観ること
ヨーガスートラを読んでいると、2章の最初のほうから頻繁に出てくる単語に、「ドラシュター」とか「ドゥルシャ」とかあるんですよ
アシュタンギーならピンとくると思います
サンスクリット語で「ドリシュティ」って言葉がありますよね
近代流派の『アシュタンガヨガ』で大事にされているトリスターナは、ヨガを行う際の三つの大切な心がけのことですが、それらは呼吸、アーサナ、視点です
その視点はサンスクリット語で「ドリシュティ」ですよね
「ドラシュター」とか「ドゥルシャ」はこれと同じ語源を持つ単語です
内側から見つめるその視点がドリシュティであって、鼻の先とか眉間とかあるんですよね。
しかし、ヨーガスートラを読むと、その語源的には、見ている主体=ドラシュターは粗大な自分の目でなく、もっと微細で深いところにある目であることがわかります
①ドラシュター:観る者であり、プルシャと同義。絶対に変化しないもの
②ドゥルシャ:観られる対象物、視点であり、プラクルティと同義。ミッティヤともいう
つまり、サーンキャヨーガでは、ドリシュテイの主体は①ドラシュターのプルシャなんですね。
視点の先にあるもの②も、最後は①と溶け込む
つまり視点の先は、自分の本質、そしてそれを超えて調和した宇宙全体ということになりますね
まずは、内観、集中、ということです
というようなことを考えた午後です
お昼はおむすび
![](https://assets.st-note.com/img/1707367303232-Lzm1NJoC3l.jpg?width=1200)
4月13日におむすびを極める食べるヨガをします
ちゅうちゃんがおむすびって深いんだと言ってくれて、気になっているところ
これから猪子山に登ってきます
ではまたね〜
PS
きょうは敢えて文末の。をとってみました
いまどきはおばさんことばにしかないそうです
なるほどね
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