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本書はザビエルの弟子で「安次郎」と呼ばれた日本人が遺した手記を再現する形の小説となっている。

「崇高で美しい魂の物語を書きたい。」
作家である”わたし”は、フランシスコ・ザビエル神父について書くことを決心する。
はるばる神父ゆかりの地ゴアにやってきた”わたし”は、ある日本人の手記を発見したが、そこには驚くべきフランシスコ・ザビエルの姿が描かれていた・・・。

しばらくはザビエルに私淑した安次郎だったが、西洋の一神教と日本の「八百万の神」との大きな食い違いに悩み、袂を分かつこととなる。

「神父に抱いていた崇高の念は幻想だったのか!?」
神に仕えるザビエルだが、ひとりの人間としての生々しい姿もさらけ出している。そこに安次郎は矛盾を見出した。だが、ザビエルには彼なりの理論や信念があった。石見の銀が、人々の欲望をむき出しにさせる。ザビエルもその醜い渦の中に否応なく巻き込まれていく・・・。

私は海外で仕事をしてきたので肌で感じるのだが、この辺りの宗教観の違いはとても大きいと感じる。こと宗教という事に関しては日本人は大らかで「食い違い」という点においては「一神教」という絶対神を置く価値観が理解しがたいのだ。

安次郎は己の正義のために父親を殺してしまった。そこから日本を抜け出しマラッカでザビエルとキリスト教に出会いデウスの教えを伝えるためにザビエルと一緒に日本へと帰ることにする。 

ザビエルと同時期にアジアにやってきたバラッタは石見銀山の独占を画策し、大船団を組んで石見沖に押し寄せるが、日本側は、海賊・王直に助けを求めこれを撃退する。

宗教と石見銀山侵略、それぞれの思惑とザビエルの苦悩そして安次郎の思い。 史実の裏にこういう話しがあったのかと想像することは興味深い。 

安次郎は再びインドに向かい、ザビエルの最後を見届けたのちポルトガル語で手記を遺し、その地で亡くなった。人の尊厳と宗教のせめぎ合いを描いた良作。


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