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あの日から。もしくは、それより前から。

 キャラクターがプリントされた、ピンクや水色の袋が下がっている。お目当ての綿菓子屋を英男は見つけた。
 参道の石灯篭に火が灯っている。いつもの神社とは違う雰囲気だと英男は思った。たこ焼き、イカ焼き、焼きそば、射的、ヨーヨー釣り。屋台からは、おいしそうなにおいと、他の子供達のはしゃぐ声が聞こえていた。
「7時までには帰ってきなさい」
 母にそう言われ、英男は特別に500円を貰った。しかし、500円では綿菓子を買ったら他にできることなどなかった。ゲーム機なんかが当たるくじ引きなんかは1回500円もする。
「俺は綿菓子だけでええ。お小遣いそんなにないんや」
 英男の前にいるのは、清美だった。英男は母親には明宏たちと縁日に行くと嘘をついた。小学三年生ながら、女の子と遊びに行く事を親に知られるのは恥ずかしかった。
「そうなん? なんか欲しいんやったら言うてや。うち、2,000円もあんねん」
「いや。ええ。なぁ綿菓子屋まで押したるわ。清美も食べるやろ?」
 そう言うと、英男は車椅子を再び押した。
「うん。うちも食べたい。ほな頼むわ!」
 小学1年生の時、清美は事故で足が不自由になった。押してもらわなくても、自分で車椅子を操れるのだが、英男はいつも清美の事を押していた。
「家の人には誰と行くって言うたん?」
 清美が前を向いたまま英男に聞いた。英男は足の裏が汗で湿っているのがわかった。サンダルの感触が少し重くなった気がした。
「明宏達と行く言うた」
「そう。うちも、ふうちゃん達と行くってお父さんに言うたんや」
 猫のように身を縮こまらせて、清美が静かにそう言った。
「俺ら、嘘を言うてきたんやな」
 英男は鼻の下を人差し指で擦った。自分でも薄々気がついていた感情を隠すような仕草だった。
 通りすがりの人は、清美と英男の為に少し道を空けてくれている。石畳の参道は滑らかで、車椅子は軽い力で前に進んでいた。混雑しているという程でもなく邪魔になる事はなかった。
「なぁ英ちゃん。うち、これやりたい」
 なんとなく、英男は清美も同じ感情を抱いている気がした。しかしながら、それを確かめる事などできなかった。清美が指さしたのは、射的だった。2人に馴染のキャラクターの人形や、大きなパッケージのお菓子などが上の方に並んでいて、下の方は、小さなそれらが立てられていた。
「射的やるんか? これ300円やで」
「うち、やってみたかってん。なぁ英ちゃんも一緒にやろうや」
「せやけど、俺、これやったら綿菓子食われへんようになるわ」
「ええやん。うちがお金出すし、その代わり、なんか倒れたら、うちにもわけてや」
 英男が何かを言う前に、清美はお店の人に「二人分、お願いします」と言って、千円札を小さな財布から出していた。鋭い目をしたおじさんが「あい」といってお釣りを渡した。
「ええんか?」
「何言うてんの? ええに決まってるやん。そのかわり、ちゃんと狙ってや」
 そう言ったくせに清美は、銃を持ってすぐに構えた。どうやらコルク銃の使い方を知らないようだった。
「ちゃうで。レバーを引いてからこの弾をつめるんや。そんで、景品を狙うんやで。あんまり大きいものは倒れにくいから、下の方のやつを狙ったほうがええで。俺が先にやったるわ」
 英男は、前の年に父親に教えてもらった事を、そっくりそのまま清美に伝えた。去年の英男は大きな景品ばかりを狙って、失敗したのだった。
「ほら。こういう小さいモンが倒れやすいねん」
 英男は得意げに、清美にそう言った。実際のところ、英男は興奮していた。まさか一発目から当たるとは思っていなかった。
「おにいちゃん、上手いなぁ。おじょうちゃんも頑張りや」
 怖そうな見た目とは逆に、射的屋のおじさんは、笑いながらそう言うと、景品のクマのキーホルダーを英男に渡した。
「なんなん。英ちゃん、上手いなぁ。私もやったろ」
 そう言ったものの、清美はムキになって手持ちの5発のコルクをすぐに使い果たした。英男はというと、もう一発だけキャラメルを落とすことに成功した。
「はい。これ、清美にあげる。俺、こんなキーホルダー使うん恥ずかしいわ。キャラメルは俺にも一個だけちょうだいや」
「ありがとう。英ちゃん。せやけど、すごいなぁ。私なんか全然アカンかった。でも射的っておもろいな」
 清美はクマのキーホルダーを大事そうに見つめていた。それを見た英男はなぜだか、お祭りに来てよかったと思った。
「ほな、綿菓子んとこ行くで!」
「行こ!」

 清美の手の中には、古ぼけたクマのキーホルダーがあった。
「なんやそれ? まだ持っとったんかい」
 神社のベンチに座っていた清美は顔をあげた。青色のティーシャツの袖から突き出ていた太い腕は、よく日に焼けていた。顔はあの頃の面影が残っていた。
「英ちゃん? これ憶えとんの?」
 こんな待ち合わせなんか、絶対に忘れていると清美は思っていた。
「当たり前やんけ。清美こそ、ホンマに来てくれたんやな」
 英男は鼻の下を人差し指で擦った。あぁ間違いない。清美はそう思った。

 あの年のお祭りの後、清美は引っ越した。父親が再婚したのをきっかけに、事故の記憶が薄れるようにと、この町を離れたのだった。事故で亡くなった、清美の母親との思い出が一杯のこの町は、清美の父親にとっても辛かったのかもしれない。
「ホンマ久しぶりやな。英ちゃん、大きなったな」
「なんやそれ。親戚のおばちゃんか」
 英男がそう言うと、2人は笑いあった。清美はもう車椅子に乗っていなかった。速く走る事はできないが、日常生活を過ごすには支障がない。
「なぁ。綿菓子食べよか。今度は俺が奢ったるわ。10年前の射的のお返しや」
「うん」
 確かめたい事は沢山あった。それでも、このお祭りが10年間続いてくれてよかったと清美は思った。
「あっ。射的や。またやろ」
 清美は射的屋を見つけて、思いついたようにそう言った。
「また? 上手くなったんか?」
「あれ以来、一回もやってへんわ」
 英男もやっていなかった。特に意味はなかったが、この日の為にやらなかったのかもしれない。
「そういえば、家の人には何ていうて来たんや? この町に行く事を言うてきたんか?」
「うん。英ちゃんに会いに行く言うてきたわ。10年前から約束しているって言うてたんや」
 英男は、今度は鼻の下を人差し指で擦らずに、清美の顔を見た。
「俺もや。清美に会いに行くって言うてきた。俺、会いたかったんやで」
 どちらからという訳なく、2人は手をつないだ。10年前は横に並んで歩く事なんてなかった。いつも清美の視界には英男はいなくて、英男は清美の背中を見ていた。
「足、治ってよかったな」
 やはり、英男は鼻の下を擦った。その仕草で、清美は英男の気持ちがわかった気がした。
「横に並ぶってええな」
 あの頃と同じ景色だった。ただ、清美の視線はずいぶんと高くなって、英男の視界には清美の背中が無くなっただけ。
「やっぱり、7時までには帰らなあかんやんな?」
「ちょっとぐらい遅なっても、ええんちゃうかな」
 ソースの香ばしい匂いと、清美の匂い。英男はずっと清美の事が好きだった。そう思ったが、まだ言葉にできなかった。


おわり
 
 

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