わたしの現在地の話
いちばん最初にnoteを書いてから、もう一年も経ってしまった。
上のnoteは2度目に書いた記事で、私がアセクシュアルという言葉と出会うまでのことが書いてある。この記事と今回の記事を比べると、私のちょっとした心境の変化が伝わるかもしれない。
本や漫画の感想を書いたり、日常の出来事について綴ったり、色々な記事を書いてきたけれど、自分のセクシュアリティについてしっかりと書いたことはあまりない。今回は、今の自分について改めて書いてみようと思う。
一年前の私は、自分のセクシュアリティについて、どんな名前をつけるべきなのか、とても迷っていた。レズビアンかもしれないし、バイセクシュアルかもしれない。はたまた、ロマンティック・アセクシュアルなのかもしれない。結局、悩むのは保留して、クエスチョニングを名乗ることにした。
最近の私は、強いて言うならアロマンティック・アセクシュアルだと思う。前はなんとなく、アセクシュアルを名乗ること自体に?マークを付けたい気分だった。しかし、今はこの名称がいちばん落ち着く感じがする。
以前、アセクシュアルのシンボルのひとつである、黒い指輪についてnoteを書いたとき、自分が思っている以上の反応をもらって、驚いてしまった。当時の私は、自分がアセクシュアル当事者であるとまでは思っていなかった。あくまでアセクシュアル寄りを自認しているだけで、誰かを啓蒙するつもりもなく、世の中を正してやる!という気概もなかった。そのため、好意的な反応をいただくごとに、何とも言えない引け目を感じていた。
あれから、色々あった。セクシュアリティやジェンダーに関する文献を読んだり、アセクシュアルについて情報を発信している方々の記事を読んだりするうちに、ようやく、アセクシュアルという名前がしっくりくると思うようになった。
さらに、自分に恋愛感情があるのかどうか疑わしくなった。過去を振り返ってみたり、周囲と比較してみたり、色々考えた末に、今の私は他人に恋愛感情を抱かなさそうだと結論づけた。恋愛感情の有無を、無理に見極める必要はなかったけれど、アロマンティック・アセクシュアルを名乗りたくなった。少し、心の坐りが良くなった。
そんなこんなで、今の私に落ち着いた。今も、世の中には多種多様なセクシュアリティがあるけれど、焦って名前を決める必要はないと思っている。誰かが言っていた。セクシュアリティは現在の状態を示すものであって、過去の自分や未来の自分を規定するものではないと。
名前が決まると、安心する。地に足がついた気がする。仲間を見つけやすくなる。しかし、その枠からはみ出た自分の性質を認められなくなったり、枠からはみ出ないようにしようと、自縄自縛に陥ることもある。結局のところ、自分が過ごしやすいラベルを選ぶのがいちばんだと思う。
性愛中心主義や異性愛規範を押し付けられたくないと思う一方で、恋愛が描かれた作品を鑑賞したり、恋愛ソングを聞いたり、BL漫画や百合漫画を読んだりする私がいる。他人の恋愛話を嬉々として聞いたり、道行くカップルを微笑ましく思ったりする私もいる。それでも、やはり、誰かを恋愛的に好きになったり、恋人を作ったりする自分のビジョンはいまいち見えない。
「今のままの私でも問題ないよ」と、自分だけでも自分を肯定するために、しばらくはアロマンティック・アセクシュアルのラベルを付けていようかな、と思っている。
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