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宮沢賢治 やまなし 本質の解明 ⑥

5 「イーハトーヴの夢」との関連

 ここから先は、主題の探求となります。光村図書出版の小学6年生の国語科教科書には「やまなし」と合わせて、宮沢賢治の人物像を知ることができる「イーハトーヴの夢」という畑山博さんによる宮沢賢治の紹介文が掲載されています。
 その意図は、「やまなし」を読解するために、本作に通ずる宮沢賢治の考え方や心情などを探ることができるようにするためです。それでは、早速どのような関連を見てとることができるのか一つ一つ取り上げてみます。
 「イーハトーヴの夢」序盤では、子ども時代よ宮沢賢治のことが語られています。その内容は、体は小さく、おとなしかったこと、「石こ賢さん」というあだ名をつけられていたこと、多くの自然災害に見舞われたことなどです。
 この子ども時代については、谷川の底で暮らすカニの兄弟と重なります。これまでの章で見てきた通り、「やまなし」ではカニの兄弟らが暮らす世界の過酷さが作品全体を暗い影を落としています。宮沢賢治の育った世界も同様に暗く、過酷なものであったことでしょう。
 また、「イーハトーヴの夢」では語られていませんが、個人的には日露戦争、第一次世界大戦も勃発した時代に育ったことも彼の世界観に影響を与えた可能性もあると考えております。彼の有名な言葉で「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない。」というものがありますが、まさに帝国主義の覇権争いによる殺し合いが、現在進行形で世界中で起こっているのに、今たまたま自分が巻き込まれていなくて不自由なく暮らせていたら「幸福」などと言えるはずがないということでしょう。明日は我が身であるし、それよりもまずその戦乱に巻き込まれる人々とその家族の身になって考えたときに、全うな人間であれば、同じ人間としての責任と阻止することのできない絶望感に襲われます。
 そして、これら環境よりも、さらに彼の人生観を暗く残酷なものに彩る要素が、殺生の問題でしょう。この部分は、宮沢賢治を語る上で最も重要な命題だと思います。彼は、例え、災害がなくても、戦争がなくても、生き物が他の生き物に食べられて死んでしまうことが日常的に発生するこの地球という星そのものに、絶望してしまっていたのかも知れません。私自身も子どもの頃に、虫や動物が簡単に殺されるという事実と、自分が動物の肉を食べるという恐ろしさに息がつまり、その現実を受け入れることが本当に難しかった覚えがあります。彼の場合はきっとそれ以上で、ずっとそのことについて悩み続けていたことは、他の多くの作品からも分かる通り、明らかです。これは、彼のもっていた類まれなる鋭く繊細な感性によるものであると思われます。きっと、殺生の現場の動物たちの悲痛な叫び声が、彼の頭の中で鳴っていたことでしょう。そして、この問題と向き合った彼は、最終的には自らの命を誰かのために捧げることを目指します。そうすることで、なんとかこの生に折り合いをつけようとしたのかも知れません。
 「イーハトーヴの夢」とその他の要素から、宮沢賢治の育った環境と彼の生まれ持った感性によって、苦しみの生を余儀なくされたことが分かりました。

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