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文章から「親近感」を放ちたい。

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  • まっち【大学生活編】

    前進の足跡

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とりあえずリゾートバイトに行ってくる。

とりあえずね。 あとから見て、この選択は間違ってたんだとか、なぜこの時にこうしなかったのかとか、そんなのは振り返ったから言えるだけ。 状態も違うし、知識も違う。 きっとどんな状況だったかも忘れてる。 それでも、後悔先に立たずって言うのであれば、それはそれで、前に進んだ証。見えた景色から学んで、新しいことが考えられるようになったってこと。 ってなわけで、 一応それなりの決心はあるということで。 まぁでも、 なんでこんな考えに至ったのかは、ちゃんと残しておかなくちゃい

    • 相対的自信は必要なんだと思う。

      人と比べるなってよくいうけれども。 他人と比較して自分の立ち位置を決めているのもまた事実。 人は社会的な生き物であり、自分の見られ方を予測して、それを踏まえた上で社交する必要があると思うので、潜在的に、世間的な一般感覚や、他人との比較からは、逃れられないのではないかというのが持論である。 むしろ、 比べちゃうのは当たり前なのだから、比べる前提で進まなければいけないよねって話。 例えば。 あなたは、コミュ力があるほうか、ないほうか。 これは、友達の多さで決まっても

      • 免許の更新に行ってきた!

        今日は、免許の更新に行きました。 いざ行くと、自動車学校であったように、助手席に試験管の人を乗せて、運転をチェックするのかな?と思ったけど、そんなことはなく。 ただ淡々と説明を受けて、書類記入して、写真を撮って、講義を受けて、サヨナラでした。 でね、講義がさ。 教室みたいなところに皆んなで集まるんだけど、ザッと40人くらいかな。 (意外と多いよね) 平日なのに思ったより人がいたから、「えー、仕事は?」って気になったけど、僕もそっち側(平日でも暇してる側)の人間だっ

        • 久しぶりに現状の報告をつらつらと。

          今月末で、今派遣されている、ここでのリゾートバイトを終える予定だ。 よく考えれば、初めてベトナム国籍の人たちと一緒に働いた。少し歳上の女の子2人だった。 とても愛に溢れたやさしい人だなと感じた。   当たり前だが、 国が違えど、人間としての性質は同じなんだと思った。 咳払いをしてごまかしてたり。   何かあると心配して駆けつけたり。 「かわいい」と言われると喜んでたり。 ま、ただ、 お客さんの残した(口づけた)料理を躊躇なくモグモグしてたことには驚いたけど。

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        とりあえずリゾートバイトに行ってくる。

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        • まっち【大学生活編】
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          認知(普通)の変化の先にしか、行動の変化はない。

          認知(普通)の変化の先にしか、行動の変化はない。

          自律神経は「前提」だ。整えないと、本当の自分なんてわかり得ないため、その間どれだけ自己分析しても無駄である。本心を表現できない状態でそれが自分だと勘違いしてしまう。全て解離の中で生まれる感情にしか気づけないし、得られない。本心を表現できていた時期があるのなら、それを信じてほしい。

          自律神経は「前提」だ。整えないと、本当の自分なんてわかり得ないため、その間どれだけ自己分析しても無駄である。本心を表現できない状態でそれが自分だと勘違いしてしまう。全て解離の中で生まれる感情にしか気づけないし、得られない。本心を表現できていた時期があるのなら、それを信じてほしい。

          肩をトントンって叩いて、振り向いたところを、ほっぺにプニっと指をあてる…。僕たちには人間愛がないと思いつかない行動があり、人間愛がないと思いつかない行動が、できている人を「この人、人間愛があるな」って信用している。

          肩をトントンって叩いて、振り向いたところを、ほっぺにプニっと指をあてる…。僕たちには人間愛がないと思いつかない行動があり、人間愛がないと思いつかない行動が、できている人を「この人、人間愛があるな」って信用している。

          背格好が大人になると、他人を懐疑的な目でみる場面が増えてしまう。懐疑的な対人習慣を身につけてしまわないためには、僕らには意思力ではない環境設計が必要だ。学生時代によく感じた「情」は人が好きだと思い出させてくれる。簡単な仕組みだとボディタッチをする機会を増やすとか。単純。接触効果。

