会話で楽しませるのが好きなんだ。

最近、会社の朝礼で大きな声を出せるようになった。

自分でもびっくりしてる。

ちゃんと強くなれるんじゃん!って。

一度大きな声をだしちゃえばこっちのもんよ。

初めは周り気にしちゃうよね。「この人急に声大きなるやん」って思われるだろうなって考えちゃうもんね。

でもやっぱりnoteで決意表明したからかな。ここで絶対負けないって決めてた。毎日、勝負することさえ決めれば、少しずつ成長できるんだ。

今日は研修だった。

本店で同期メンバーとzoomで講義を受けて、長い時間座りっぱなしだった。1時間ちょいごとに休憩入れてくれたけど。

昼食は決まって黙食。

みんな食べづらそうにしてる。もちろん僕も食べづらい。音が無いから。咀嚼音とか気になってしまう。

毎回「すみません、スマホで音楽かけてもいいですか?」とかって言いたくなる。

一か八かのかけすぎて空回りしそうで中々言えないけど、僕がそう言われたら「え、かけてほしい!助かる!」って思うんだけどなぁ。

みんなと仲良ければ言えるんだけど。

日本人の謙虚さなんだろうな…と感じたところで次の話題。
#なんだそれ

研修中、同期の子と2人きりになったとき、話しかけてる自分がいた。

大学生の頃からずっとそうしてるんだ。

そうしないと話しかけれたかもって後悔しそうだから。

必要なのは場数なんだろうな。納得のハードルは上がり続ける。あの時の納得では今はもう満足できない。

今日もちょっと勇気だしたよってだけ。でもそれが大事。その積み重ねこそが前進になる。

どう返事や反応が返ってくるかわからないあの瞬間にわくわくしてる。

そんな自分に懐かしさを感じた。

好きなんだよ。会話で楽しませるのが。

そしてありきたりの普通を嫌う。こう言えばこう返されるだろうなにハマるつもりはない。

雑に会話が終わって「…」の空気にするつもりもない。

相手がびっくりするぐらいちゃんと話聞いてるし、その証拠としての内容を要約した相槌と、場面を想像して感じた「こうじゃない?」をアドリブで聞いてみたりする。

「裏切る」のが好きなんだ。昔から。
予想通りだとつまらないと子どもの頃に気づいたから。

はいはい初対面のどぎまぎした会話でしょ?にハマるつもりがないんだ。

今日たしかな成長の実感があって嬉しいんだよ。
あまりにも気負わずに話しかけてたから。

いつから強くなりたいって願ったんだっけな。

どれだけ優しくなりたいって願ったんだろう。

自分らしさ、ありたい自分について考えたとき、こんなもんじゃないって思った。

強くなりたいって願ったのは不安定な環境にいたからだ。なにもしなくても平気で過ごせるのなら、強くなろうとする必要がない。

大きな不安もただ辛いだけじゃない。どうにかこの状況を脱却したいという思いが、大きなパワーを生み出し、時に勇気となり知識欲となって、自身を成長させるはずだ。

「あなた毎朝コーヒー飲むんでしょ。お駄賃あげるからこれで牛乳買ってきていいよ」ボタンはこちらから↓