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【小説】ある駅のジュース専門店 第17話「変化」

「ここら辺も、ずいぶん変わったな」
 久しぶりに家族で町中に出かけた日、父は辺りを見回しながら言った。
「そりゃあね、村から町になったからねえ」
 隣で母が微笑む。
「まさか笠岐かさきにこんなでっかいデパート建つとは思わなかったなぁ」
 かつては村だったとぼんやりと聞いたことがあるが、私は今の笠岐しか知らない。
「昔はどんな感じだったの?」
「ん? もう山とか森とか、緑だらけだったよ。虫もいたしなぁ。歩いてたらトンボが肩にとまってくる」
「えっ、トンボいたの?」
「うん」
「今じゃ町中でトンボなんて見かけなくなっちゃったよね」
「そうだな」
 両親は思い出話に花を咲かせている。私が生まれる前の笠岐のことをもっと知りたくなって、会話にじっと耳を澄ませる。
「おさえさまは、今でもあそこにいるんだろ?」
「えっ、どうだったかな……動かされてはいないだろうけど」
「……おさえさま?」
「ああ、昔はな、村の入り口に林があって、そこにおさえさまっていう神様がいたんだよ。小さめの石碑に『道祖神どうそじん』って彫られたのが建ってて、その石碑に神様が宿ってるっていわれてたんだ」
「道祖神って、なに?」
「村を病気とか悪いものから守ってくれる、神様のことだよ」
「へぇ……」
 知らなかった。今でもその石碑はあるのだろうか。
「あ、トンボ」
 母が前方を指差した。綺麗な青緑色のトンボが、私たちの進行方向に沿って、目線の高さをゆっくりと飛んでいる。
「おお、珍しいなぁ。こんなところで」
 両親はトンボをちらりと見やって別の道を行こうとしたが、私は立ち止まって引き止めた。
「ね、ねぇ。あのトンボについて行ってみない?」
「え?」
「なんか、ついて来て欲しそうだったよ」
「……トンボが?」
「うん……」
 訳の分からないことを言っているのは自分でも分かっているが、なんとなくあのトンボを追いかけた方が良い気がする。
「……まぁ、トンボをここで見られるのも珍しいからな……」
「行ってみる?」
「うん……ちょっとだけ」
 私たちはトンボの後をついて行ってみた。町中から遠ざかると、高い建物がだんだんと減っていき、住宅街と田んぼと畑が広がる。視界が大きく広がったような気がする。
 私たちの前を飛んでいたトンボは、いつの間にかいなくなっていた。
「あっ、ここら辺はまだ昔のままか。懐かしいなぁ」
 父が少年のように目を輝かせる。
「あそこの用水路でザリガニ釣れたんだよ」
「えっ、ザリガニ⁉︎」
「でっかかったぞ。持って帰っておばあちゃんに見せたら、そんなの持ってきてどうすんだ、戻して来いって怒られた」
「あはは、パパは昔からやんちゃだなぁ」
 晴れ渡った空が田んぼの水に映り、白い雲を押し除けて稲が青々と伸びている。あまりにも綺麗な夏の風景だ。
 しばらく歩いていくと、住宅街が途切れて急に緑が多くなった。前方のしめ縄の掛けられた大きな石の鳥居の奥に、まっすぐ伸びた参道が見える。
「神社だ」
「あそこの神主さんが、おさえさまの石碑を管理してるんだよ」
「ここ、お祭りとかやる?」
「やるよ。昔はりんご飴とか焼きそば売ってたな。今はもっとお店増えてると思うよ」
 今、鳥居の奥には屋台も無いし誰もいない。もっと暑い時期になったら、色とりどりの屋台が並んで賑やかになるのだろう。
 神社の前の道を曲がればもう他に建物は無く、人の手で綺麗に手入れされた林が広がる。蝉の声がもう聞こえる。
「ここが村の入り口だったね」
「あぁ。ずいぶん木が減っちゃったなぁ。間伐しなきゃいけないからしょうがないんだけど、ちょっと、寂しいな」
「昔は多かったんだね」
「うん。ここで蝉がたくさん捕れたらしいんだよ。おじいちゃん、子供の頃よくここで虫捕りしてたって話してたな」
「えーっ、おじいちゃんが子供の頃? 知らなかった」
 私の祖父は寡黙な人で、子供の頃の話なんて聞いたことが無かったので、父の口から祖父のやんちゃな子供時代が語られるのはなんだか嬉しい。
「もう少し行ったら石碑が見えてくると思うんだけど……あ、あった!」
 童心に帰ったように駆け出した父と母を追いかけ、木の間に建つ小学生の背丈ぐらいの石碑を見つける。石碑はところどころ苔むして、緑色に染まっていた。
「これが、おさえさま……」
 固く冷たそうな石なのに、見ているだけでどことなく柔らかさや温かさが感じられる。
「おさえさま、お久しぶりです」
 両親が石碑に向かって深く頭を下げたので、私も頭を下げる。ふわりと涼しい風が肌を撫でた。歓迎されている気がする。
 顔を上げた時、父の「あれ、なんか新しい建物建ったんだ」という声が聞こえた。両親の視線の方を見ると、道のずっと向こうに小さく街灯が並んでいて、その奥に白っぽい建物が建っているのが見える。空はからりと晴れているのに、なぜかそこだけ薄暗い。
「……なんだろ、あれ」
 建物の方に一歩踏み出そうとした私たちの近くに、どこからかあの青緑色のトンボが飛んできて、周りをぐるぐると回り始める。
「うわ、びっくりした」
「なんか、引き止めてるみたい……」
 建物に近づこうとしてもトンボが通してくれないため、結局あの建物が何なのかは分からないまま、私たちは元来た道を戻って行った。

 後日、スマホでSNSをチェックしていたら笠岐周辺で「ある駅のジュース専門店」という都市伝説が流行っていることを知り、少しぞっとした。その都市伝説に登場する駅の外見が、あの白っぽい建物と全く同じだったからだ。

                〈おしまい〉

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