいなかった。
たった一人の独りよがりのソムリエにより、平凡になってしまったこの店に、アフターコロナは来るのであろうか。