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決めると決まってしまうから。漫画『しまなみ誰そ彼』が示す自由な生き方

 最近、私はある漫画と出会って心を救われた。その漫画とは、鎌谷悠希先生の『しまなみ誰そ彼』(全4巻、小学館、2015ー2018年)である。少しでも多くの人に、この漫画を手に取ってもらいたい、あわよくば感想を語り合いたいという願いをこめて、今回は『しまなみ誰そ彼』の紹介をしていこうと思う。

『しまなみ誰そ彼』あらすじ

 物語の舞台は現代の広島県・尾道市。夏休みが目前に迫ったある日、高校1年生のたすくは、ひょんなことから、クラスメイトに“ホモ動画”を観ていたことを知られてしまう。周囲から“ホモ”とからかわれるようになったたすくは、「このままでは、自分の性的指向がばれてしまうのではないか…?」と怯える。実は、彼の恋愛対象は幼い頃から男性であった。恐怖に押しつぶされそうになったたすくは、教室を飛び出した先で、「誰かさん」と名乗る不思議な女性と運命的な出会いを果たす。「誰かさん」に導かれて辿り着いたのは、「談話室」という集会所だった。「談話室」に集う、空き家再生事業に携わるNPO「猫集会」のメンバーとの交流を通して、たすくはあるがままの自分を受け入れられるようになっていく。

丁寧に描き出されるセクシャルマイノリティの現状

 『しまなみ誰そ彼』では、たすくをはじめとして、主要人物の多くがセクシャルマイノリティとしての悩みや葛藤を抱えている。
 たとえば、デザイナーの春子は、同性のパートナー、早輝と交際しているが、ふたりの関係を公にするか否かを巡って軋轢が生じてしまう(1巻)。カミングアウト以外にも、揺れ動く性自認や、アウティング、同性婚といった様々な問題が、緻密な心理描写を交えて丁寧に描かれている。

※アウティング・・・本人の許可なく、性的指向や心の性別など、セクシャリティに関する事柄をバラしてしまうこと。

枠組みに囚われない生き方

 『しまなみ誰そ彼』では、一貫して既存の枠組みや価値観に囚われて生きる必要はない、というメッセージが示されている。第2巻で、自分の性自認に悩む少年に対して、春子は以下のように述べる。

「分類なんてあまりこだわらないほうがいいとは思うけどね。とりあえず自分がどうありたいかと、自分が他者をどう思うか。似通うタイプの人は居ても、100%同じ指向の人は居ないんじゃないかなあ。まーでも…決まった名前があってそこ行けば仲間が居るならそれでもいいよね。」
(鎌谷悠希『しまなみ誰そ彼②』小学館、2016年、pp.73-74)

 この春子の言葉は、クエスチョニングとして、自分がどのカテゴリーに当てはまるのか、必死に探していた私にとって、大きな救いとなった。自分と同じような属性がいるという事実は孤独感を軽減する。しかし、その一方で、「ジェンダーやセクシャリティはグラデーション」と言うように、心と体の性別も、性的指向も多種多様である。自分と全く同じ人を見つけることは難しいだろう。自分はここに属すると、決めてもいいし、あるいは決めなくてもいい。そんなことを春子は伝えている。

※クエスチョニング・・・性的指向や性自認について迷っている状態のこと。または、不確定な状態を許容する姿勢。

「決めると決まってしまう」

 「決めると決まってしまう」。作中のこの一言に、私は最も感銘を受けた。物語中盤で、たすくは、さんかく亭という空き家の改装後の用途について、決定権をゆだねられる。さんかく亭をどんな建物にするか悩むたすくに対して、誰かさんは次のように声をかけた。

「何にするかもう決めたの?」
「!」
「今やってる家。」
「…ああ、まだ、ですけど…」
「決めると決まっちゃうからね。まあ決めたいときに決めたら?」
(鎌谷悠希『しまなみ誰そ彼②』小学館、2017年、p.52)

 一見、単なる言葉遊びのようにも感じられる誰かさんのアドバイスは、たすくが自分自身と向き合う大きな助けとなった。この独特な「決めると決まってしまう」という表現は、名前や用途、分類を決定することで、枠にはまってしまうということを示唆している。

 私も、自分がレズビアンではないか、あるいはバイセクシャルではないかと悩んでいた時期に、枠組みにこだわるあまり、定義と完璧には合致しない自分自身を否定しそうになっていた。あのとき、私は自分という存在を決めつけていて、そこから身動きが取れなくなっていたのだと思う。


 「決めたいときに決めたら?」、その一言が私の心を軽くした。別に、肩書きがなくても死ぬわけじゃない。誰かさんの言葉によって、私の中の「クエスチョニング」という状態は消極的迷子から積極的迷子にアップデートされた。つまり、「自分が誰をどのように好きになるのかわからない」状態こそが自分であると、受け入れられるようになった。今もまだ、ぐらつくことはあるけれど、その度に誰かさんの言葉を思い出しながら、ゆっくりと前に進んでいる。

おわりに

 『しまなみ誰そ彼』は、尾道の美しい風景が人びとの交流と共に柔らかいタッチで描かれ、セクシャルマイノリティに関する予備知識がなくとも十分に楽しめる漫画である。私の拙い説明では、十分に魅力が伝えられなかったかもしれないが、少しでも興味を持っていただけたら幸いである。
 また、『しまなみ誰そ彼』は、アセクシャルについても詳細に描いている。自分という存在の居場所を探している人にとって、この作品は大きな助けになるのではないか。そんな風に思う。

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