三島由紀夫vs全共闘

Netflixを流し見しているとこのようなタイトルが目に入りました。
全共闘と言えば学生運動、極左翼、内ゲバや棍棒のイメージが頭に浮かびます。

私は平成に生まれた成人男性の多くと同じく、不況だ不況だ、毎日嫌なニュースだ、と周りが騒ぎ立てて生きてきました。
かと言ってバブル景気を経験してもおらず、さらにその景気は泡のような実態のない好景気であり、阿呆どもの宴だったと教育された人種です。

そんな「さとり世代」真っ盛りの私にとって情熱を社会の変革に傾ける、と言うのはとても新鮮でした。
さらに社会について革命的視点から運動を起こすと言うのは全くもってテロリストと変わりないとすら思っていました。

さて、私はこの映画を観はじめるまで古き良き日本男子がテロリストどもをコテンパンに言い負かして、拳骨の一つでもくれてやるような、根性先生的なドキュメンタリーが繰り広げられると思っておりました。

私は根性やらなんやらはパワハラで、情熱を傾けるべきは自分の将来を必死にこねくり回すことだと考えていました。

まずは一回観てみました。
テロリストと思っていた大学生が改革に対して前のめりになり、自らの頭脳をフル回転させて、反運動の象徴に挑む姿は、全く暴徒と言うには知性が輝き過ぎていました。

そして二度目。
彼らは自分自身を社会の在り方の中に定義する事を重要視していました。自分達の在り方とは大衆として生きるのでは無く、率先し、社会を作り上げようとしていました。
そして社会を保全すべきと宥めるはずの三島由紀夫は若者の言葉に耳を傾けて真っ向からぶつかり、決して揚げ足を取ること無く討論をしていました。

これが昭和の文壇か、と言った衝撃です。昭和とは古臭く、刷新がなく、時代遅れ。そんなのは全く違いました。

教育的で知を扱い、自分自身から社会を紡ぎあげようとした希望の時代のような印象を受けました。


さて、ここまで読んで「コイツはなんだ、アカの真似事でも始める気か」とご心配をして下さっている方もいらっしゃるかもしれません。

安心して下さい。私は共産主義を善とも悪とも思っておりません。ただ、時代が流れていくにつれて一回失敗した主義体系の一つとして捉えているのみです。

私が見習いたいのは社会に対しての姿勢です。
世界に対して反旗を翻す、若さ故の暴走とも言える情熱です。
地に足つかず社会から爪弾きにされている皆様。
私はあなた方が新しい世界を作るきっかけであると感じています。
どの時代でも改革が始まるのは既存の世界に馴染まない者達です。

消費的社会に対して苦しめられた、救われなかった、そんな方々の気持ちを背負う人が増えてきています。もしもこの世界が嫌になった人がいたら。本当に小さな事一つでも構いません。改革をしてみて下さい。

三島由紀夫と全共闘も机について議論しました。敷布団の向きを変える、嫌いな上司に意見する、いじめっ子を警察に通報する。
なんでも構いません。皆さんの小さな、そして大きな改革や声が重なり合い、次の世代の礎ななるのです。

https://www.netflix.com/jp/title/81488310?s=i&trkid=13747225&vlang=ja&clip=81492811


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