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宮沢賢治 やまなし 本質の解明 ⑧

 そして、主題にかなり迫ることになりますが、お父さんのカニと「イーハトーヴの夢」の関連です。
 「イーハトーヴの夢」では、宮沢賢治の理想について述べられています。一つは教師としての理想で、もう一つが作家としての理想です。著者の畑山氏が「やまなし」と「イーハトーヴの夢」をどの程度結びつけようとしているのかは分かりませんが、私ご研究を続ける中で、見事な「やまなし」との結びつきを見出すことができました。それは、教師としての理想に関する記述であります。
 一度、「やまなし」におけるお父さんのカニについて抑えておきます。これまでの考察で、カニのお父さんが、いかに本作において重要な人物であるかを明らかしました。そんなお父さんのカニについて、もう少し細かく見ていきます。
 まず、子どもたちに多くのことを教えるということです。カワセミ、お魚、やまなしなどについての知識を教えることで、子どもたちを育てようとする父親の姿が描かれています。
 次に、よき指導者であることです。この父親は、カニたちにとって暗く過酷な世界の中に、「やまなし」などの喜びを見出して、かつ子どもたちの未来に希望を与える存在でもあります。
 このようにして、カニの兄弟が、心から彼を信頼し、勇気をもって生きて行こうとすることを助けているのです。このお話、もしも父親が子どもと一緒になって「カワセミ」に怯え、やまなしについて知らず、その素晴らしさを教えられなかったらと考えると、本当に虚無しか残りません。もしそうであったらカニの兄弟にはひとつの救いもなくなってしまいます。
 「イーハトーヴの夢」の記述確認しますと、教師の宮沢賢治が、一面緑色のみの殺風景な田んぼの真ん中に、ひまわりを一つ植えたことが紹介されております。それを見た教え子は、辺り一面緑の何でもない田んぼが輝いて見えたと語っています。そして、苦しい農作業の中に喜びを見出すことと、未来に希望をもつことが、教師としての彼の理想であったと述べられています。
 もうお分かりだと思いますが、まず田んぼや農作業が「やまなし」の谷川の底の風景と重なります。続いてその中に植えた一つのひまわりは、やまなしそのものと重なります。そして、それを子どもに見せた教師としての宮沢賢治は、見事にカニのお父さんと重なるのです。
 また、輝いて見えたという教え子さんの思い出がありますが、その輝きは、やまなしに「月光の虹かもかもか」集まったり、「黄金のぶち」が光ったり、「金剛石の粉をはいているように」見せたりしたことと重なり合います。

 最後に「未来に希望」ですが、これも「やまなし」と重なります。しかも、これについては実に巧妙な仕掛けがあるように思われます。
 まず、「十二月」でお父さんのカニは泡の大きさでもめている子どもたちな「もう寝ろ寝ろ。明日イサドに連れて行かんぞ。」と言います。これは、ささやかですが、1日後の未来への希望です。
 その後、やまなしが落ちてきたことで、それをよく見て、においを嗅ぐために追いかけて見に行って見ようとすることで、数秒後の未来への希望が見出されます。
 そして、やまなしを食べたいと思いはじめたカニの子どもたちに、2、3日後の未来にひとりでに下に沈んでくるという希望を伝えます。最後には、美味しいお酒ができることを伝え、大人になることへの希望を与えます。
 暗い谷川の底に住みながら、決して希望を忘れてはいけないことを、子どもたちに伝えようとする教師としての宮沢賢治。それをお父さんのカニに代弁させることで、教え子を含む全ての子どもたち、そして心理学的にはインナーチャイルドとでもいうべき幼き頃の自分自身に対する深い愛情が表現されているのです。
 

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