          背格好が大人になると、他人を懐疑的な目でみる場面が増えてしまう。懐疑的な対人習慣を身につけてしまわないためには、僕らには意思力ではない環境設計が必要だ。学生時代によく感じた「情」は人が好きだと思い出させてくれる。簡単な仕組みだとボディタッチをする機会を増やすとか。単純。接触効果。

          (続き)それでも、人間には「知性」がある。意識的に健康を目指せる。抗えない反応の中、知識を踏まえて少しづつでもたぐり寄せればいい。個人的に自律神経への理解は希望である。健全なゆらぎを取り戻して健康的な自己一致へと目指せる。前に進んでいる感覚は、ある。

          (続き)それでも、人間には「知性」がある。意識的に健康を目指せる。抗えない反応の中、知識を踏まえて少しづつでもたぐり寄せればいい。個人的に自律神経への理解は希望である。健全なゆらぎを取り戻して健康的な自己一致へと目指せる。前に進んでいる感覚は、ある。

          生まれた「土地」で格差が決まって、「母親との関係」で愛着スタイルが決まり、「育ち」で外界への安心感が確立されて、産まれた「顔」で扱われ方が決まって、「性格」は立場や役割で染められて、「状態」は生存に必要な自律神経の反応で表出されて、もはや人間に自由意志なんてないんだろうな。

          生まれた「土地」で格差が決まって、「母親との関係」で愛着スタイルが決まり、「育ち」で外界への安心感が確立されて、産まれた「顔」で扱われ方が決まって、「性格」は立場や役割で染められて、「状態」は生存に必要な自律神経の反応で表出されて、もはや人間に自由意志なんてないんだろうな。

          「愛」より「お金」を選ぶ人は、愛の解像度が低い。もしくは、愛がある状態が当たり前でその有り難みに気づけない灯台下暗し。

          「愛」より「お金」を選ぶ人は、愛の解像度が低い。もしくは、愛がある状態が当たり前でその有り難みに気づけない灯台下暗し。

          優しさと弱さを履き違えないために、優しさを再定義した。

          優しい人を「心が満たされている人」だと定義しました。 満たされていない状態での優しさは、気配りではなく、気遣いです。 なんとなくですが、 気配りは、エネルギーをgive&takeする行為ですが、気遣いは、自らが我慢してエネルギーを消費しすり減らす行為です。 優しさを再定義することで、満たされてない状態で、他人に気を配る行為は全て優しさではなく弱さ(自己防衛)だと判断できます。 また、満たされてない自分に対して「優しいね」とラベリングされようとも、私の定義では「これは

          優しさと弱さを履き違えないために、優しさを再定義した。

          ハローワークに行ってきたよ。

          2月の中頃にリゾートバイトによる派遣先でのお仕事を終えてからというもの。 実家に帰って、しばらく体調を整えていました。 急に頭がモヤっとなり、心拍が上がり手汗がでてくるような症状が突然出てきて、こりゃまずいなと安静にしてた。お薬も飲んでる。 すぐ精神的なストレスによるものだと察知した。ここ数年どうも自分の様子がおかしくてムリしてる自覚があった。 でも体からのSOSは絶対に無視してはいけないなと痛感した。これを無視してたらヤバかったかも。間違いなく最終宣告だった。 偶

          ハローワークに行ってきたよ。

          お笑いエネルギー論

          お笑いを起こす人間に必要なのは「愛」です。 「人間愛」という言い方が合ってるかもしれません。 愛とはそれすなわち、人とやりとりをして、あたたかい気持ちになることを意味します。 愛のある人間にはエネルギー(元気)があるので、少々向こう見ずな発言をされても、笑って見過ごすことができます。 愛とは"情"の発生源です。 お笑いとは。方程式におけるその根本を辿ると、その答えは「情」です。 いわゆる、"あの人のために笑ってあげよう"です。 「あの人ひどい言われようで可哀想」

          お笑いエネルギー論

          「僕にしか見れない景色」とはなんだろうか?解像度を上げていきたい。

          「僕にしか見れない景色」とはなんだろうか?解像度を上げていきたい。

          人は、自分が実現できそうなことを思いつく。

          人は、自分が実現できそうなことを思いつく。