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ニューノーマルの「雨ニモマケズ」新解釈

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ䕃ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

子供の頃、初めてこの詩を読んだとき、まるで意味がわからなかった。
みんなのために尽くしているのに、デクノボーと呼ばれる。
欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている。
いい人、を通り越して、若干薄気味が悪い印象すら受けた。

私は、この詩の一言一句の新解釈を試みるつもりはない。
ただ、2020年、コロナ禍を経てニューノーマルの世界へ緩やかに移行しつつある私たちが、この詩からまた新しい力を感じ取れる気がしている。
それは大きく分けて、以下の2つの視点である。

①すべての固定観念から自由になること

欲がないこと、怒らないこと、いつも情緒が安定していることー
これは「~でなければならない」という規範意識や自我から完全に解放された状態である。

「男は〇〇でなければ」「自分は〇〇であらねば」「〇〇歳になったら結婚しなければ」etc
私たちをいつも、更なる欲に駆り立て、他人や、時には自分への嫌悪に追い込み、感情の上下動を引き起こすのは、いつだって理想と現実のギャップである。そしてその理想の多くは、「世の中が自分に求める姿」に知らず知らずのうちに縛られてしまっている像なのである。実態のない「世間一般」に私たちの価値観はとても大きな部分をカスタマイズしてしまっている。そして、自らの「現実」がそこから乖離してしまっていることに対して、私たちは物欲、金銭欲、出世欲、承認欲求を引き起こされ、そのエネルギーに振り回されてしまっているのである。

2020年、コロナ禍によって私たちが明らかにしたのは、「すべての固定観念は幻想である」ということではなかっただろうか。

毎日会社に行かなくても仕事はまわる。
絶対だったグローバル資本主義経済はウイルスひとつで突然死する。
短期間経済活動をやめるだけで、地球がかなりキレイになる。
競争ではなく助け合いによって、世界がまわる。
etc

私たちを縛るあらゆる固定観念が、実は誰かが恣意的につくった「幻想」だということが分かれば、自らの価値観をそこに捧げる必要はなくなる。

「何でもあり。世間にまどわされず、自らの意思の赴くままに」
例え、“野原ノ松ノ林ノ䕃ノ小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ”も、その心は、果てしない自由を手にしているのである。

②人間の自然な感情としての「他者への共感」

東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ

この詩の主人公は、ひたすら「他者」のために東西南北を駆け巡る。
ニュアンスとしては、頼まれたからではなく、自発的に行動している印象すら覚える。

コロナを経て、「共感」が改めて注目されている。
共感とは「共に同じ場所にいて、相手に心を傾けて、同じことを感じようとする」心の動きである。
それは、「いま、ここ」を共有する努力でもある。

評価するのではなく、競争するのではなく、コントロールするのではなく、
目の前の他者とひたすら共感しようとする、心の動き。
資本主義経済とは真逆の方向性の心のあり方だ。

本来人間は、競争しあい、殺しあう存在ではなく、生来的に「利他的」である、という説が注目されている。例えば知らない人でも、目の前でおぼれていたら何とか助けてあげようと思う。それは、家族や友人だけにとどまらないユニバーサルな感情なのだという。

ダーウィンの「適者生存」は間違った解釈がなされているという説がある。
変化に適応した者が生き残り、適応できなかった者は滅ぶ。その解釈だけでは不十分で、本当は、「最も相互の思いやりのあるコミュニティが生き残る」ということを言いたかったのだそうだ。そうであれば、私たちが認識するこの世界の原理は全く違ったものになってはいかないだろうか。

人間は本来、他者に共感し、利他的に振る舞う生き物である。
「雨ニモマケズ」はこの究極の真理に目覚めた者のストーリーなのである。

サウイフモノニ、ワタシハナリタイ。
2020年6月、梅雨の日曜日に思う。




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