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虹色の旗じゃなくて、黒い指輪なら

アセクシャルとシンボル

 自分にもアセクシャルやノンセクシャルの傾向があるのではないかと思い立ってから、自分なりにアセクシャルについて調べるようになった。そこで出会ったのが、アセクシャルについて詳細にまとめられた、ジュリー・ソンドラ・デッカーの『見えない性的指向アセクシュアルのすべて―誰にも性的魅力を感じない私たちについて』(上田勢子訳、明石書店、2019年)である。この本には、著者の実体験を含め、アセクシャルの人びとのネット上の投稿など、当事者の生の声が載せられ、アセクシャルを取り巻く現状についても記述されている。

 この本の「パート2:アセクシュアリティの体験について」では、アセクシャルのシンボルがいくつか紹介されている。たとえば、「ケーキをいっしょに食べる」という言い回し。セックスよりいいものには何がある?――ケーキを食べることさ!ということらしい。
 もうひとつはアセクシャル(Asexual)のイニシャルから、トランプのA。特に、ロマンティック・アセクシャルをハートのA、アロマンティック・アセクシャルをスペードのAで表現して区別するケースもあるという(この前のnoteでスペードのAって書いたの訂正しとこうかな)。
 そして、右手中指の黒い指輪。これは、アセクシャルの中でも、特に啓蒙活動などを行っている人が用いることが多いらしい。当事者間でも認知度が低く、アセクシャルであるというサインにはならないらしいが。この記述を読んで、私は黒い指輪が買いたくなった。

 今までのnoteで、「枠にはめなくてもいい」とか、「積極的迷子」とか書いてた身としては、矛盾していると思わないでもないが、やはり心のよりどころは欲しいものである。今の私は、どちらかというとアセクシャル寄り。世間を見渡すと存在しないことにされがちな自分の属性を、せめて自分だけは認めてあげたい。そう思って黒い指輪を探すものの、いかんせん私の指は短いので、ちょうどいい指輪探しに奔走している。

※ロマンティック・アセクシャル・・・他者に対して恋愛感情は抱くが、性的欲求を抱かない傾向にある人のこと。
 アロマンティック・アセクシャル・・・他者に対して恋愛感情と性的欲求の両方を抱かない傾向にある人のこと。

虹色の旗は掲げられない

 レインボーフラッグを掲げて、精力的に活動されている方は多くいらっしゃる。世間の声に負けず、自分たちの存在を発信し続ける姿を、非常に尊敬している。この点だけは誤解されたくない。その一方で、自分も同じように虹色の旗の下にいるかと言われると、そうとは断言できないのが実情だ。

 結局、これは、世の中に当然のように存在する恋愛至上主義や、「愛の形の最終形態はセックス」論が原因だと思う。
 たとえば、女子校時代の友人が、女友達と距離が近いと揶揄されたときのことだ。彼女はこう返した。「大丈夫、セックスしたいとは思わないから、まだレズビアンじゃない」。――じゃあ、性的欲求を伴わない私の感情はどうなるの?
  たとえば、セクマイ関係の情報収集をするに当たってTwitterで検索したときのことだ。レズビアンの女性が、同性愛嫌悪に対して「奴らは女同士のセックスの気持ちよさを知らないからそんなことが言えるのよ。かわいそうに」と発言していた。――同性を愛さない人間はかわいそうで、おかしいの?今まで自分が言われてきたことをやり返そうとしてない?それに、肉体的快楽だけが重要なの?

 なんとなく、虹色の旗の下には居づらいなぁ、と思った。まだまだ、恋愛感情≓性的欲求の考え方が支配的で、曖昧な感情をもてあます自分に居場所はないのではないか。もちろん、セクシャルマイノリティの中でも価値観は多様で、十把一絡げに語ることはできないと承知している。それでもまだ、今は、自分のことだけで精一杯だ。私はまだ、黒い指輪だけでいいと、そう思った。

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